第十一話 その3
空を走る車に乗るという体験は、祖母の安否不明という状況でなければ、それはもう素晴らしいものだったに違いない。
依月は、窓にべったり張り付いて高速で流れる景色を眺めながらそう思った。
後輪タイヤのほうを見ると、固まった空気とでもいうのか、半透明な板がタイヤの直前で作られ、タイヤの直後で崩れている。車はそれを踏みしめて、空の道を爆走しているようだった。
壮大な光景に、不思議な力。しかし、早く祖母を助けたい。その心で依月は気が気でない。
「これも異能ってやつなの?」
依月は隣に座っている秦月に聞く。
「『気術』じゃ。空気を自在に操る。巫参色でも青を工夫すれば似たようなことは出来よう」
「じゃあしぬまさん? がやってるの?」
「嗣沼 囘です。改めて初めまして依月ちゃん。これは車自体に搭載された機能なんですよ! 僕の異能はこういうのではないですねぇ」
「は、はじめまして……そうなんだ」
「ほぉ、珍しく人見知りしとるな」
秦月が少し面白そうに言う。依月は性格的に色んな人と仲良くなれる特技がある。だが、嗣沼から滲み出る何かが、依月から距離を取らせてしまう。
「嗣沼さん、あとどれくらいですか?」
祖父を挟んで依月の反対側、皐月が片肘をついて外を見ながら言う。呼ばれた嗣沼はとても嬉しそうに笑いながら答えた。
「皐月ちゃん、そんなに僕とのドライブを長く楽しみたいんですかね? 大丈夫です。まだ十五分は楽しめますから!」
「もっと飛ばしてください」
「スリリーング! それもまた逢瀬のスパイスですねぇ!」
ケタケタと笑いながら嗣沼はアクセルをべた踏みする。がくんと後ろに押しつけられるような感じが強くなり、三人は同じように呻いた。
「前倒しして、十分後に到着でぇす!」
慣性が落ち着くまでしばらく掛かったが、時間が早まるのはありがたい。後部座席からは不満が漏れることはなかった。
ひょっとすると飛行機よりも速いのではと思わせる景色の移り変わり。依月は窓の外を見ながら、静かにぎゅっと手を握りしめた。
*
十分後。
目的地近くの人気のない山道でバンが地面にタイヤを付け、そのまま普通の車のごとく振る舞いながらトンネルを抜けた先。
「うわ、普通に市街地のど真ん中か……」
皐月が手に持ったメモの住所を見ながら舌打ちをする。車のフロントガラス越しに広がる光景は、どこにでもある地方の市街地といった風情で、なんら特別感はない。
「おや、会頭から人払いと結界の許可を頂けてるのでは?」
その態度に疑問を持った嗣沼が聞いてくる。皐月は肯定の意思として肩をすくめつつ、補足を入れた。
「人が多いと、そのぶん消費も大きいし、払った先の人の受け入れで問題が起きやすいんですよ」
「手分けするか。目的地についたら北と南で払い先をずらそう。範囲も必要最低限じゃ」
「そうね」
「素人質問で恐縮ですがぁ……その人払いの術は、犯人も一緒に逃げてしまうのではないです?」
「理由は知らないですが、異能者は弾かれますし、それでなくてもイメージで指定範囲を調整できます」
「ほぉう、相変わらず便利ですねえ巫さんの異能は!」
上凪からの回答に、やけに嬉しそうに反応する。
そんなこんなで、車はやがて狭い路地に入り、路肩に停まった。当たり前のように路駐禁止のマークの目の前に停めている。
依月、秦月、半眼で嗣沼を睨む皐月の順で車を降りて、依月はうーんと背伸びをした。
「ここどこ?」
とは依月の疑問。皐月はメモを見てざっくりと場所を伝える。移動距離に驚く依月に、満足げな嗣沼。
一行は、寂れた路地の奥へ進む。
しばらく歩いた先で大きな塀に囲まれた建物に突き当たる。人の背丈を少し越える厳重な石積みの塀で、それがずっと先まで続いていた。
「おっきな建物」
塀の奥は、赤煉瓦で出来た大きな直方体の建物が建っている。ずいぶんと古そうで、あちこちに蔦が蔓延っており、窓ガラスは曇って、殆どが割れている。
「廃倉庫か」
皐月の言う通り、この建物はすでに人の手を離れた廃墟のようだった。
秦月と皐月が目を合わせお互いに頷きあうと、懐から短冊状の紙切れを取り出し、逆の方角を向いて同時に地面に放った。
「「闢則。斎庭常世祓・人」」
「おっほ!」
巫参色の術を目の当たりにしてテンションを跳ね上げる嗣沼はさておき、短冊から放射状に青い光が広がり、街を駆け抜ける。
遠くの方でどよどよと喧騒が広がっていく中、皐月と秦月はそれらを気にせず作戦会議を始めた。
「とりあえず、御爺様は緑で結界、私と依月が潜入して、情報を集めるでいい?」
「問題ない。先ほど話した通りだが、条件が満たせるまでは戦闘は避けよ。気取られるな」
「了解」
術の光に感嘆の声を漏らしていた嗣沼が、やや真面目そうなトーンでべらべらと口を挟んでくる。
「連中は車でおばあさんを誘拐したとのことですがぁ……証言によると約五時間前の出来事。船麓町からここに普通の車で向かうとなると、早くても四時間ほどかかりますから、なんらかの脅迫や交渉の動きがあるならそろそろですかねぇ」
「急に仕事モード入らんでください。落差怖いんで」
「ふふ、僕らとしてもおばあさんは無事救助したいですからねぇ。奇襲入れられるとしたら非常に良いタイミング、大きなアドバンテージですよ」
「向こうがうちら同様空飛ぶ車を使ってる可能性は?」
「朝から一台レンタルされてますが、運命主義の連中の申請ではないようですねぇ。ないんじゃないです?」
「なるほど……あまり楽観視はしたくないです。総会側の人員は今どうなってます?」
「ええと、ちょっとお待ちをぉ。……あぁ、もう少しであっちは配備完了、こちらには水墨の術者が既に近くの拠点で待機中みたいですねぇ。どうします?」
「もし御婆様が呪いに侵されていたら、水墨に解呪に来てもらいます。それまでは拠点に待機で。遠方のほうは、私たちの突入とタイミングを合わせましょう。できれば一斉に捕縛して情報を封鎖したいので」
「了解でぇす!」
嗣沼がなにやら手に持ったノートパソコンのような機械でかたかたと文字を打ち込んでいく。
依月は建物のほうを見て、不安そうにそわそわしていた。
「ばーちゃん、いるかな……」
「もう少し待って。依月、事前に情報集めることが出来ないか、見てもらえる?」
「さっきみたいに『世界の声』で?」
「そう」
「わかったー」
そして依月は目を瞑る。
船麓を出ると自然はぐっと少なくなり、声もずいぶんとすかすかになる。それは依月が地方都市に進学して気付いたことだ。
風すらも、ビル風になると声が聞こえなくなる。
「ん〜……。だめかも。ツタ?の声がちょろっと聞こえるくらい」
「人の出入りの気配は分からない?」
「ちょっと待って。——あっちのほうのツタはなんか切られて痛そうにしてる。他のところは何も言ってないかなぁ」
「切られた……つまり人の出入りで邪魔だったと考えるべきか。なら北面は危険ね」
依月が北の方を遠く指差し、皐月がそちらを見ながら考え込む。
「屋内の情報は?」
「うーん、ごめん。風も弱くって、あんまりわかんない」
「分かった。なら北以外から侵入して出たとこ勝負するしかないか」
建物を観察しながら頭の中で作戦を組み立てていく皐月を、依月は祈るような表情でしばらく見つめる。
そのしばしの静寂を破ったのは、いやに溌剌とした嗣沼の声だった。
「皐月ちゃん、配備終わったんでいけますよぉ」
●世界の声について①
『世界の声』は、街中での日常生活に於いては意外と可聴範囲は狭いです。植木鉢や花壇に種から植えられた草木は勿論、工場上空の雲や、建物の隙間により強められたビル風などは"人の手が介在した"ため、声が失われます。(普通の風は聞こえます)
一方、他所から自然で生えていたものを植え付けられた街路樹やアスファルトを突き抜けて生えてきた雑草などは自然由来と捉えられるようで、聴くことができます。
ちなみに、土/石/岩などの鉱物由来の物質、また水/油などの液体成分、燃焼/凍結などの熱反応系等、自然由来でありながらそもそも声が聞こえないものもあるようです。