第十一話 その2
3羽の雀が、不自然に上空を廻っている。
準備のため一度家に戻った三人は、全員が同じような和装に着替えていた。色はそれぞれ依月が白、皐月が黒、秦月が鼠色で異なっている。
舞の時の衣装とはまた違う、袴で動きやすく、質素な格好だ。
「これは?」
自分の姿をくるりと見下ろしながら、依月が皐月に問う。
「隠密活動用の巫装束、『無彩潜』。町の外でこっそり活動する時にぴったりな巫装束ね」
皐月はそう答えながら、居間の縁側から上空を見上げ、手招きした。
雀たちが、皐月の手に止まる。
依月はその光景に驚き、思わずといった感じで『世界の声』に接続した。しかし、雀たちから全く声がせず、首を傾げる。
「それで、ご理解はいただけたでしょうか?」
皐月は丁寧な言葉、しかし平坦な声色で話しかけている。雀たちは、人間の言葉で返してきた。それぞれから、違う声がする。
「状況は理解した。確かに、連中の行動記録は本日取れておらず、アリバイがない」と、中央の雀。
「よく見つけましたね。こちらに届いた草には、確かに件の呪いの痕跡が残っていました。これまで証拠がなく、グレーでい続けたからこそ、ここまで野放しになっていたというのに……」と、右の雀。
「そこは、妹の例の力ですね。それか罠の線も疑っています」
「……ほほう? 妹さん、なかなか有用そうじゃないですかねぇ、皐月ちゃん?」と、左の雀。
左の雀からの男性の声に、皐月は仏頂面になる。
「……嗣沼さん、なんで貴方がそこに」
「ふふ、面白そうな状況だったので!」
「嗣沼。同席は許したがややこしいから黙れ」
「はいー」
知らない世界の出来事に依月は困惑して聞いていたが、そのうち中央の雀から聞こえてくる声は、妙に記憶を刺激する。
それはつい最近聞いた声だ。
あれはなんだったか。そう——ぐちゃぐちゃに入り乱れた世界で、だ。
「あー! "出来損ないの代用品"のひと!」
虚実の間で、幼い皐月が囲まれていた映像を見たことを思い出す依月。
そこで、一番偉そうな立場にいた、あの男性の声と同じだった。
雀を含めた全員の視線が依月を向く。
「どうしたの?」
「さつ姉を土下座させながらわたしの代用品とか言った人でしょ! そんなわけないから!」
「いきなり何の話?」
皐月が本気で困惑している。
依月は興奮冷めやらぬまま、虚実の間で見聞きした出来事を語る。そして、皐月は呆れたような、納得したような表情をした。
「なんて記憶を見させられてるの……。私は土下座なんてしてないし、代用品なんて呼ばれてない。そこは悪意を持って改竄されてる」
「え?」
真ん中の雀も、言葉を返す。
「察するに、君があの上凪 依月か。詳細はよく分からんが、改竄された記憶を垣間見るような出来事でもあったのか?」
「あー、そうです。機密なんで詳細はお許しを」
「いい、興味はない。9歳の皐月が総会の本部でやらかした大立ち回りはよく覚えている。当時上凪の事情など詳しく知らぬ俺が、"出来損ないの代用品"などという台詞を吐けるわけがないな」
「………………あれ? やっぱ、ウソってこと?」
何度か瞬きして、依月は皐月に静かに質問する。
頷きが返ってきたのを見て、依月の顔は真っ赤に染まった。
「ごめんなさい……」
絞り出すように謝って、隅っこで縮こまる。
皐月はため息をついて、無理やり話を戻した。
「この残された呪術が罠かどうか知りたいのですが、どう思われますか?」
「呪術を視認できるのはそれこそ呪術使いと貴様ら巫くらいのものだからな……。運命主義でない呪術使いに聞いたが、状況次第とのことだ」
「要領を得ないですね」
「そう言うな。俺の見解としては、呪いを視認できる連中のもとに痕跡を残す、というのは一種のメッセージの可能性が高い。気づかれなくても困らない程度のな」
「メッセージ……意図したもの、と」
「十中八九、罠だろう。慌てて飛び込んでくる鼠になるか、脅されて言いなりになる鼠になるかの2択だ」
「行かない選択肢はないです。——市街地だった場合、異能の使用許可はいただけるので?」
「やむを得まい。あくまで人払いを徹底した上で許可しよう。だが、上凪だけで動くのは総会的には嬉しくない。こちらからも特派員を数名送る。呪術には呪術……解呪に強い水墨の者と、補助に朝伏をつける」
皐月の眉が、ぴくりと動く。
「朝伏……どういうおつもりで?」
「連携するなら、同じ異能者で動くのがやりやすかろう」
「不要です。解呪班のみで充分かと」
「言い争っている場合には思えぬが? 人数は多いに越したことはない。奴らの居そうな場所の情報は"声雀"の足に括ってある。あらかじめこちらで2箇所に候補を絞ったので、特派員を上手く使え」
「……承知しました」
渋々と言った感じで皐月は一礼し、中央の雀の足に纏められていた小さな紙切れを解く。
それを無表情で読み、秦月に手渡した。
「移動経路としては確かに五分五分ね。近いほうか、少し遠いほうか」
「ふむ……。とは言え近くても他県か」
「おや秦月殿。久しいな」
今気づいたかのように、中央の雀が秦月にわざとらしく声を掛ける。それを受けて秦月は鼻を鳴らした。
「ふん! 泰牙よ、元気そうだな。まだくたばっておらんかったか」
「お互いにな。遠いようならこちらで車を出すが?」
「……頼もうか。わしらは誰も運転できん」
その言葉に、左の雀が嬉しそうに声を上げた。
「あ、では僕が行きますねぇ。十分ください、すぐ向かいますんで!」
「チェンジで」
「ふふ、つれないねぇ皐月ちゃん! では後ほど」
左の雀はそうしてぱたぱたと飛び去って行った。嫌な顔を隠そうとせず、憮然と見送る皐月。
「嗣沼め……勝手に進めおって。まあいい。やつの異能もうまく刺さりそうだ。——さて、もう一件。そこで小さくなっている上凪 依月に用がある」
真ん中もとい、1匹去って2匹になったので左側のほうの雀は、空気を改めるように声色を変える。
突然名指しされた依月は、びくんと身体を跳ねさせた。
「え、わたし?」
「……なるほど。改めて見ると……なんというか、思っていたより、普通だな」
「……?」
「失礼した。改めて、俺は異能総会の会頭、十だ」
「初めまして。同じく異能総会の事務長、天導です」
「えっ……と、上凪 依月です。さっきはごめんなさい」
喋る雀に頭を下げるという、なかなかない滑稽な体験を味わいつつ、依月は困惑気に応える。
「いい。事態は知っている。君の祖父の愚行により、その身に膨大な力と運命を背負いながらも何も知らぬままここまで生かされてきた君に、憐憫の情を抱かずにはいられない」
「会頭」
「失礼。さて、上凪 依月。君はかの異能を再びその手に取り戻し、世界の運命を変えねばならぬ宿命を持っている。——そんな大事な折、身内の錆が迷惑をかけてしまい、申し訳なく思う次第だ」
「は、はぁ……」
「本来であれば君も異能者である以上、異能総会への加入が義務付けられるのだが、それは10年前の契約により免除される。つまり、日本で唯一のフリーの異能者、となるわけだ」
「……あの、いのーそうかいって、なに?」
依月の疑問に、一同がしばし、沈黙する。
雀は呆れたような声で言う。
「……秦月殿、皐月。伝えてないのか?」
「妹は異能世界に関わってまだ日が浅いのです。優先度が低かったので後回しにしました」
それに対して答える皐月は淡々としたものだ。
秦月も肯定を示しつつ続ける。
「加入義務のない組織の話を何故する必要がある?」
「……はぁ、貴様らはだから面倒なのだ。——天導、説明」
「はい。依月さん。異能総会は、日本に存在する異能者を管理、互助することを目的とした組織です」
「ごじょ?」
「お互いに助け合う、と言うことですね。異能は全て総会が管理しており、世間一般の目から異能の存在を秘匿しつつ、異能者が暮らしやすく生活をサポートするのが我々の使命です」
「へー」
聞いた限りだと、とても善意に溢れた集団に聞こえる。何故皐月や秦月は、これほどまでに態度が硬いのだろうか?
「貴女は10年前に一度力を封じられ、その際に総会の登録名簿から名前を抹消されました。そして現在でも名前は載っておらず、皐月さんとの契約により再登録することができません」
「……さつ姉が? どうして?」
依月が皐月のほうを向くが、皐月は目を合わそうとしない。この件は語るつもりが無さそうで、明確に拒絶の意思が見てとれた。
左の雀が、言葉を引き継ぐ。
「まぁ、そういうわけだ。よって、君は総会からのバックアップが得られない。今回の件は全面的に手を貸せるが、君の宿命に関しては立場上積極的な補助、介入はしにくいことを伝えておきたい」
世界全体の危機ゆえに、そんなこと言ってられるかは分からないがね——そう最後に付け加えた。
「よろしいか? 特に異論なければわかったと言って欲しい」
「え、ええっと。わかりました……?」
「ふむ。……デメリットしかないはずの話だ。どういったつもりで今こうなっているのかは上凪しか知らぬ話だろうが、これは直接君に伝えておきたかったのでね。——それでは、用は済んだのでこれで」
「失礼します。あとは嗣沼さんに任せます」
二羽の雀が最後に軽く翼を打ち、青空へ消えた。
嵐のように情報だけを沢山撒き散らして行ったな、と依月は回らない頭で思う。
「なんだったの?」
「デカい組織の頭にもなると、言質を取っておかないと困ることも多いのよ」
皐月は疲れたとばかりに背伸びをして、そんなことを言う。それは依月に向けた説明ではなさそうだった。
「……なんか、こっちの世界も大変そうだね」
無意識のつぶやきに、秦月も皐月も特に反応せず、ただ淡々とそれぞれの荷物をまとめていく。しばらくの静寂。
ふと、家の前に何か大きな音が響いた。ごろごろと砂利を跳ねるタイヤの音と、やたらに派手なクラクション。
「おーい! お待たせしましたぁ!」
玄関を開けて外を覗くと、家の前に明らかに場違いな黒塗りのバンが停まっていた。運転席の窓が下がり、中からひょろりと長身の男が手を振っている。片側だけ短く刈り込んだ特徴的な黒髪、銀縁の眼鏡の下に細長い糸目、首に巻かれた派手なスカーフに、市松模様のスーツ姿。
車体のドアには、なぜか派手に“しぬまタクシー”と手書きで書いてある。
それを見て、皐月の頬がぴくぴくと動いていた。
「え、な、なんで山の中に車が?」
自宅を訪れるには、山に造られた粗末な石積みの階段を上るしか手立てがない。なので、車は登ってこられるわけがない。
依月の疑問をよそに、その男は車から出てきて大袈裟な身振りで挨拶をする。
「やあやあ、ご指名ありがとう。嗣沼です! 皐月ちゃん会いたかったですよぉ?」
「呼んでません」
皐月のにべもない一言。嗣沼は構わず、助手席のドアを勢いよく開けてみせる。
「さ、皐月ちゃんは特等席へどうぞ。他お二人は後ろへどうぞ。本日は安全運転とスリル満点、両方お楽しみいただけます!」
「私も後ろでいいです」
「……出来れば静かに運転してくれるかの」
「ふふ、保証できかねますねぇ」
嗣沼が無駄に張り切る中、皐月は荷物を助手席へ放り込み、後部座席に無言で滑り込む。依月は不安げなままも、背中を押されるように秦月と共に車内へ。
最後に嗣沼が運転席に触ると同時に振り返り、にやりと笑った。
「皐月ちゃん、目的地はどうされます? 2箇所のうちのどちらかだと思いますが?」
「御爺様に聞いてください」
「最寄りのほうに行こう。可能性はわずかに高そうじゃ。念のため残りのほうも、朝伏に同時潜入させたい。出来るか?」
「御意に! お伝えしておきます!」
かたかたと、運転席の右側に備え付けられた小さなパソコンのようなものを打ち込む嗣沼。その後、妙に嬉しそうにハンドルを握った。
「では行きますよぉ」
バンのエンジンが唸りを上げ、階段のある家の前の比較的開けた空間に向かって進む。
「え、ぶつかるんじゃない?」
依月が心配するのも無理はない。この車で鳥居を抜けて、階段のほうへと進むのはどう見ても不可能だ。
言動のおかしさが滲み出ている嗣沼の態度と併せて、色々と不安になる。
……が。
「うえっ!?」
「ふふ! いい反応しますねぇ!」
バンは突然がくんと頭を上に向けて、空中へと躍り出る。
空気を踏みしめてタイヤが転がり、あっという間に雲間を抜け、青空を突き進んでいく。
窓から外を見ると、一瞬で船麓町を抜け、景色が怒涛の勢いで後ろに流れて行くのが見える。
……とりあえず、依月は予定調和的に叫ぶしかなかった。
「飛んだーっ!?」
「久々のお約束いただきましたねぇ。総会名物、空飛ぶレンタカーですよぉ」
依月たちを乗せた車は、未知の場所へと、静かに空を走り出した。
土下座はしてないし、嫌な揶揄もされてなかった。では、どこまで嘘なのでしょうか? 皐月はうまく濁しています。
●異能総会について
異能総会は、基本的に異能者どうしの助け合いを目的とした組織です。異能者の管理および、マスコミ、民衆への秘匿対策、異能事件対処、生活補助などが主な活動です。
正式名称を「日本異能総合互助会」といいます。京都に本拠地があり、代表者は代々陰陽師の十家が務めています。
ルールはゆるいですが、一般人への異能の秘匿を徹底させることに凄まじい執着を持ちます。
基本的にはどんな破壊的な能力を行使したとしても、家に大量の武器を隠し持っていたとしても治外法権としてスルーしますが、一般人がそれと分かるような異能を開放的に使用されると、即座に全国の特別会員が捕縛、調査に向かうことになります。
特殊な例としては、異能が絡む事件、そうでない場合でも異能でなければどうしようもない事態への対処。また霊的災害の解決。政府からの「依頼」を秘密裏に遂行するという仕事もあります。
上凪家…というか”宗家”の巫は所属こそしているものの付き合いが弱く、また大層な力を持っているくせに非協力的なので、若干疎まれ気味のようです。
一方で”分家”の巫は力が弱く明確な役割が無いので、総会で従事する者も多いです。
なお本物語においては、正直あんまり出番はないです。