第十話 その3
「ねえ、なんで取り戻さなきゃいけないの?」
突然の依月の疑問。
望外に強い不退転のごとき意思を瞳にたたえているのに気づき、皐月は言葉に詰まる。
「それは……」
「わたしにこの力がなんでいるのか、まだ教えてもらってない。じーちゃん。教えてよ」
先を無言で歩いていた秦月。
依月が強く声をかけたのが効いたのか、秦月はゆっくりと振り返る。
三人して、道の半ばで立ち止まった。
「今更でありながら、急な疑問じゃな」
「さっき、虚実の間ってとこで、怒ってるわたしに叱られたからさ。流されるな、聞かなきゃって」
「……あれか。なるほどな」
「ね、じーちゃん、なにをそんなに後悔してるの? 嫌ならやらなくていーじゃん。わたし、こんな力別にいらないんだよ?」
感情を極力隠していたらしい秦月。しかし、感情の機微には聡い依月には、わずかな部分から隠しているものが見えてしまう。
「……後悔、か。確かにそうだな」
目を伏せて、秦月は呟く。
「わしの気持ちは確かに、お前には力を取り戻さず平和に過ごして欲しい……欲しかったという想いでいっぱいじゃ。……だが、もうどうしようもないのだ」
やはり迂遠な表現。依月は口をとがらせ、しかし黙って耳を傾けた。
秦月は一拍置いて、依月の頭に手を添えた。すこし癖のある髪を、ゆっくりと撫でる。
「黙っていてすまなかった。わしに打ち明ける心構えができてなかったのじゃ」
「……うん」
「今話そう。……幼少の折。依月、お前は世界と約束した」
「世界と、約束?」
「ひび割れを縫い、滅びを鎮め、終の運命に抗うと。お前はそれを当たり前の遊びのように受け入れていた。神々は喜び、わしは恐れた」
皐月も日傘を下ろし、静かに聞いている。
「世界を容易く破壊する力に、無垢すぎる精神性。接するは神々や人ならざるものばかり……。あの子は人ではなくなりつつあった。人の輪から零れ、畏れられ、わしらの手を遠く離れてゆく。……それは果たして、あの子の幸せなのか? 天から与えられた使命に、なんの疑問もなく従って、待ち受ける運命が過酷でないと誰が言えよう? わしは止めた。そして、下手すれば神と争うまでの事態になりかけた。家族に危機が迫った……だから封じた。記憶も、力も、名残も、すべて。それで、約束は消える、そう思ったのじゃ」
「……それで、あの子とわたしが生まれたってこと?」
「うむ。……”約束”は確かに消えた。だが、”役目”は消えなんだ」
祖父の背中が、とても小さく見える。
秦月は遠く向こう、町の遥か外を見て言う。
「依月よ。今、世界で地震が頻発しておるのは知っておるな?」
「え、うん……」
「神からの通達によればそれは予兆に過ぎん。……世界に、崩壊の運命が迫っておる」
「ほ、ほうかい?」
「いずれ滅びは地球を呑み込み、宇宙を呑み込み、世界を吞み込み、やがてすべてが無へと至る。もはや神の手にも余るその事態に、世界そのものが最後の可能性を用意したという。……それがお前だ。依月」
「え」
「その膨大な力は、崩壊の運命から守れと、世界から与えられたものなのだそうじゃ」
「わ、わたしが……世界を? そんなのムリだよ……なにをどうしたらいいのかもわかんないし、巫の力のことだって、ぜんぜん使いこなせる自信なんてないのに」
「幼少期のお前なら、或いはと思えるほど力に満ち、自信に満ち、責任に満ちていた。だが、それはわしが奪ってしまった。——義務だけが、お前に残った」
そこを、無くせなかった。
秦月はぽつりと零す。
しばし、静寂があたりを支配する。
「当時のわしの選択は、全く良くなかった。上凪家の問題など些細なことで、世界すべての問題なのだ。どうしようもなかったとはいえ、当時のわしはそこを分かっていなかった。最早猶予はない。わしの感傷やお前の意思など関係なく、世界は加速度的に終わりを迎えておる。ゆえに、お前に力を取り戻してもらわねばならぬのだ」
全く現実味のない話。依月は口を開きかけ、閉じる。
心臓が早鐘を打っていたが、それはどういう感情ゆえのものなのか、本人でもわからなかった。
すこし考えて、依月は大事だと思ったことを問うた。
「……じゃあ、わたしはあの子の代わりなの?」
「違う」
秦月は首を振る。
「あの子はあの子、お前はお前だ。そしてどちらも確かに依月じゃ。あの子の運命と、お前の運命が、重なってしまっただけのこと」
「じゃあ、あの子は今どこにいるの? あそこにふういんされてただけなんだよね?」
「わからぬ。もともと祠の中でお前に求めたのは試練に打ち勝ち、青を取り戻すことのみ。幼少期のお前がそれほど自由に動いているとは思わなんだ。祠の中にまだおるのかもしれぬし、お前の中で眠っているのかもしれぬ」
「そうなんだ……」
依月は思い出す。試練で初めて会った時、彼女がどんな「自分像」に憧れたかを。
——それは髪を短く切りそろえ、戦意に溢れたぼろぼろな姿。
——闘うこと以外のすべてを捨て、真っすぐにただ前だけを見て歩み続ける姿。
「わたし」が生まれなかったら、今の「上凪 依月」はそうなっていたのだろうか。
……非力な少女は、ぶるりを身を震わせた。
「やだよ……」
話が大きすぎて、現実味も実感もなにもない。けれど、少なくともあんな未来は、選びたくない。
それが嫌で、幼い自分を諭して暗闇に身を投じたのだから。
ぽつりと漏らした依月の声は、風に消えそうなほど弱かったが、誰よりも強い拒絶を宿していた。
「わたし、あんなふうになりたくない……。世界が終わるって言ったって、闘うだけの自分なんて、やだ……」
胸の奥がきゅうと痛んだ。足元の道が少し揺れた気がして、依月は膝を折りそうになる。
皐月が、肩に手を添える。
「……闘うとは、限らない」
「え?」
「おまえが試練で何を思ったのかはわからないけど、世界の崩壊に立ち向かうのに、どうして闘うことに思考が向いてるの? 巫参色は破壊の力なんかじゃない。守り、切り開くための力」
「守り、切り開く……」
依月は揺れる目で自身の手のひらを見やる。
「そうじゃな。あの子が目指した道と、お前が目指す道は、無理に合わせる必要はない。ひとりで全てを成そうと孤独に戦うのがあの子の道ならば、お前はひとりになるな。わしらでも良いし、他のものに頼っても良い。そして無理に戦うな……それ以外の手法で事を成せるなら。逃れられぬ運命ならば、その道は自分の思うままに、進むべきじゃ」
「……」
ひとりになるな。
不思議と、気持ちが軽くなる。
その言葉は、依月の心に大きな楔を打ち込んだ。
「よく分からないけど」
依月の不安定だった目が定まる。
「これから、わたしはどうしたらいいの?」
不安で仕方ないが、それでも。
秦月は、強い心を称賛してくるような、そんなどこか誇らしそうな表情を浮かべて答えた。
「とりあえずは明日、急ぎお前の緑を取り戻す。それで、大前提が完了する」
「緑……」
由来のわからない懐かしさを感じ、目を細める。
度々あるこの感覚も、幼少期のものなのだろうか。
「その後は少しだけ間が空いて、神から遣いが来ると聞いておる。そこまでしかわしは知らされておらん」
「神さまから?」
「ああ。おそらく天津神の連中だ。どうやって世界を救うことになるのか、どこに何をしにゆくのか。すまないが、そこで聞くことになるじゃろう」
結局、色々知るのは先の話になりそうだ。
依月は再び遠のいた真実にやや落胆しながらも、瞑目して一度頷き、歩みを再開した。
「さつ姉」
「なに」
「青のこと、時間あるときに教えて。せめて使えそうなみっつだけでも、ちょっとは練習したいからさ」
「いいよ。でも夏休みは終わりだし……そうね。お金は出すから、夏休みが終わっても定期的に帰ってくること。週末に厳しく見てあげる」
「わかった」
不安だが、それでも自分の道を歩もうと覚悟した依月。
その小さな背中を、皐月は無表情で見つめていた。
*
家のある山の麓へ帰ってきたところ、鳥居の前で慌ただしげにうろうろしている壮年の男性を見かけた。
「あれ、辰也おじさん?」
張り切って祭りの準備を手伝っていた、大嶋 辰也という男だった。
只事でない様子の彼に依月が声をかけると、辰也は大慌てで秦月に向かってまくし立てた。
「ああ、いけねえ、上凪さん! 俺ぁ見るしかできなかった!」
「どうされたんじゃ大嶋さん、そんなに慌てて」
その剣幕に秦月が驚きつつも宥めようとするが、一向に収まる気配はない。
「大変だ、大変なんだ!」
「どうしたの辰也おじさん……!?」
普段の豪放磊落な辰也を知る依月も、彼の変貌ぶりに目を見開いた。
しかし、その後の発言で、上凪の全員が凍りつくことになるのだった。
「弥美さんが、攫われちまった!」
依月はもうひとつあったはずの聞きたかったことを忘れてますね。それはまた次の展開で触れることになります。
Q.封印することが約束の破棄、上凪の危機を救うことになるのは何故?
A.神と人は異なるロジックで動いています。
神は人を細かく認識しません。力の所在を以て判断しており、かつてその異能に対し「約定」を定めました。
秦月はその認識の差を利用し、狙い通り上手くいった——はずでした。
しかし、世界を依り戻す存在が「空席」になったことにはなっていませんでした。
神との"約定"と、世界による"定め"は、別だったのです。
さて先日お伝えさせていただきました通り、次回は10/1再開予定となります。
定期投稿を切らしてしまうこと、また期間が空いてしまうこと、申し訳ございません。
毎話お読みいただいている方が離れてしまうのもやむなしと思っておりますが、もし気になるよという方が少しでもいれば嬉しいです。
また質問、感想などあれば大きなモチベになりますので、お気軽に頂けますと幸いです。