第九話 その3
「ふぅ、なんとか準備できたねー、痛くない?」
「うん」
一緒に戦うことになり、ふたりは"合体"することにした。依月の背中に幼依月がおぶさって、修行着の紐を背中でくくりつけ、がっちりと固定する。
右手親指と左手が使えないので紐の結びにかなり苦労しつつ、時間をかけてなんとか不恰好にねじり上げ、ほっと一息入れて下を見やる。
しばらく放置していたせいか、地面はもう見えないほど、果てまで黒々とした影で埋め尽くされている。
いまからここに飛び込まないといけないのか、と少しげんなりした依月は、そういえばと後ろを振り向いた。
「きみさ、前の世界のこと詳しかったよね。ここって、どうすればクリアできるか、知ってたりする?」
「しってる。まずだいじなのは、とにかくたたかって、いきること」
「戦って、生きること……」
「まけたら、だめ。ここだけはやりなおせない。いきれなかったら、そのままこころがきずついて、おわっちゃう」
「うへぇ、危ないところだったんだー……」
やり直せない。その単語を聞いて依月は身震いした。先ほど諦めかけてしまった自分。もしこの子が来なかったらと思うと、どんな未来が待ち受けていたのか想像もしたくない。
依月は反省して、右頬をぱちりと叩いた。
幼依月はそれを見て、目をぱちくりとする。
「じゃあ、倒すよりは生きることを大事に動けばいいんだね。きみはどう戦うの?」
「あなたにあわせる。赤をつかってるときは、わたしはなにもできない。青をつかいたいときは、つかってあげるから、いってね」
「一緒には使えないの?」
「むり」
「そっかー……青って、なにができるの?」
「わたしがつかえる闢則は、よっつ」
「ふむふむ」
「"あわふぶき"、"まといくさりかせ"、"おとしぼし"、"はしらまねき"」
「あわふぶきは今使ってるこれだよね。ほか3つはどんなの?」
「"まといくさりかせ"は、ひかりのひもを、つくるもの。あなたが、さいしょのしれんと、このまえのしれんで、ちょびっとつかってた」
「あー。……なんか聞いたことあると思ったら、さつ姉使ってなかったっけ? あれかな?」
「わからない、たぶんそう。"おとしぼし"はちいさくてまるいいわを、つくるもの。"はしらまねき"は、ともだちを、よぶもの。でも、ここだとつかえないみたい……」
「友達を呼ぶ……? じゃあ、今ここで使えるのは泡と紐と岩ってことでいい?」
「うん」
「う、うーん、なるほどね」
それは、果たして役に立つのか?
すこし戦力として不安になる依月だった。
「そろそろ、いこ」
幼依月は上を見あげてそう言う。
気配につられて依月も上を見るが、特になにもない、灰色の空だ。
「? うん。行くよ!」
自身から発せられていた、青の光を消し去る。
すると幻のように、上空に漂っていた泡がふっと消える。
ふたりは、自由落下に従って下へと落ちていく。
もうすぐ地面というくらいまで落ちたところで、一帯の日光が遮断され、暗くなる。
「げ、足きた!」
上をちらと見ると、例の「影の足」だった。
だが、この位置だと余裕で回避が間に合うだろう。
……もし落ちるのがもう少し遅かったら、或いは危なかったかもしれない。
依月は、しっかり眼下を見下ろしながら叫ぶ。
「とりあえず、着地してよけるよ!」
「わかった」
「迅・剛っ!」
赤い光を展開し、自身に纏わせて全身を強化する。ただし、強化値は四くらいだ。
後ろに人を乗せて、跳ねまわるわけにはいかない。
「ひさしぶりだな、このかんじ」
赤い光を浴びて、幼依月は目を細めて呟いた。
着地前に、拳を大きく後ろに振りかぶって、下に向かって強く振り抜く。
十のときほどではないが凄まじい風圧が発生し、影たちが大きくのけ反る。
その隙に地面に両足を付け、ぐぐっと沈ませる。着地の反動を利用して、立ち幅跳びのような要領で、前方に大きく跳躍した。
「よいしょーっ!」
弾丸のように目にも止まらぬ速さで飛んでいく依月。かなり猶予を持たせて「影の足」の範囲から脱することができたようだ。
やがて放物線は下向きに描きはじめ、依月は着地点をざっと予測する。
もう一度、拳を振りかぶって風圧を作りだし、影の隙を作って依月たちは着地した。
一瞬だけ、赤を解除。そしてまたすぐに発動。
「かけ直し、迅・剛っ!」
先ほどよりも圧倒的な強さを持った赤い光が、依月を包み込む。今度は皐月から教わった通り、胸、背中、肩、腕の4箇所のみの適用だ。
強度は最大。
掛け値なしの、依月の全身全霊。
跳ね回ることはできないから、逃げるのではなく、今度こそ全力で、立ち向かう。
「?」
依月からは見えないが、幼依月は、その強くなった赤い光を見て、なぜか不思議そうに首を傾げた。
「からのー……!」
依月はその場で一回転し、右掌で全方位を扇ぐように空間を薙ぐ。
それだけで暴風が吹き荒れ、近くにいた影たちが消し炭になる。それだけでなく、これは依月も想定外だったのだが竜巻が多数発生し、数多の影たちを巻き込みながら遠ざかっていった。
狙いがうまくいったことに、依月はガッツポーズをする。
「あとは、これでどこまでいけるか、だね……っ!」
依月は、無理やり笑顔を浮かべてそう言った。
風が収まり、影たちが波濤のごとく押し寄せる。
もう一度回転して風を起こしながら、近くにいた影に急接近し、一撃で屠ってまた次の敵へと向かっていく。左手も肘鉄くらいには使えるようで、右手と合わせて2、3体は相手取れる。舞の練習で培った、次の動作に繋げる動きを少しだけ意識しながら、流れるように戦いを繰り広げていく。
それは、赤の扱いに慣れてきたからか。或いはここで長いこと戦い続けてきたからか。
依月の動きはどんどん最適化されていく。
祟り神と闘ったときのような無駄だらけの所作は、今や殆ど見られなくなってきていた。
「うしろ、いっぴきいるよ」
「ありがとー!」
幼依月からの指摘に反応し、近くまで接近していた後ろの影を手刀で叩き切る。
かけた『剛』が強すぎて、軽く指が掠るだけでも倒せるのはありがたかった。
だが、依月は恐れていた。いつか、この状態でも一撃、また一撃と手数が必要になってくるその瞬間を。
そして、そうなってしまえば、いずれ依月たちは負けてしまうのでは、と。
ふと赤の修行を思い出して、依月は少し離れた位置にいる影に向かってデコピンを強く放った。
狙った通り、指向性のある暴風が生まれ、影は吹き飛んでいく。ある程度の距離まではかなり有効な牽制として使えることを発見した。
「みぎうしろ、おのもってるのがきてる」
「っと、りょーかい!」
視界がふたつあるというのは、それだけでも大きなアドバンテージだ。
今のところ青の使い道が思い付いてないのでただ幼子を背負っているだけだが、後ろに意識を割かなくてもよくなったのは、依月としても非常にうれしい。
巨大な斧を振り回す影をデコピンで排除し、少し戦線が押されてきたのでまたぐるりと一回転して、空気ごと薙ぎ払う。
この戦法であれば、当面はなんとかなるかもしれない。
依月は前向きにそう考える。
ぴくり、と背中から小さな振動が伝わった。
幼依月は、上をまた見上げている。
「おっきなあし、くる」
「え、わかるの?」
「うん」
依月がちらと見上げても、やはりなにも変わり映えのない空が広がっている。
とはいえ、それを無視するわけにはいかない。
また全方位を薙ぎ払って、一瞬赤を止める。
「迅・剛!」
今度は強度四、全身指定で術を掛け直し、走り幅跳びで遠くへと飛んでいった。
かなり離れたところで振り返ると、確かに元いた場所に「影の足」が発生し、ふみつけている光景が目に入る。
「うわー、これたすかるー!」
「またきたら、おしえるね」
「うん、よろしく!」
そしてまた似たような手順で着地、再度全力での赤を発動し、肉弾戦に戻る。
しばらく戦闘をしていくうちに、幼依月はどんどん不思議そうな顔になっていた。
依月から発せられる全力の赤を見るたびに、その色はどんどん濃くなっていく。
そして、何度めかの再展開後、我慢できなくなったとばかりに、幼依月は口を開いた。
「ねえ、その赤、あなたのぜんりょくなの?」
「え、うん……これ以上強くならないから、多分?」
自信なさげに依月は肯定する。
『迅』にしろ『剛』にしろ、依月の感覚と実際の最大値には妙なズレがあるのだが、これ以上強く掛けられないのだから、そういうものなのだろう。
……そう思っていた。
「へん。これじゃよわすぎる」
「へ?」
「ほんとうのあなたの赤は、もっとつよい」