第零話 その3
さて、のんびりした生活が続く夏休みに見えるが、漫然と過ごしているだけではない。
昼に起きて、晩御飯までずっと庭で舞の稽古だ。当日は十五分もの長さを大勢の前で披露しなければならない。なので適当に覚えてやり過ごすなんて真似は出来ないわけで。
依月は必死に覚えきれていない箇所を減らしていく。頭が悪いので、体に直接叩き込むしかない。一つ一つの型を覚えて、それを順番通りにこなす。
十五分ともなると、かなりの長さだ。
それでも、完成に近づきつつあった。
本番であからさまに間違えなければ、素人目には問題なく見えるだろう。
だが、監督は満足していない。
「こらこらあと二週間もないよ……しっかり、もう一回」
姉であり先代の舞姫でもある皐月は、監督として依月に発破をかけた。
ひぃひぃ言いながらも、依月はもう一度最初からやり直す。
「そもそも、型を追っかけているだけでは駄目なの。ただ順番通りに踊ればいいってもんでもなくて、その踊りが何を示したいのかとか、物語をなぞって表現していることを意識しなければ、私達が舞う意味はないってこと」
よくわからないアドバイスだなあ、と依月は思った。
「そんなこと言ったって。どの動きが伝説のなにを表してるかなんてわかんないよ」
わかるのはただ踊りの型と、町に伝わる伝説の内容だけ。それがどうお互い紐付いているかを想像するのは、決して簡単なことではないのだ。
「……それはおまえがただ動きを模して動くだけで精一杯だから。自分が物語の語り手であるという意識がない証拠とも言えるね」
その説明はあくまでも抽象的で、少女には分からない。
「語り手かあ」
「舞は、そのままこの町の歴史を語ってる。動きが、型が、って話じゃなく、踊りによって示される流れそのものが伝説なの。これは口では説明できないし、私もただ手本を見せるだけでしか教えてやれない。でもそれに気づけなければ、本番はひどい仕上がりかも」
休憩の時間になって、二人家の中に入りながら、皐月はそう言った。
何度も何度も反復し、ようやっとそつなくこなせるようになった程度の段階では、皐月の言う次元へと到達するのは適わないのだろう。
……曖昧にそう解釈しているが、かと言ってそこから上に進むには、理解があまりにも足りなすぎる。
依月は焦っていた。
自分に代替わりして、先代のような素晴らしい舞を披露できずに祭りが終わるのは、なんとしても避けねばならない。
そそくさと休憩を済ませ、修行へと戻る。伝説の内容は把握できていて、型も覚えられたのだ。あとはどうすればそれらを繋げられるのか。
頭が良くない依月は、愚直に踊り続けるしかできなかった。
「ひぃ……ひぃ……もうだめー……」
日が沈む頃にもなると、基礎体力の豊富な依月でも腕を上げることが敵わなくなっていた。全身を甘い疲労が襲い、思わず地面にへたりこむ。
地面の芝は踏み均されすぎて、練習していた周りだけ依月と同じようにへたっている。
つきっきりで皐月も指導していたせいか、彼女にもやや疲労の色が見て取れた。
「ここまでにしようか」
縁側に二人座って反省会。
教育者を目指す皐月は無表情ながらも、上手く育たない不出来な生徒をどうすれば向上させられるか、悩んでいるような気がする。
口頭による説明は不可能という時点で教育難度を跳ね上げている上に、十五分もの長さの踊りを実演だけで伝えるというので、効率が悪すぎるのはそうなのだが。
「おまえの頭と要領が良ければね……」
「ぐさっ」
先生としては言ってはならない台詞だが、依月には効果てきめんだ。悔しい気持ちはあるのだが、それ以上に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
主観的に見ても、自分が去年の皐月と同じように人の心を惹きつけられるとは全く思えない。
それは言い換えれば、皐月は頭も要領も良い天才肌であるということでもあり、確かに何でも卒なくこなす。大学受験もトップクラスの成績で通り抜けたほどだし、十年続けた舞姫も、初年度から依月ほどの修行はしてこなかったそうだ。
対して自分はと言うと目立った才能もなく、将来に特に思いを馳せておらず、やりたいこともない。
「……明日も頑張らなくちゃね」
小さく笑いながらそう言った依月だが、言葉はほんの少し弱々しかった。
翌日。
昨日の弱々しさはなんだったのか疑わしくなるほどすっかり回復した依月は、また昼過ぎに起きて秦月からの小言を聞き流し。
復活した新冷蔵庫様によりきんきんに冷えた素麺を大喜びで食べ。
弥美があきれ顔で見送る中、帰省して初めての散歩へ出ることにした。
玄関を出てしばらく歩くと、そこそこ大きな木造の鳥居がある。その先には長い粗末な階段が延々と山の麓まで続いているのだ。相当昔の人間が作ったのだろう、乱雑に平たい石が積まれているだけの簡素なものだ。
一般人が見ればげんなりする光景だが、すっかり慣れ切っている依月はふもとへの階段を無心で下りきったところで、田んぼに沿って左右に伸びる道路をまっすぐ右に進んでいった。
久しぶりにちゃんと歩く町は、やはりどれもが懐かしい。
車の一つも通らない砂利道に、山間の町ならではの清涼感が風に乗って漂っている。道端には濃い緑の雑草が茂り、空には入道雲が高く浮かんでいた。
船麓町を横切るように流れる清流、澄月川のほとりを歩くと、川の水が石を打ち付ける音があちこちで聴こえてくる。小さな鳥が頭上を飛び交い、鳴き声が響いた。
都会の忙しさとは、まるで別の世界が広がっている。
「落ち着くなあ」
ふっと声に出して呟いてみる。視線を上げれば山々の稜線が見え、その麓から目の前にかけてずっと田んぼが広がる。
馴染み深い自然を浴びながらまったりと歩き続けていると、田んぼの様子を見ている老婆とすれ違った。
「あら依月ちゃん? おかえり」
「あ、田中のおばちゃんこんにちわー。なんだか体調良さそうだねー」
人が少ない分、横のつながりが強い町だ。年齢層が高く子供も少ないので、それはもうつながりが強く、玄関に鍵をかけずに色んな家族が交流する。
この老婆は上凪家のご近所さんだが、昔から依月のことを家族のように可愛がっていた。
「こんにちは。お陰様で元気よぉ。最近は腰の調子もとっても良くってね。依月ちゃんは帰省してきたの? ごくろうさまねえ」
「えへへ。また今度お家遊びに行くね!」
依月の人懐っこい性格も由来しているのかもしれない。
ひとしきりの挨拶を済ませて再びまっすぐ歩いてゆく。
ただ歩くだけでは退屈なので、木製の電信柱を数えながら。
畦道を歩きつつ依月は、自分のことについてぼんやりと考えていた。
子供のころからずっと、何か大事なことを忘れて生きている……ような気がする。
このようなふとした時、ついつい考えてしまう。
自分は特に頭もよくないし、目標もないし、得意というほどのものもないし。
『世界の声』が聞こえるという不思議な現象以外はまったく特徴がない人間だ……そう自己評価している。
その『世界の声』も馴染み深いものなのに、何故か物足りなさがある。
もっと他になにかがあって、それが抜け落ちているような。もやもやする感覚だ。
この違和感は、少なくとも幼少期からずっと続いている。
でも、心当たりはなんにもない。
「ふう」
ため息ひとつ。
電信柱の数が四十を越えたあたりで田んぼのそばの畦道は終わり、ようやく多少は舗装されたまともな道路に合流した。舗装はところどころひび割れているけれど、これもまた味と言えよう。
その道を少し進んだ先に、大きな石造りの橋がかかっている。非常に時代を感じる古びたアーチ構造の無骨な作りで、一般に眼鏡橋と呼ばれるものだ。
橋の上から下を覗くと、澄月川の美しい清流が白い飛沫を上げながら涼しげに抜けていた。飛沫が川のそばの草木たちにかかっており、気持ちよさそうに葉っぱを揺らしている。
小学生時代のように川で思いっきり泳ぎたい欲に駆られるが、懐かしさとともに仕舞い込んで橋を渡りきった。
そこから景色を眺めながらぼーっと川沿いの道を歩いていると、いつの間にか町で一番大きな集落へたどり着いた。
いま依月が居るのは町役場や民宿、公民館などの主要施設が集まった通りで、ここから地続きで商店街と言えなくもない小さな店の集まりもある。
どれも施設としては大したものでもないが、中学生までの依月にとっては一番の遊び場だったのだ。
町唯一の娯楽施設といっていい駄菓子屋の前を通って店の中を覗くが、人は出払っているようで電気がついておらず、うす暗い。
……なぜだろう、ふと、すごくちっぽけなものに見えてしまい、ちょっと淋しい。
「あら、依月ちゃん? 帰ってたの?」
八百屋を営んでいる女性が帰省してきた依月の姿に驚き、声をかけてきた。依月も顔見知りに会えて破顔する。
「あっ明珠おばさん久しぶりー! ちょっと前に帰ってきたよ」
「あらそうなの。わざわざ何も無い町に夏休み使ってまで。おかえりなさい」
「何もないのがいいんじゃない?」
依月は笑って明珠おばさんの謙遜を否定した。
「そんなものかしら……。あっそうだ。丁度あとで上凪さんとこにお野菜持って行ってく予定だからいっぱい食べてね」
「ありがとー!」
軽く挨拶して、街歩きを再開する。
二十軒ほどが密集したこの町にしては大きな通りで、色んな人に田中のおばちゃんや明珠おばさんと同じようなやりとりをしていく依月。
依月は皆に愛され、また依月もこの町の人たちが大好きだった。
中学までよく遊んでもらっていた記憶を思い出し、船麓町の良さを再認識する。
「祭り頑張らないとなー」
と想いを新たに、背伸びをするのだった。
●いっちー①
依月はファッションが趣味です。中学三年生のころまではずっとシンプルなワンピースばっかりだったので、その反動ゆえか高校生になって以降、地方都市のショッピングモールに行っていろんな服を眺めるのが大好きになっていました。
ファッションのジャンルは問わず、ボーイッシュからガーリーまで何でも着ます。ただし脚がピッチリするのは嫌いです。可愛すぎると恥ずかしいみたいです。
お金は仕送り制でそんなにないので古着屋でコーデを揃えることが多いです。奮発して新品の地雷系をフルで買ってみたはいいものの、↑のせいで死蔵しています。
尚、ファッションの知識については雑誌や友人の知識から学んでいます。
以下キャラ紹介画像です。そのうちファッション一覧も載せようと思います。




