第七話 その1
第七話
依月がまともな初戦闘を終えて翌日。
秦月と皐月も含めた三人で、朝から外に出掛けていた。
八月も終わり間際ということで、山間の町には比較的涼やかな空気が漂っている。
百舌鳥だろうか、小鳥の囀る声が山に響き渡り。朝露をたたえた瑞々しい葉が、嬉しそうに揺れていた。
昨日の激しい戦い……ちりちりと焦げるような地での、悍ましい光景。その差になんだか不思議な気持ちになる。
どっちが現実なんだろう? 依月は寝惚けた頭で疑問を抱く。
「それで、どこ行くのー?」
新たな力を取り戻しに行くぞ。そう言われただけの修行着姿の依月は、あくびを噛み殺しながら秦月に問う。
「少し歩くが、町の西にある洞窟じゃ」
「……あれ、洞窟なんてあったっけ?」
町の西側は、ごつごつと勾配が強く、あまり人の手が入っていない土地だ。子供たちの遊び場や隠れ家としてよく使われているものの、大人たちはあまり立ち入ることがない。
例に漏れず依月も中学生まではよく西側のほうで友達と秘密基地を作って遊んだものだが、そこらに洞窟なんて見たことがない。
「ある。が、結界が張られておる。目には見えないし、近づくことも出来ん」
「……なんかまだ秘密いっぱいだねこの町」
依月は相槌を打ちながら、自身の常識が最早まともに機能しないことを感じていた。
「異能がからむ土地なんてどこもそんなもんよ」
「他のところもそうなの?」
「知らないけど京都とかすごいんじゃない? 陰陽師 対 妖の激戦区だし」
「!?」
さらっとまた新しく常識が壊される音を聴きながら、依月が深堀りしようとしたとき。
「あら上凪さん揃って。おはようございます」
近所の老婆と交差路ですれ違い、挨拶をしてきた。依月がまっさきに反応する。
「あれ、田中のおばちゃんおはよー。ばーちゃんと話してると思ったけど、一人なの?」
挨拶は依月に任せ、皐月と秦月は会釈にとどめる。
祖母、弥美は三人よりも早く外出していた。いつもなら近所の同年代と中央の寄り合いで駄弁っているものだが、弥美と仲の良いこの老婆がそこにいないということは。
「いいえ、今日は弥美さんは見てないわねえ。家にもいらっしゃらないの?」
「うん。わたしたちより先に家出たんだけど、寄り合いのほうにもいなかったんだ?」
「そうねえ。今日は皆さん予定あるからもともと集まるつもりもなかったのよ」
「あれ……。じゃあばーちゃんどこに行ったんだろ? じーちゃん知ってる?」
「いや」
秦月は首を横に振る。
上凪家は堅苦しい印象を与えがちだが、行動自体は皆自由奔放で、まとまりがない。
秦月も弥美も皐月も依月も、家族に予定を伝えて外出するという文化がまったくないのだ。
「ちなみに皆さんはそろってお散歩かしら?」
「そうですね」
皐月が淡々と答える。依月は目を泳がせながら、うんうん頷く。
「上凪さんがこんなに外で揃ってるのは珍しいわねえ」
「家族がそろう夏休みも終盤ですから。たまにはと」
「そ、そうそう!」
「あらぁ。とてもいいことね」
朗らかに老婆は笑う。皐月が生まれる前からずっと付き合いのある人なので、彼女たちの成長を喜んでいるのだろうか。
「じゃあお邪魔しては悪いわね。お散歩楽しんでね」
「うん、じゃーね!」
交差路で暇を告げ、三人は進む。老婆のシルエットが小さくなって、依月はほっと胸をなでおろした。
「そんなに挙動不審にならなくてもいいじゃない……」
皐月は呆れたように言う。
「逆にさつ姉堂々としすぎじゃない? わたしああいうのムリだもん」
「嘘がつけないもんね依月は」
「バカにしてる?」
「してないしてない」
「家族が集まって外出しているだけで不思議がられるわしらもわしらだが……」
ご尤もな発言に、依月と皐月はしばらく黙り込んだ。
「――そいやさ、さっき田中のおばちゃんから名字で呼ばれて思ったんだけど」
のんびり陽光を浴びて歩きながら、依月はふと思いついたように言う。
「ん?」
「上凪と巫って似てるじゃん。これなんか意味あるの?」
「もちろんあるよ。……説明するために、もう一つ。うちの山の麓にある社の名前はなんて名前?」
「え? 神薙鬼社……」
「一番最初は、先祖が”神薙鬼さま”と呼ばれたことがきっかけだったらしい」
皐月が秦月に目配せし、説明をバトンタッチする。
「左様。姫月様とその息子、陽月様が祟り神と闘う様を見て、人々がそう呼んだという記録が残っておる」
「ふうん。「ぎ」じゃなくて「き」なんだ」
「当時はまだ一般の農民に名字の文化が根付いておらん頃じゃ。それからしばらくして、姫月様が生まれた社が神薙鬼社と呼ばれるようになり、わしら一族の者は神薙鬼さまと呼ばれ続けたそうだ」
「……こわい呼ばれ方してない?」
「まあ畏れられていたのはあるじゃろうな。やがて時が経ち一般にも名字文化が根付いたころ、”神薙鬼”に姫月様の生まれた当時の環境を当て字に、”上凪”という名が生まれたという」
「へー思ったより関係あるんだねー。巫は?」
「……」
途端、秦月は黙り込んだ。皐月がため息をついて続ける。
「上凪が訛った結果」
「へ?」
「訛って、それにそれっぽい漢字がついた、それだけ。昔の先祖が便利ってことでそのまま異能者名として使うことにしたんだって」
「……」
雑な経緯に、依月は二の句が思いつかなかった。
気持ちは分かると、皐月は苦笑いする。
「世の中いくらでも似たような事例はあるし、真実なんてそんなものよ」
*
「わあ、こっち来るの久しぶりだなー」
家から歩いて40分ほど。一行は町の西側と呼ばれる場所に辿り着いた。
町の立地的に山沿いなのは変わりないが全体的に樹木は少なく、岩が大きく露出している。大きな岩にかぶさるように土が盛られて地形が作られており、人が住むには起伏に富みすぎていた。
イネ科の草がぼうぼうに伸びており、まったく手が付けられていない自然、という印象だ。
ぽつぽつと岩場の陰に古びた丸太や板が転がっており、こどもたちがここに基地を立てていたのであろう跡地が垣間見える。
小学生の頃の無邪気な遊び場を思い出し、少しだけ懐かしい気持ちになる依月。
しかし……。
「でも、こんなところに洞窟?」
大小岩がごろごろしてこそいるが、崖や山肌と呼べるほどの地形はなく、とても洞窟があるような場所には思えない。遠くに見える船麓町を囲う山々も、こちら方面だと滑らかな斜面なのでそれらしきものはありそうもない。
秦月が、懐から細長い紙切れを取り出し、地面に放る。
「闢則。斎庭常世祓・人」
青い光が波紋のごとく広がり、雑草が風にあおられるように放射状に靡いた。
「ふむ。人はおらぬか」
「ねーなにやったの?」
「人祓い。ここら一帯に人を立ち寄らなくさせる青の術ね」
「依月。今からお前にはこれと同じ力を取り戻してもらう。名を『青の闢則』。補助に長けた雑多な能力だが、使えると便利だぞ」
「ふーん。それが洞窟にいけばもらえるの?」
「……。こっちじゃ。ついてこい」
一瞬意味ありげな視線を依月に向けたが深くは語らず、秦月は進んでいく。
彼が向かった先は一見何もない開けた空間だ。洞窟どころか、周囲には小さな岩すらない。
この場所は依月もよく知っている。この近くに秘密基地を作っていた彼女たちは、ボール遊びをするときにここによく訪れていたから。
だからこそ、ここは何もないただの広い場所としか思えなかったのだが。
秦月は自身の身体を青く発光させ、右手を前に突き出す。
「闢則。巫洞開」
光が祖父の前方空間に根を張るように広がり、その形を露わにしていく。
根は何かを引っ張り上げるように、絡みつき、吸い上げ、少しずつ後ろに下がっていく。
やがて空間がひび割れ、その亀裂から岩肌が顔をのぞかせた。光によって引っ張られているのは、この岩のようだ。
斜め上に根はそれを引っ張り上げ続け、やがて空間がガラスのように砕け散ると、地響きとともに巨大な岩がその姿を現した。
「うええええええええ!?」
依月はあんぐり口を開けた。この夏何度驚いたか分からないが、今回はとびきりだ。
なにせ目の前に突然、太陽を覆い隠すほど大きな……小山と言っていいほどの一枚岩が出現したのだ。
その一枚岩の下部、つまり接地面に、人が入れるほどの小さな穴が開いていた。
なるほど確かに洞窟である。
「巫の精神修行の場、霊婁・垂朧の祠じゃ」
秦月は、依月のほうを向いて、厳しい顔つきでそう言った。
●「上凪」について
姫月は大人になり、息子陽月を産みます。その時代は名字の文化が弱く、二人には名乗る性がありませんでした。
護るだけでは呪いに抗えぬと悟った陽月はある日、[-公開不可-]の力によって[-公開不可-]と契約し、『赤の闘廻』の源流となった「闘の力」を手に入れます。
その鬼神のごとき様相から、人々は姫月と陽月を「神薙鬼様」と畏れ崇められるようになりました。
それ以来、かつて神を祀っていた社を神薙鬼社、また、始祖誕生当時の風景を当て字とし「上凪」という性を名乗るようになります。
●「巫」について
神薙鬼さま、上凪さまがいつしか訛り「かんなぎ様」と呼ばれ、やがて「巫」という当て字がつきました。
役職を名乗るうえでは適当なので、上凪家の人々もそれを受け入れました。
プロローグ第一話で秦月が言った通り、世間一般の巫とは意味も存在も全く異なるものですが、「神と対話して恩恵を得る」という点で見れば、彼らの持つ[-公開不可-]の性質的に、あながちずれた呼び名でもないのかもしれません。
なお「覡」でないのは字面の分かりやすさのためなので、特に意味はありません。