第六話 その3
「よーし!」
すこし、勇気が出た。
なんとなく自分も強くなったような気持ちがして、蛇に向かって薙刀を構える。
苛烈に襲い来る巨体を引き付けて、横っ飛びで躱す。
無防備な横腹に大上段で振りおろした。
しかしやはり金属どうしがぶつかるような音がして、弾かれる。
まったく歯が立たない。
薙刀がなまくらなのかと思って、一瞬不貞腐れそうになる。
でも、直後反撃とばかりに蛇が身を翻してきたので柄を盾にして防いだことで、その考えをすぐに捨てた。こんなに頑丈なのに、そんなわけないか、と。
であれば、足りないのは自分の技量、力量だ。
「足りないんだ……」
依月にとって扱いやすい力の範囲では、この蛇に届かない。
――依月にとっての二は、恐らく私にとっての百を超えているの。
いつぞやの皐月の言葉。
あれ以降、小数点以下の、ほんのちょっとの強化しかしてこなかった。
それで勝てないのであればいっそのこと、二くらいの力で、剛を発揮してみよう。
「もっかい、迅・剛!」
強い意志で言霊を発し、赤光が眩く輝く。強靭な光を纏った薙刀『迎暁』が耐えかねて、少しだけ軋む音が聞こえてきた。
薙刀を振るうと、風と光の奔流が空間を豪と包み込み、祟り神が踏ん張りきれず後ずさる。
術をかけなおしたら、祟り神に対する恐怖がさっぱりと消えた。
さっきまでぎりぎりで対応できていた敵の動きが緩慢に感じ、飛び込んでくる蛇に対し、直前で顔の側面に回り込む余裕すら出来た。
「やっ!」
依月は柄を持ち替え、刃のほうでなく柄の石突きを突き出した。
鈍い衝撃音。剛を通した石突きが面頬を打ち抜き、黒鱗が蜘蛛の巣状に砕け散る。
反動で依月と祟り神が逆向きへ吹き飛ぶ。
ごろごろ転がって、咳込みながら立ち上がると、ひび割れた鱗から煙を上げながらのたうち回る蛇の姿が視界に移った。
好機とばかりに、薙刀を握りしめて突貫する。
さっきの感触的に、打撃ではなく刺突でも貫けるに違いないと、薙刀を大きく引き絞り、勢いよく首元へと突きつけた。
まるでスイカに包丁を入れるような手応え。
硬いが、それでも。
「通った……!」
依月は渾身の力で振り抜く。薙刀は少し不穏な音を響かせながら、鱗を砕いて蛇の首元を浅く切り裂くことに成功した。
だが蛇はやられるばかりではなかった。態勢を立て直した蛇は尻尾を叩きつけて空へ跳ね、真上から牙を突き立てようと身を絞る。赤黒い毒液が滴り、依月の頬をかすめた。毒が身体を侵そうとするも、肌から蒸発するように一瞬で消える。
……既に仕事を終えた皐月と秦月が、静かに遠くで見守っている。
なんとなく、依月は迎え撃てる確信があった。
薙刀を上向きに引き絞って構えたまま、わずかに膝を折る。肺の底に眠る残りの力を一気に沸騰させ、刃先へ送り込んだ。
「おりゃっ!」
真紅の閃光。跳び降りる蛇の顔面に、真っ向から振り上げた刃が突き刺さる。瞬間、依月の両腕が痺れ、薙刀ごと後方へ押し込まれたが、衝撃波が蛇の頭からしっぽの先まで貫いた。
闇が裂け、火花じみた暗色の液体が四散する。
蛇は甲高い金属音のような悲鳴をあげながら、二つ、三つに割れて宙で霧散した。
静寂。
――終わった?
自身を纏っていた赤の力が抜ける。
依月は柄を支えに膝をつき、肩で大きく息をした。
心臓がばくばく言っていた。
胸元から腕へかけて、細かい痺れが残る。
達成感よりも、安堵と疲れのほうが大きかった。ほんの半月前まで戦いとは無縁だった少女は、今しがた成した出来事に実感が湧いていなかった。
「お疲れさま」
温かい手が依月の肩に乗せられる。
のろのろと右後ろを向くと、皐月が無表情ながら労いの雰囲気を漂わせて傍でしゃがんでいた。
肩に載っていた手はゆっくりと頭のほうに向かい、ぼさぼさに広がった髪を優しく撫でつける。
「ま、多少ハラハラもしたけど。よくやったじゃない。上出来」
「うー……。さつ姉ぇ……」
なかなか貰えない姉の賛辞を受け、依月はなんでか、ほろりと涙がこぼれ落ちた。
思わず、姉の胸元に飛び込んですすり泣いてしまう。
びっくりしてしばらく硬直していたが、不器用に背中を叩いてあやす皐月。
それを見て、微笑ましそうに秦月が寄ってくる。
「懐かしいな。皐月が初めて神狩りを為した時もこんな感じじゃった」
「言わないでよ……それに十一の頃でしょ」
「十六でも泣くもん!」
「はいはい。落ち着いたら帰るよ」
「ぐすっ。もうちょい……」
ひっついて離れない依月を適当にあやしながら、皐月はしゃがんだ姿勢のまま秦月を見やる。
「で?」
「まあ、力押しだが及第点でええじゃろ。明日には三人で青の試練にゆこう。しかし……」
言葉を切り、秦月は依月のそばに横たわる棒きれを見やる。
「あぁ、これね……」
皐月も困ったような顔でそれを見る。
「……」
気配を感じてぴたりと音が消える依月。一切微動だにしなくなった妹を尻目に、秦月はそれを拾い上げた。
「頑強な巫武具を壊しよるか」
秦月の手にあったのは、長い木の棒だ。棒の両端は金具で固定されており、片方の先にはひび割れた金属片がついていた。
……薙刀『迎暁』のなれの果てだ。刃部分が砕け散っており、破片が辺りに散乱している。
「依月」
「はい」
「何か言うことは?」
「ごめんなさい」
姉の大きな胸の中にうずめて決して顔を見せない依月。
先ほどとは違う意味で引きこもったのを見て、皐月は大きなため息をついて依月の頭を軽く小突く。
「まあ、武器におまえの力が合わなかっただけでしょ。迎暁が弱すぎた」
「代々伝わる家宝になんたる言い草じゃ! 壊れたのは仕方ないとしても、もう少し敬意というものを持たんか!」
「てか依月。最初おまえレッスン1クリアしたときと同じくらいの剛で闘ったね?」
「うん」
「無視するな!」
「はいはいすいませんでした気を付けます。――教えない私も悪かったし、がっつり戦闘訓練もしてないから仕方ない気もするけど、あんな丸太も砕けないちっぽけな力で祟り神に勝てるわけないよ」
「あー……、どうりで硬いと思ったよー。結局二くらいでもギリギリだったけど」
「武器の振り方とか、インパクトのタイミングとか、弱点とか戦況判断とか色々な知識がいるから。軽く見ただけでもさっきの戦いは力みすぎだし、武器への流動も雑だし、振り方も力が伝わりにくいフォームだし。実際私はさっきのおまえの三分の一くらいの剛で闘ってた」
「うー……」
暗に自らの才能のなさを指摘されているような気がして、涙腺が緩んだ表情のままようやく顔を上げる。
鼻水を手で拭ってやりながら、皐月は依月を立ち上がらせた。
姉は少し離れて、残った蛇の残骸を青の術で燃やし尽くしていく。
ぶつぶつと文句を垂れていた秦月は、やがて諦めて依月のほうに顔を向けた。
「さて、実質の初戦はどうじゃった?」
「大変だったし、こわかったよ!」
「そうか。あれだけの力があっても恐怖心が残ってるのはいいことだな」
「そうなの? あ、でもさ。赤を強くしたらこわくなくなったんだけど、あれはなんでなの?」
「存在の位階が上がるからのう」
「そんざいのいかい?」
聞き慣れない単語に、孫娘は頭を横に傾ける。
「巫参色という力が神由来のものだと言ったじゃろう。そのせいか、巫参色を使っているうちは、我々は人よりもはるかに強大な存在で、ただし神よりは劣る存在となる。異能の世界ではこれを”位階が上がる”と表現する」
「ほえー。レベルアップ的な?」
「分からん例えをするな。巫参色の出力量にもよるが、祟り神の位階は大体が異能発動中の巫よりも下に属するため、本能的に畏れを持たなくなるそうじゃ」
「なんとなくわかったような、わかんないような……」
「まあ、赤を強く発動したら気持ちもいっしょに強気になるって認識でいいよ」
「あ、なるほどねー!」
作業が終わって戻ってきた皐月の補足に納得の顔を見せる依月。
当然ながら、秦月は憮然とする。
「雑すぎるじゃろ……」
「ここ半月、異能という知識の海を浴びせ続けた結果、こういう説明が一番依月に効くのが改めてよくわかったから」
「バカにしてる?」
「いやいやシンプルな説明っていいよねって話」
「それはそうっ! いっつもむずかしいんだよねさつ姉の話!」
呑気な会話ですっかり回復した依月は、皐月のこれまでの小難しい説明を思い返して思いっきり指を突き付ける。
「ゴメンネ」
「バカにされたことは簡単に誤魔化されとるな……」
秦月の呟きは、鼻で笑って謝罪する皐月にしか届いていなかった。
――こうして、依月は無事初戦を乗り越え、また『赤の闘廻』の基礎習得を完了したのだった。
戦闘後、少しハイになってテンション高めのいっちーです。
前回体当たりしただけで消し炭になったのに、今回やたら敵が硬かったのには複数の要因があります。
が、一番は「依月が強すぎて、武器が弱すぎた」ことでしょうね。つまり迎暁くんとそれを選んださっちゃんが悪いという。
●祟り神について
夜、船麓の山奥に定期的に出没する、蛇神の呪いの残滓。船麓周辺奥地にある3箇所の「呪点」と呼ばれる呪いの集積地から、数やサイズがランダムに生まれてきます。
頻度は2~3日に1回くらいで、3か所のうちどこかから発生します。数か所同時に発生することもあります。巫は統計をとっており、大体の予測が付いています。
それだけでなく、巫はなんとなくどこで出現するかの予兆を感じとることができます。これにより討ち漏らしが起きません。
ごく稀に呪点以外からも出現することがあり、この場合特に巫には迅速な対応が求められます。
これらには明確な意志・目的がありません。ただ徒に生物を襲い、呪いを振りまきます。ただし、何故か依月には強い執着のようなものがあるようです。
姿は堕ちた時の蛇神によく似てはいるものの、実力や佇まいは大きく劣り、どこか虚ろです。
巫は気の遠くなるほど長い間、これと闘い続ける宿命を背負ってきました。
今では作業的に屠ることができるくらいには力量差があるのですが、巫参色が育ってない初期の頃は生傷の絶えない過酷な日々でした。
ちなみに、巫参色でしか倒せないということはありません。”膂力を強化した”だけの巫で対処できるということはつまり、普通に物理が効きます。(まぁ、アンチマテリアルライフルの接射でも鱗は抜けないでしょうが…)
体の組成は物質ではなく、”硬質な非物質”という説明が近いです。
また、一般人の目に見えないというようなご都合設定もないので、山奥以外で発生した時はとにかく対処が大変です。