第六話 その1
第六話
夜更け前の山気は、真夏だというのに冷たい。
船麓町を見下ろす天陰山の山頂――上凪家がただ「上」と呼ぶその場所で。
皐月が青い光の線で囲った直径二十メートルほどの岩棚の中央に、依月は正座で座っていた。
掌の上で、赤い光が静かに脈動している。
湯気のようにたおやかに揺らめいていたそれは、先日の暴走とは似ても似つかない。光の粒は円を描き、まるで心臓の鼓動に合わせるかのように、強弱を繰り返していた。
「――はい、三十秒経過。次」
皐月の声に合わせ、依月は返事もせず、掌を前に突き出す。
手を向けた先には、岩に突き刺さった古ぼけた刀がある。
刀の峰に掌が触れると、刀身全体が淡く輝く。
じりじりと焦げるような音とともに微振動する刀を、皐月は計測器を片手に静かに見つめる。
「三十秒。どうぞ」
「……ほいっ!」
依月は逆さまに刺さっている刀の柄を、人差し指でそっと押した。
それだけで岩が根元まですっぱりと裂け、刀ががんと音を立てて転がり落ちる。
刃が潰れているそのおんぼろのその武器を拾い上げ、皐月は頷いた。
「ん、ちょっと入れすぎだけど刀はしっかり耐えたし……いいんじゃない?」
「え、合格でいいの!? やったー!」
「強弱の微調整も、武器への赤の付与もクリアしたことだし、基礎レッスンはまあ一通り終わりね」
「ってことは修行終わりだよね! よかったー」
あれからさらに幾日。徐々に力に慣れてきた依月は、順調に様々な修行をこなしてきた。
今日はずっと、力を常に一定に強めたり弱めたり、古びた刀に『剛』を適用し、岩を割るという応用的な内容をずっと練習していた。
それも完了し、伸びをしながらうれしそうに立ち上がった依月を見て、姉は憐れみのこもった視線を向ける。
「まさか。たったこれだけの修行で使いこなせたと思ってるのなら舐めすぎね」
「うぇー、やっぱまだあるの?」
「基礎は終わり。これからは実戦による力の熟達を狙う」
「実戦ってもしかして……あれ?」
裂けた岩棚が元通りに修復される光景を尻目に、ふたりは揃って岩の上から飛び降りながら会話する。そのまま赤を纏って高速で下山する皐月に、依月はぴったり追従した。
「この一週間ずっと宿題と修行やってたお陰で、ちょっとは赤も扱えるようになったし、そろそろちゃんと巫としての仕事も体験してもらわないとね」
「やっぱり……あの蛇かぁ」
皐月は頷く。
「前みたいに焦って全身に『剛』をしない限りは大した敵じゃない。今日は私と一緒にこのまま呪いの跡地に向かおう」
「うー……わかった。ちゃんと一緒にたたかってよー?」
「そんな怯えなくても……」
武器を取ってくるという皐月の言を受け、一旦自宅に戻ることにした。
あっという間に山の中腹にある実家に着き、中に入る。
夕食は既に食べていたので、依月は玄関で待とうとすると。
「そうだ依月。蛇を狩るときはちゃんとした装束を着ようか」
「? さつ姉が今着てるみたいなやつ? そんなもの貰ってないけど」
「舞のときに着てた巫女服みたいなやつ、あれ実は巫装束の一種なの。千早と髪飾りはいいから、あれ着てきて」
「ほぇー、おっけー」
自室に戻り、衣装棚の中に仕舞ってあった舞用の装束に着替える。
千早を重ねないと巫女服のように見えるが、細部に独特な黄の紋様が入っており、非常に長い帯が後ろに垂れている。深い赤の緋袴の横側には白の羽織が重ねられており、これが大きく普通の巫女服と異なる点だ。
着替えて部屋から出ると既に廊下で皐月が待っており、依月の格好を見て小さく頷く。
皐月は、刀をふた振り持っていた。以前も見た装備だ。
そのうち短いほうを、依月に示す。
「使う?」
「え、怖い……使ったほうがいいの?」
「まあ一応、武器はあったほうがいい」
依月は一応受け取ってみる。不思議と、ずっしりと重かった。
ずいぶんと使い込まれた刀のようだが、手入れがしっかりしてあり、汚れはない。
鞘から少しだけ抜くと、装飾のように小さな文字が大量に彫り込まれている。
何となく意味がありそうな気はするが、依月にはよくわからない。
持っていれば心強そうなものだが、しかし……。
「んー」
「しっくりこない?」
「うん、なんか分かんないけど、そんな感じするー」
「そう」
皐月は依月から刀を受け取り、腰帯に差した。
「じゃ、蔵行こっか」
首をかしげる依月。蔵なんて、この家にあっただろうか?
皐月はうす暗い家の廊下を進み、突き当りの部屋の扉を開けて中に入る。
「蔵っていうか、ここ物置き部屋じゃん」
そこは雑多なものが置かれている部屋だ。あまり入ることのない依月ではあるが、あるのは書物やトイレットペーパーみたいな生活雑貨ばかりで、大層なものはない認識だった。
しかもあまり人の出入りがないのか、ちょっと全体的に埃っぽい。
「と、思うじゃん?」
皐月はにやと笑って、掛け軸の掛かっている奥の壁に、青い光を纏いながら手をつけた。
「闢則。巫蔵開」
皐月の言霊で壁が二つに分かれ、観音開きのように手前に厳かに開く。
開いた壁の先には、真っ暗だが更に大きな空間が広がっていた。
仰天のあまり目が点になる依月。
……この家にもまだまだ秘密が多いらしい。
「えーっ、なにこれー!?」
皐月が電気をつけると、依月は驚きの声を上げる
そこにあったのは山のような武具たちだった。
煌びやかに光り輝くそれは、まさに蔵と呼ぶにふさわしい様相である。
壁に掛けられていたり床置きされていたり、台座の上に鎮座していたり立て掛け台に飾られていたり様々だ。武器種も多種多様で、部屋を埋め尽くすほどの数があるのに、殆ど同じ見た目のものがない。
「これらは巫専用の武器たち。通称『巫武具』。巫参色を扱う者には個別の適性があるから、その資質にあった武器を選ぶ必要があるの」
「ほえー……」
「依月が私の刀を持って違和感を感じたのは適性がなかったから。もし適性があったらしっくりするのがよくわかるよ」
わくわくとした依月は試しに、一番近くにあった大刀を手に持ってみる。
「うわ重っ」
持ち上げようとして適わず、思わず踏鞴を踏んでしまう。
そして柄を握りしめてみて分かる、妙な違和感。
「ん~~……」
「この子は大刀『淡星波断』。譲渡型の赤と青が得意な巫に適正があるんだけど、ま、その表情を見なくても依月には合わなさそうね」
「うん、なんか違う気がするー……これはっと」
刀を元の場所に戻し、今度は隣にあった槍を手に取ってみる。
「んー? 軽いけど……」
「軽槍『霧棘』。迅に特化した巫に選ばれやすい槍ね」
「迅だけ得意な人とかいるんだー。っていうか、武器に名前あるの?」
「ここの全ては銘入り。巫の言葉には力が宿るからね、あらゆるものに名前がある」
「さつ姉のにも?」
「もちろん。長いのは蒼空長正、短いのは紺影小正。二刀一対、ほぼ青特化の巫武具ね」
「ほえー……こんなにいっぱいあったら、覚えられる自信ぜんぜんないや」
他にも数種触ってみて、どれもしっくりこない依月は途方に暮れた。
この部屋の武器は、軽く見ただけでも百は軽く越えている。
「ねえさつ姉ー、今からしっくりくるやつ探すの? すっごい時間かかりそう」
「いや、今回はいい。まだ赤しか取り戻してない段階で武器を決めても仕方ないし」
「え、じゃあなんでここに? これから蛇たおすんじゃないの?」
「焦らないの。祟り神に丸腰で挑むのはちょっと危険だから、得物が欲しい。でも今の段階で専用装備を決めるべきじゃない。そんな時にいいものがここにある」
迷いない足取りで部屋の右奥に向かい、角に立てかけてあるそれを手に取って、依月に手渡した。
長い木の棒の先端に太い曲刀がつけられている武器だ。
装飾は少なく、質実剛健な印象のそれは重くもなく軽くもなく、違和感はないがしっくりもこない。
「これは?」
「汎用巫武具、薙刀『迎暁』。これは特性がない代わりに誰にでも扱える。同じシリーズで刀版もあるけど、武道素人にはリーチがあるほうがいいでしょ」
「なぎなたかー。これ持ってっていいんだね。どう使えばいい?」
「突いて良し、叩いて良し。切って良し。刃の向きに気を付けて両手でしっかり持って、前に構える。これで刀よりも怪我しにくいし、簡単でしょ?」
「簡単に言うけどさぁ……」
そう独り言ちながらも、薙刀をぎゅっと胸にかき抱く。
そのまま、既に部屋から出ようとしている皐月を慌てて追いかけた。
二人が蔵から出るとひとりでに壁が閉じ、また何の変哲もない埃くさい物置き部屋と化す。
「じゃ、じじーに言って出ようか」
「はーい」
居間の襖をあけ、テレビを見ながら何かしら書き物をしていた祖父に顔を出す。
「御爺様、今から依月と祟り神狩ってくる」
「かってくるー」
「ほう。もう基礎はいいのか?」
「さっき終わった。適当に迎暁使わせて神狩り体験会してもらおうかと」
「思ったより順調のようじゃな。ではわしも行くとする」
「ほぇ?」
「え、御爺様も来んの?」
思わぬ提案に、姉妹そろって目を見開いた。
「何を驚いておる。以前修行の具合を確認すると言ったじゃろう」
「あー言ってた。じゃあ三人で出かけるんだ?」
「いいけど無理しないでよ。御爺様もう歳なんだから」
「馬鹿にするな!」
沸騰した秦月をさておいて、皐月は玄関へと向かった。
依月はあとに続き、秦月は自室に装束を取りに向かう。
秦月が出てくるまで、依月は庭で薙刀の手ほどきを軽く受けた。とりあえず斬る動作が上手くできそうになかったので、突く動きと叩く動きを少しだけ練習する。
赤の適用も、特に問題なさそうだった。
「待たせたな。行こうぞ」
紺の装束を着てきた秦月と合流し、三人は赤い光を纏って山を下りていくのだった。
●皐月の武器について
大太刀「蒼空長正」と小太刀「紺影小正」の二刀流スタイルです。
とはいえ、専ら「斬る」目的で使うのは殆ど大太刀のほうだけ。手数が欲しいときに限っては小太刀も使います。
青の力で精緻に刻まれた言霊が大量に仕込まれており、力を流すことで予め組み込んでいた複雑な闢則を展開可能です。
大太刀は生成・拡張を。小太刀は操作・機動系の能力をそれぞれ管理/補助しています。
皐月の刀術は中学一年生のとき、”異能総会”のとある人から指南を受けました。
皐月が基本大太刀のみで立ち回るのは、その人が一刀流の使い手だったからです。