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神祇の彼方 -B.T.D.-  作者: VBDOG
■プロローグ:神風の吹かない町
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第零話 その2

 扇風機の前を陣取って、依月はぬるい麦茶を飲んでいた。

 頬は相変わらず膨らんだままである。

 結局のところ、おんぼろだらけの家なのは間違いないのだ。いずれ色々買い替える必要が出てくるに違いない。

 頭の固い祖父とて、そんなことは分かっているはずなのに。


「あああああ~」


 がたがたと揺れる扇風機に、お腹のあたりに溜まったどろどろをぶつける。どろどろは、細切れになって廻る羽を通り抜けていった。


「子供みたい」


 それを見て苦言を呈したのは、皐月である。居間に入るやいなやの台詞に、依月は更なる不満顔で振り返った。


「だってじーちゃんがけちなんだもん」

「じじーがケチなのと、妹が扇風機で宇宙人ごっこをするのに何の関係が?」

「ストレス解消だよ」

「そりゃ最高ね」


 言いつつ皐月がちゃぶ台に置いたのは、真っ赤に熟れた西瓜が沢山乗った大皿だ。

 途端に依月は顔を輝かせる。


「すいか!」


 跳ねるようにちゃぶ台の前に飛んで行った依月は、もう先ほどの不機嫌を忘れていた。


「鳥頭」


 姉の暴言を聞き流し、依月は西瓜にかぶりついた。よく冷えた果実が、口の中で弾けてゆく。瑞々しい夏の味に、依月の顔はほわっととろけていった。


「おいしいねぇ……っ!」

「ご近所さんからもらったの。よく冷えてるでしょ」

「うん、やっぱり夏は冷たいものに限るねー」

「そう、その感想が肝よ。じじーにも食べさせてエアコン導入の重要性でも説こうかと思ってたんだけど」

「いい作戦だね! で、じーちゃんは?」


 十五分前に祖父は出て行ったきり、居間に戻ってきていない。依月はわざとらしく見渡すポーズをとった。


「多分町会。祭りのミーティングじゃない?」

「あー……そっか。じゃあだめだね」


 がっかりした表情で、大げさにうなだれる依月。

 実に表情豊か。

 見ていて飽きないのか、皐月はにやにやと頬杖をついて依月を観察していた。


「帰省先が無様な環境っていうのも、逆に今の生活に有難みを感じていいかもだけど」

「そんなもんかな? 寮生活して半年経つけどわかんないなー……」

「いろんな意味で今を生きてる依月には無理な感性かな?」

「ぶー」


 皐月は大学一年生であり、賃貸住宅で一人暮らしをしていた。依月より先んじての夏休みを利用した帰省ということもあり、不便な実家に思うところは多いようだ。


「出なきゃ気づかないことも多いよ。本当にいろいろと」


 依月は姉の言葉に首を傾げた。


「たとえば?」

「そのうちわかる」


 すぐはぐらかすんだから。

 少女は小さく片頬を膨らませた。

 頬をつついて潰しながら、皐月は色褪せたテレビの画面に目を移していた。


 先ほどから流れていたのは、どうやら依月には小難しいニュース番組のようだった。


『──では、先ほどのVTRにもありましたように、昨今の地震騒動は科学的に不自然な点が多々見られると、専門家の意見は一致しているのですね?』

『ええ、地震が起きるメカニズム、原因にはいくつかパターンがあるのですが、そのどれにも当てはまらない件が多くですね。究明や対策、予測などが難航しています』

『こちらの資料の通り、このように殆どの地震はプレート境界上に発生するとされていましたが、ここ数年の統計を見てみますと、世界中のあらゆる場所で起きており、一部の専門家はプレート説が間違っている、などといったような過激な意見を出すようになってきていますね』

『えー私個人の見解ではプレート説以外に、新たな地震となる要因が生まれたのでは? と考えているのですが、推測の域を出ないです。えー何よりその新たな要因というのが具体的に何なのか、といったところも研究中ではあるので――』


「さつ姉、チャンネル変えていいー?」


 不思議な表情で番組を見ていた皐月は、哀れな妹の提案に半眼で振り返った。


「ちょっとは情勢に興味を持ちなよ……」


 年頃の娘にとっては、ニュース番組は高校のつまらない授業と同じである。


「だって、最近ずっと地震ばっかじゃん。もう見なくてもわかるもん」

「それだけおかしな現象が起きてるってことでしょ」


 ここ数年、世界中で地震が多発していた。場所を選ばず、時を選ばず。

 場所によっては大規模な陥没が起きたり、港町がひとつ丸々海に沈んだりといった大災害もあった。

 そして、それは年を追うごとに徐々に被害や頻度が上がっていっている。

 長年研究してきた専門家でさえ、意味不明さに頭を抱える始末。


「日本でもかなり頻発してきてるんだから、おまえも備えくらいはしときなさいよ」

「えー? なにすればいいかわかんないよ」


 依月は不貞腐れたように言った。

 今を生きる少女にとって、未来を見据えた行動など無理なわけで。


「おバカ……」


 皐月はお手上げとばかりに両手を上げるのだった。



  *



 木々に遮られて尚、それでも夏の日差しというものはどこまでも追いかけてくるようで、縁側の床板にはくっきりとした屋根の影が刻まれていた。

 木々は青々とした葉を風に靡かせ、細波のような音を奏で。耳を澄ませば、遠くで小さな小中一貫校の学生たちが運動場で大声を上げているのが聞こえてくる。


 そろそろ懐かしくなりつつある中学時代に思いを馳せながら、依月は縁側に座ってぼんやりと空を見上げていた。


 結局祖父が帰った頃にはスイカもぬるくなってしまい、エアコンを導入するという目論見は失敗。ただ徒に暑いという、げに素晴らしき夏の醍醐味を満喫中だ。


 なにも考えずにぼーっとしていると、まるで自分以外の時が止まったように感じる。蝉の鳴き声すら遠ざかり、木々の揺らめく音だけがざわりざわりと耳を撫でた。


 誰にも共感してもらえないのだが、そうやって自然の声に身を任せていると、「自分」と「世界」が直接繋がっているかのように、色々な情報が頭に流れてくる。

 風の気分や、雲の行き先。虫たちの生活や、果ては木々の噂話に至るまで。


 とても不思議な現象であるのだが。

 依月は、この声なき声をのんびりと聴くのが好きだった。


 殆どの声には、あまり意味を感じ取れない。ただ、彼らがどう生きているのかといったざっくりとした情報が頭のなかに入ってくる。

 アゲハ蝶が依月の目の前を通り過ぎていったのでそちらに注意を向けてみると、彼は気まぐれにあてもなく飛び回っているようで、次に目についた花の蜜を吸いに行こうと旅をしている最中であった。

 気ままな生活を送る彼に思わず依月もにっこりして、彼に一番近い花の意識を探してみたが、残念ながら当分旅をしないとご馳走にはありつけないようだ。依月は心の中でエールを送る。

 また、遠いところでたぬきが寝息を立てているのが聴こえてきた。こちらに集中してみると、暑さにぐったりとしながらも、願望だろうか。延々と美味しい水を飲む夢をみているようで、口の中で舌がちろりちろりと動いている。


 ……本当に彼らがそう考えているのか、またその情報は本当に彼らがもたらしているかは、依月には分からない。


 姉も祖父も祖母も友達も聞こえないという、不思議な声。


 自分だけなぜ……とは昔から考えていたが、生まれついてずっと馴染み深いものだし、誰にも分からない以上あまり悩んでも意味がない。

 なので今日もゆったりと『世界の声』に耳を澄ませ、心地よいメロディーに浸っていた。


 今日一番気になったのは、今朝からずっと木々が興奮していることだった。


 木々の噂話は曖昧なものから詳細なものまで色々と読み取れる。

 この山に生えている木は老齢ばかりであるせいか、退屈な山の中では多くの新鮮な情報が、娯楽としていつも駆け巡っていた。

 なんでも、彼らの中で有名な『お方』が、近々この地に帰ってくるらしい。


 有名な『お方』って誰だろ? 木? それとも、人?


 この力は依月から伝える事は出来ない受信のみの権能だ。噂話から想像するしかない。

 木は動くことが出来ないので、この地にやってくるのは難しい。

 そうなると、やはり人か動物か……。

 そして時期的に、近々訪れるというのであれば、きっと目的は一つだと依月は思った。


 毎年恒例の夏の祭り。


 座っているのも疲れてそのままばたりと後ろに倒れ込むと、対面の居間の壁にかかった時計が目に入った。針は午後三時を回ったところで、太陽が最も山に差し込む時間帯だ。

 時計の下のポスターに目を移して、再来週に迫った祭りについて考えた。

 その祭りの名は、「船麓無神祭(ふなもとぶじんさい)」という。

 祭りの名称の元にもなっているこの町、船麓町に古くから伝わる言い伝えをモチーフに行われる催しだ。

 それなりに毎年賑わっていて、娯楽の少ないこの地では一番盛り上がる行事。

 沢山の出店が並び、この町にはこんなに人がいたのかと毎度吃驚するほどごった返す。

 小さな神社で行われるこの祭りは……この祭りだけは。

 依月も胸を張って他の地の友人達に自慢できるのだ。


 祭りの主役となる演舞、『鬼姫(おにひめ)(まい)』。

 それは、この地に残るとある伝説を、踊りで表現するというものだった。

 依月は祖父から耳にたこができるほど聞かされているその伝説を思い返す。


 ――曰く、この地には、神さまがいないらしい。




  昔々、世界が神さまによって治められていた、ずっと前の出来事。


  その町は、ある蛇神によって治世されておりました。


  ある日、蛇神は他の神との戦に敗れ、祟り神へと堕ちてしまいます。


  高貴で理知をたくわえた瞳は、憎悪と暗黒に染まり。


  あちこちへ呪いをまき散らしながら高天原へと、復讐に昇ってゆきます。


  この町は山々に囲まれ、人々が呪いから逃げるすべがありません。


  腐りゆく作物。燃え広がる呪いの黒き炎。


  人々は神のいなくなった社で祈りつづけました。


  すると何時の日か。風も月も無き夜に、不思議な子供が社の中で生まれたのです。


  町の人たちは驚き、贈りものとして皆で大切に育てました。


  子供はあっという間に成長し、真白き光を放ちて、呪いを静めてまわります。


  子供は町のため、光の力をふるいつつ静かにこの地を繁栄させたといいます。



 この町で細々と語り継がれる伝説は、今も尚大きな力を持って町を守り続けているとされ、毎年それに感謝し祭りとして盛大に盛り上げられる。

 形骸化した今、依月にはこの伝説が本当だったのか知る術はない。

 だが、なんとなく本当だったんだろうなあと信じている。

 その根拠に確固たるものはないけれど。

 自分が信じることに対して真っ直ぐな性格なので、疑うことを知らないのだ。


 それに、全く嘘だと思えない理由が一つ――



…………

……



 夜。


「……」


 月明りすら届かぬ深い森の中。


 黒装束は、手に持った刀を一度振り下ろして血を掃いながら、小さくため息をついた。

 黒装束の後ろには、二十匹もの巨大な蛇が、首を落とされて倒れている。

 体長数十メートル、胴回りが直径四メートルを超えるであろうその体躯には、とても自然界で生まれたとも思えない罰当たりな呪詛が刻まれており、ところどころが焼け焦げていた。

 黒装束はそれらを眺め、もう一度ため息をつきながら刀を鞘に仕舞う。

 宵闇の中。黒装束からわずかに見える白い肌と、闇夜に輝く暗菫色の瞳だけが妖しく輝いていた。右も左もわからぬ夜の帳、何も思うところもなく。


 ふわり、と。黒装束の身体が青い光を放った。


闢則(へきそく)饗土御祓火(あえどみはらび)


 人差し指を大蛇に向けて呟くと、青い光は指先に収束し、大蛇へと飛んでいく。光を受けた死体は、その長い体の全身が発火し、瞬く間に灰と化した。その光景を見届けて、感慨もなく踵を返して去っていった。


「蛇神の呪いなんかに構ってる暇ないのに……」


 ぽつりと呟いた言葉も、闇に吸い込まれて消えていく。

●B.T.D.について

大した意味はないのですが、一応いまは秘密です。複数のニュアンスを持たせています。

言っても絶対伝わらないので書きますが、「D」のひとつは幼い自分が描いていた作品への郷愁とリスペクトです。

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