第四話 その4
「あー、すごい疲れた……」
状況が落ち着いたのを確認し、皐月は大きく息を吐いてから、草の上にゆっくりと腰を下ろした。
青空を映した雲間から差す柔らかな日差しが、戦いの痕を赤く染めた広場をほんのりと温めている。
秦月も同様にひざまずき、光の刃が消えた手元を見つめながら荒い呼吸を整えていた。
「出し尽くした。もう今日は限界じゃぞ」
「同じく。でも思ったほどのヤバさはなかったね」
「ほぼ動いておらん状態の赤だけでこれ、と思えば凄まじいものだ」
「ああ確かに。確かな自我があったら危なかったのかな」
先に回復した皐月が、うつ伏せになっていた依月をひっくり返す。
寝てるか意識を失っているかと思ったが、そうではないらしい。
ぼんやりと、何かを考えている様子で、空中を見上げていた。
なんども瞬きしながら、やがて依月は真顔で皐月に視線を向けた。
「さつ姉」
「ん?」
「体がやばいんだけど……」
「ごめん、痛い?」
「いやそうじゃなくって……なんていうか、自分の感覚が、どこにいるかもわからなくなりそうで」
依月は緩慢に手を動かし、自分の顔や腕にそっと触れた。。
今にも崩れそうな脆いものを触っているような、慎重で丁寧な手つきだ。
「ちょっと動いただけでなんか飛んでいきそうで怖い! なにこれ!?」
「ああ……」
半眼になり、袂から絹の袋を取り出した。
中には四つの小さな球がひそやかに光を放っている。
紺色が二つ、空色が二つ。
親指と人差し指でつくった輪ほどの珠だ。
その珠を依月の両手にそっと乗せると、震えていた少女の身体にゆっくりと安堵の波が広がった。
彼女の中で渦巻いていた混乱と過剰な力が、まるで引き戻されるように収まっていく。
ぐっと楽になった上体を起こし、依月はきょとんとした表情で珠を見つめた。
「なにこれ?」
「巫の力を制限する封具。そもそも……おまえ気づいてる?」
「なにに……ってここどこ? なんでわたしは倒れてたの? ってかあれ!? 舞はどうなったの!?」
身体が楽になったことで、湯水のように湧いてくる疑問。
依月からしたら、舞の最後で赤い光を見たと思ったら、次の瞬間ここで倒れていたようなもので。
冷静になればなるほど意味が分からなくて、目を白黒させる。
「話してやるから落ち着かんかい」
秦月もようやく話ができるほどには回復し、依月のそばへと寄ってきた。
困惑に満ちた目を、秦月に向ける。
「とりあえず、舞に関しては無事終わったと思ってよい。見ておったがなかなか良かったぞ」
「あ、そうなんだ……へへ、よかった」
「舞の後、おまえは赤い光に包まれ、巫の力のひとつを取り戻した。じゃが、力の暴走でおまえは自我を失い、それを治すためにここでわしらと闘っていたのだ」
「たたかってって……」
周囲を見渡すと、辺りは惨憺たる有様だった。
広場はまるで小さな戦場のよう。
中心には深い裂け目ができ、焼け焦げた草木の匂いがかすかに鼻を刺す。
乾いた風が砂埃を巻き上げ、三人の間を吹き抜ける。
「わ、わたしが?」
依月の視線はふと皐月へと向かい、姉の頬に深い切り傷が刻まれているのを見つけた。赤い血が光る傷口が痛々しく、胸が苦しくなる。
「さつ姉、その怪我って、わたしがやったの……?」
「ああ、そうね。そういえば忘れてた」
皐月はなんともないように言うと、少しだけ顔周辺を赤く光らせた。
「快」
その言葉とともに、時が逆巻くかのように傷がふさがる。
切り傷が閉じていくさまはまるで魔法のようだが、完全には治癒しきれずに小さな瘢痕だけを残して止まった。
とっさに謝ろうとした依月はぎょっとして思わず息を吸い込む。
「足りないか……おまえと戦って力がすっからかんだ」
「ご、ごめん……?」
「ああ、ちょうどよいな。今皐月が見せた赤い光。おまえの身体にも宿っていないか?」
秦月に指摘されて、依月は自身に渦巻く力に意識をようやく向けることが出来た。
――皐月の見せた赤い光と同じ気配がする。
右の掌に目を向けると、そこから自然と赤い光が発せられた。
どこかあたたかく、力強い。
そしてなんとなく、これがどういうものなのか、使い方がわかる。
不思議そうに、自身の眩い掌を見つめた。
「わぁ……」
「ああ、取り戻した力の記憶で出し方はわかるんじゃな」
「ええっと、これって、体のなにかを強くする、力?」
「そうだ。それは――」
秦月が説明しようとしたとき。
ぞわりと、唐突に不気味な気配。
荒れた広場の奥のほうから、果て無い闇が凝縮するような光景が見えた。
三人が同時にそちらを見やると、巨大な、あまりにも巨大な、黒々と燃え盛る蛇が何もないところから現れ、こちらを睨みつけていた。
「げっ最悪」
皐月は鼻に皴寄せながららしくもなく悪態をついた。
依月は貰った珠を袖の中にしまい込んで、慌てて立ち上がる。
依月を庇うように皐月が刀を持って対峙するも力は既になく、少し困った様子で行動を決めかねていた。
秦月も錫杖を握りしめ、重い息を吐きながら呟く。
「巫の力にあてられたか……嫌な時に来よる」
身体を作り上げた邪なる蛇――祟り神は、一直線に依月のもとへと咢を開けて突貫する。
前回の恐ろしさを思い出し硬直する依月を尻目に、皐月はひとつ舌打ち。前に出て刀で受け止める。
「くうううう……はあっ!」
赤い光を一瞬放ち、裂帛の気合と共に蛇の一撃を刀で受け流し、頭上へと跳ね返す。
その隙に、目線だけ依月のほうへ向けた。
普段の余裕は、ない。
「無理! 依月、初陣。おまえがやって!」
「エッ!? ななななにをどうすればいいの!?」
皐月の予想外の提案に、びくんと依月の身体が跳ねる。
力の記憶を得たといっても、ぼんやりとしか概要を把握できていないし、そもそも依月はあの祟り神のことを、何も知らない。
でも、切迫した事態なのは誰が見ても疑いようがなく。
秦月は、仕方ないとばかりに頷き、錫杖を高く掲げながら祟り神の前に立ち塞がる。
「説明する! お前が取り戻したその力『赤の闘廻』。身一つで困難を打破する強大な能力じゃ! 今からわしのいう言葉を復唱しろ!」
皐月と秦月は祟り神の攻撃を何度となく受け流し続けながら、依月を守るように盾になった。
全身に不安と緊張が走る中、依月はへっぴり腰で小さく頷く。
「『剛』。膂力を高める言霊だ!」
「ご、剛!」
依月が声に出すと、全身から赤い光が迸り、内なる強さを呼び覚ます。
その過程で、どこを強化するのか選択する必要があることを、ぼんやりと理解した。
全身をイメージする。
直後、纏う光が格段に力強さを増し、身体と混じりあうような感覚を得た。
軽く腕を振るっただけで強烈な旋風が巻き起こる。
全能感――依月は、まるで世界がとても小さくなったように錯覚した。
それほどの力。皐月は大きく目を見開く。
「出鱈目……とりあえず、赤で強化した部位で攻撃すればこいつはダメージを受ける。なんでもいいからやって!」
「わ、わかった!」
何度目かも分からない祟り神からの攻撃を迎え撃ち、皐月は依月に発破をかける。
わけが分からないが、力を発揮してから蛇のことがまったく怖くない。
いける。
一歩を勢い良く踏み出すと、踏み込んだ反動で足元の地面が爆発したように派手にめくれあがり、依月は見当違いの方向に弾丸のように飛び出していく。
「!?」
広場の逆側にまでごろごろと地面を転がり続けて、ようやく停止する。
ちょっと一歩進んだだけなのに。
ひっくり返った依月は混乱の極みにあった。
「ち、力が強すぎる……! 調整して再展開させる余裕はない……なんとかして!」
皐月が呆れながら叫ぶ。
依月は一つ一ついちいち威力の出る動作に苦労しながらかろうじて立ち上がった。
あれだけ転がったのに、身体には傷ひとつついていない。
踏み出した足でなんども地面を陥没させて転がりながら、ようやっと皆のところへ戻る。
依月は必死で力を制御しようと試みるが、まったく調整ができない。
ほんのちょっとだけ、今の状態を理解した。
動きに細かな強弱調整が効かない。どうしてもぜんぶが大味になるのだ。
なので、やけくそとばかりに、皐月に受け流され大きな隙を晒した蛇の横っ腹に、全力で体当たり。
とりあえず、皐月から離れてほしい、小さな牽制のつもりだった。
それだけなのに。
その一撃で蛇の肉厚な鱗を砕き、全身を塵と化し。
踏み込んだ脚の勢いが強すぎて、地面に巨大なクレーターが空き。
術者そのものは勢いあまりすぎて、遥か遠くまで吹き飛んでしまった。
「……」
「……」
皐月と秦月は巻き上がった土煙に晒されながら唖然とし。
「……ほぇ」
依月は広場の隣にそびえる山の中腹に頭から突き刺さって。
山肌にめり込んだまま、小さく目を回しながら情けない声を漏らしていた。
次回エピローグです。