第四話 その3
光の球が入って以降、依月は目を閉じて倒れたままたった。なにかが胎動しているような音がする以外はまるで寝ているかのようだが、そういうわけではなさそうだ。
「すごいな」
とは皐月の言。色々と準備を済ませたらしい彼女の目には、依月の中から止め処なく溢れてきている何かがはっきりと見えている。
「活火山の噴火口みたいね」
「言い得て妙じゃな。実際似たようなものだろう」
「これは……力を身体に馴染ませてる感じ? 巫用に身体をチューニングしてるように見える。……ああ、だから赤が最初になるのね」
「十年ほど力の一切を抜いて、一般人として育ってきとるからな。力をきちんと扱えるように肉体を再調整しておるのだろう」
秦月は、どこかから持ってきたのか、長さが身の丈ほどもある大きなの錫杖のようなものを、片手で担いでいた。
仏具の一般的なそれとは異なり、棒の先に角に刃のついた菱形の金具がついている。金具には四つの穴が開いており、穴には金の円環が通され、そこから苦無のような刃がぶら下がっていた。刀身には、皐月の刀同様なにやら文字が複雑に刻み込まれている。
「今のところは想定の範囲内だが、問題はいつ起きるかじゃ。お前はどう見る?」
「この感じだと、数分しないうちに終わるんじゃない? それよりも懸念としては、この胎動のタイミングに合わせて力が激しく凝縮されているような印象をうけること……。下手に解放されたら衝撃で一帯が更地になるかも」
「なに、それはまずい! 皐月、社に結界を張るぞ。苦手とは言わせんからな!」
「はいはい……。どうせ三十番台が限界だから御爺様の補助に回るけどいい?」
「よい。わしが『隠世殻』を使うから、お前は『明詠鏡』重ねでわしの負担を散らせ」
「了解。五一とは、贅沢なことで」
「そこまでの事態だ」
秦月は錫杖を屋根に置いて身を翻すと、身体からまばゆい緑色の光を輝かせた。社の外壁屋根を駆けまわるように素早く移動すると、秦月の足元から緑の光の線が軌跡として残っていく。
光の線が始まりの場所と繋がって一周すると、ひと際大きく発光した。
「五一式:隠世殻!!」
秦月は互いの五指を合わせながら裂帛の気合でそう叫ぶと、光の線が緑色に輝く壁となってせり上がり、社の四方を取り囲んでいく。
立方体ほどの高さになると天井も生成され、社内部が隔離されるとともに、内部の景色が大きく色褪せる。
よく見ると、風で巻き上がった木の葉や砂埃などが空中でぴたと止まっていて、依月の胎動で漏れる光以外のすべてが、停止しているように見えた。
二人して、結界の外側上面に立つ。
皐月は結界の出来に内心で舌を巻きながら、追従して自身を緑色に発光させる。しかし、普段の皐月の赤や青の光、秦月のそれとは違い、儚く弱い光だ。
「七式:明詠鏡」
両手の親指、人差し指、小指をそれぞれが別軸直角になるように立て、立方体を模したポーズを取る。それを広げると、手で作った図形の中に、緑色の箱が出現する。
それを腕ごと広げながら前方に打ち出すと、秦月の作った結界内側に沿うように広がり、すっと溶け込んでいった。
「一応四枚重ねはできた。私の緑でどこまで保つかは知らないけど」
「よかろう。これで無理なら『禁界輪』を使うまで」
「……止めはしないけど。それ使った後御爺様倒れるじゃない?」
「重ねて言うがそこまでの事態だ。心配するな」
「いや、その後の対処が私だけになるのが面倒で嫌なだけ」
「なんじゃい!」
秦月が沸騰しそうになったその瞬間、風も吹かない結界の中で、豪、と力の奔流が吹き荒れた。油断した秦月はつんのめる。
「丁度終わったみたいね」
皐月が抜き身の刀で指し示した先では、依月が目を閉じたまま、ゆっくりと浮かび上がっていくところだった。赤い光に包まれ、空中に留まるさまは、神々しさと禍々しさ、どちらも内包する厳かな光景だ。
完全に身を起こすと、光が少し収まる。
そして、目が明いた瞬間。
産声とでも言うのか、世界に対し、爆裂のような赤い波動が襲い掛かった。
「ぐっ!?」
結界を維持していた秦月は、その威力の高さに驚愕する。頭に血管が浮き出るほど力を籠めて、結界の維持に努める。皐月の用意したほうの結界は四枚とも一秒と絶たず爆散し、彼女は諸手を挙げてやれやれと頭を振っていた。
それを見た秦月の頭の血管は、違う浮きあがり方を見せる。
びしり、と嫌な音を立てるが、それでも尚、赤い暴威から一帯を守り抜くことに成功した。しばらくして、波動は収まり静寂が訪れる。
――結界内部は、何の変化もなく、無傷だった。
秦月は息を切らせながら言う。
「隠世殻を解くが、社を壊されるわけにはいかん! なんとか場所を変えるぞ!」
「向こうの広場に行こう。私が連行するから」
光の立方体がはらはらと消えていき、秦月が屋根の上で膝をついて呼吸を整えている。
皐月は、依月を素早く観察する。
依月は、目を見開いているが、やはり瞳に意志を感じない。全身から常に立ち上る湯気のように赤い光が発せられており、目も怪しく輝いている。
今にも、さっきのような爆発が起きそうだ。
「依月」
「……」
「聞こえてる? 依月!」
「……」
「駄目ね」
一度ため息をついて。
納刀。
「迅」
皐月も言霊を発して自身を赤く光らせる。
「ちょっと手荒に行くけど、まあ……おまえなら大丈夫でしょ」
一瞬で依月のもとへ低姿勢で肉薄し、腹部分を掌底で斜め上空に向け打ち据えた。
「剛!」
振り抜く瞬間言霊を変え、依月を高く遠く吹き飛ばす。皐月はそれに追うように跳び、空中で合流する。光を赤から青へと変える。
「闢則。纏鎖枷」
青い光がまるで細長い縄のように伸びて、依月の身体をぐるぐると縛っていった。しかし、依月は僅かに嫌がる素振りを見せただけで縄は消し飛び、身じろぎの余波として赤い光が水滴のように飛んでくる。
「おっと……迅ッ!」
それをすんでのところで赤い光に変えた皐月が避け――頬に掠っただけで凄まじい威力だ――再び青い光に戻して、再び依月の捕縛を試みる。
「なら、こうかな。闢則。籠鏡結……と、天環、あと纏鎖枷」
今度は厚みのない青い鏡が依月の周りに複数出現し、そのさらに外周に、光の輪が何十枚も取り囲む。その輪の一つに先ほどの縄が絡まり、皐月がそれを引っ張ることで移動する檻の完成だ。
依月から時折光が漏れると、鏡が反射して空のほうへと流している。一撃で鏡は壊れるが、すぐに新たな一枚が交代し、隙を作らない。
空中を跳びながら位置調整し、社から少し離れた場所にある開けた土地へと移動した。
「さて」
頬から垂れる血を雑に拭いながら、周囲を睥睨。人はおらず、建物もない。暴れられてもなんとかなるだろう。
秦月も遅れて跳んできた。
「天環で運ぶとは考えたな」
「座標固定で運べば反撃も少なくて良さそうだったし」
皐月の発想力に秦月は思わずと言った感じで唸る。錫杖を地面に突き立て、自身は緑に発光し、指を組んだ。錫杖がしゃらしゃらと鳴り、同じく緑色に輝いていた。
「とにかく、予定通りわしは緑で妨害、防御に注力する」
皐月は視線を依月から外さずに頷き、抜刀しつつ赤く光らせ待機する。
「三六式:村雨垣」
秦月の言霊を介し、周囲空間に無数の光の刃が展開される。
「とりあえず呼びかけながら自我の復活を試みろ」
秦月にそう言われるまでもなく、皐月は前に飛び出し、依月に向かって再び右手で掌底の構えを取った。
「おはよう依月。朝だよ」
顎に掌を打ち付け、かちあげる。
「そんな挨拶があるか!」
秦月のツッコミは無視して、皐月は油断せず次の動きを考える。
依月は上を向かされたが、特に効いた様子はなく、無表情で反撃とばかりに光を拡散させてきた。皐月は躱して、秦月は緑の壁で防御する。
「気つけってことなら、もうちょっと強いのがあるね……」
今度は掌底でなく、ずっと左手で持っていただけの刀を構え、前方へ駆け出した。刀には青く刀身を光らせているが、本人は特に何も光っていない。
「闢則。帰灯魂切」
依月はその刀の危険性に気づいたのか、初めて自発的に動いた。すなわち、迎撃の構えである。刀に触れないよう、右手に莫大な光を留め、刀とそれをぶつけあわせる。
がきん、と金属どうしがぶつかるような硬質音が鳴り響く。
「……? 赤に物質への干渉能力はないはず……」
「あまりにも再生密度が高すぎるんじゃ! 生身で触れるなよ!」
秦月は冷や汗を流しながら皐月に指摘する。既に様々な術の多重使用で息が上がってきているが、無茶を通さんとばかりに更に光を強める。
「三式:鎮守輪!」
皐月の周囲に薄い緑の膜ができる。依月から飛び散る光を防いでくれているようで、皐月は防御を考慮しなくてよくなる。
とりあえず、皐月はより攻勢を増すことにした。
…………
……
皐月と依月の高速鍔迫り合いが膠着し、十分が経った。
皐月は青い大刀、依月は赤い両手で、お互いを一撃必殺で攻略せんと全力で切り結ぶ。
状況として姉妹で殺し合いをしているように見える現在に、皐月は思うところがないでもない。
だが、元々予定されていたものだ。
どんどん仏頂面になっていくなか、依月の動きが良くなってきており、一方で皐月の力の限界も迫っている。少しずつ攻撃の好機が減ってきているのを自覚する。
あまり時間はかけられない。秦月が維持している光の刃は、依月が触れると激しく反発し、簡単に外に出るのを許さないが、それでも常に力を消費している都合上、やはりそのうち限界はくる。
面倒な。息を上げながら皐月は素直にそう思った。
ならば。
「展・過・迅・剛!」
後先を無視して、限界を超える。
刀身から光を消し、身体を赤く光らせて依月に肉薄する。おでこに掌底を食らわせるが、前方に吹き飛ばさないよう、反動を外に逃がす。
純粋な衝撃だけが体内にとどまり、くらりと、依月がふらついた。
同時に、最初の爆発のような、凄まじい波動が噴出してくる。
だがこれは予想通りだ。
事前に視線でやりとりしていた秦月が限界まで力を振り絞り、光の膜と密集させた刃で波動を抑え込む。ちょっとでも油断して触れると即死しそうな暴威を前に冷や汗が止まらないが、それでも、秦月は防ぎきる。
そして、そこを乗り切ると、爆心地のようになった地形の中心に、ダメージを負って体勢の崩れた依月の姿が見える。
その隙をつく。
「闢則。帰灯魂切!」
刀身を再び青く光らせ、依月に向かって振り抜いた。
刀は体をすり抜けて、なにか物質で無いものを切った感触を得る。
納刀。
鈴、と涼やかな音が鳴った。
「おはよう」
依月は糸が切れたようにばたりと前方に倒れ込む。
その直前、皐月の視界には、瞳に光が戻った妹の顔が見えていた。
作中で使われた術たちについては第一章にて説明予定です。
恐縮ですが、今はなんとなく雰囲気だけ感じていただけたらと。