第四話 その2
今回からしばらく、いわゆる”神視点”です。
少しだけ時は遡る。
「……土壇場でやるじゃない」
「ずいぶんと動きが良くなっとるな。一体どういう心境の変化じゃ?」
皐月と秦月は、独特な和装束を着て、社の屋根上でしゃがんで舞を見物していた。秦月は紺色の、皐月は以前依月と山奥で出会った時と同じ、真っ黒な衣装。
二人とも、依月の舞の出来に困惑を隠せない。
そこには、舞に意味を見出せない、これまでの依月はいなかった。
不安定に揺れる、一昨日の依月もいなかった。
「皐月、お前が昨日おらんかったのはわざとか?」
「そこまで見越してのものではないけど……。舞自体は及第点出せるんだから、あとはマインドの問題だったし、ずっと一緒にやるよりも、お互い頭を冷やして空気変えたほうがいいかと思って。かなりしょげてたからギャンブルだったけどね」
「お前な……まあ結果として成果が出たならよい」
「にしても一昨日と変わりすぎだけど。妹の思考回路はどうなってるんだろうね」
立派に、自分なりの解釈で舞を踊る依月を見て。
使い込まれた鍔のない刀をこめかみにとんとんと当てながら、皐月は苦笑を零す。
依月の舞は終盤に差し掛かっており、『恵みの舞』に入ったところだ。
「む、あの阿呆、表情崩しよったな」
「どうせ最後までは無理だと思ってたから、まぁ」
まるでミュージカルのような様相で締めに入った依月を見て二人がため息を零すが、惜しみない拍手と笑顔の観客を見て、諦めたように二人も拍手を送る。
これもまた、一つの方向性か。と二人して思う。
「さて、ここからじゃな」
秦月は立ち上がり、表情を引き締める。
皐月はしゃがんだままだが、切れ長の瞳は鋭さを増していた。
舞が終わった直後から。二人は祭りの喧騒とは別の、何か凄まじい力による騒がしい気配を感じている。
依月もお辞儀をしようとしたところで、なにやら突然動きが緩慢になり、茫洋とし始めていた。傍から見たときの、『世界の声』とやらを聞いているときの依月と同じ状態だ。
皐月は目を細めた。
「御爺様、一応この後の流れを確認しときたいんだけど」
「ああ」
「依月の力が戻るタイミングは?」
「既に始まっておる。地下の霊婁から凄まじい胎動を感じないか」
「まぁ」
「なんじゃ淡泊な」
「いや、現実に理解が追い付いてないだけ」
皐月は、元々依月には膨大な力があるとは聞いていた。
だが肌に感じるその気配に、いくらなんでもこれはないだろう、と思った。
「デコピン一発で山が消し飛びそう」
「……潜在的な、という意味ではそうかもな。だが性質的に、破壊に向いたものではない」
二人には、一般の人には見えないものが見えている。
それは、真っ赤な光の筋。
雲間から差し込む光芒のように、地面のいたるところから、幾条もの光線が空に向かって伸びていっている。
それは、普段「それ」に慣れ親しんでいるはずの二人をして、怖気が走るほどの規模だ。
「話を戻して、この後は?」
「まずは真っ先にこいつじゃな」
秦月は手に持っていた記号や文字の書かれた一枚の短冊を示す。それを見た皐月は頷き、同様の短冊を懐から出し、手に取った。
「範囲は?」
「一人二キロずつでいい」
「了解」
「「闢則。斎庭常世祓・人」」
秦月が右に、皐月が左に、同時に短冊を眼下へと放る。
それらが地面に刺さった途端、青い波紋が広がった。
棒立ちになった依月に心配そうな雰囲気を漂わせ始めていた観客たち、また楽器隊、屋台の店主、祭りの管理人――この場にいたすべての人たちが、なんの脈絡もなく、一斉に足早に社を立ち去っていく。
表情を見るに、そのことに対して誰も疑問にすら思っていないようだ。
あっという間に依月以外いなくなった社。光がどんどん強くなる地面を皐月は観察する。
「ふぅん成程。赤だけ、ね」
「他はまたの機会だ」
「でしょうね。で、これから?」
「依月が力の記憶と赤を取り戻すだろうが、恐らく力が暴走する。それを抑えつつ自我を戻す、以上じゃな」
「わかりやすいことね」
皐月がため息をついて、肩にかけていた大刀と、帯に差していた脇差をそれぞれ鞘から引き抜いた。
刀身に複雑精緻な文字が入り乱れて掘り込まれた二刀は、皐月が強く握ると青く輝いた。
「想定よりも十倍は面倒そうだから、ちょっと準備する」
「うむ」
刀に意識を集中させた皐月を尻目に、秦月は真剣ながらも、どこか苦渋に満ちた表情で依月の状況推移を観察する。
徐々に、力の本流が地上に上がってきている。
今の状況は、上凪家にとっては望ましくない選択の結果である。
秦月は既に受け入れているが、だからといって心から納得したわけではない。
「すまないな」
誰に向けた言葉なのか。秦月は皐月にも聞こえない声量で、呟いた。
やがて、地面から拳ほどの大きさの赤い光の球が現れた。空中を頼りなく漂っているそれは、しかし見るものが見れば卒倒するほどの強大さを持っている。
赤い光の球は、依月のほうへ、勢いよく飛んでいく。
身体の中に入っていった。
のけ反る依月。勢いで、後ろに倒れ込んでしまう。
仰向けに舞台の上に大の字になった依月から。
どくん。
世界が、歓喜する音が鳴り響いた。
●「鬼姫の舞」について
かつて姫月が[-公開不可-]に披露した舞をベースに、彼女の人生を示唆したニュアンスを取り込んだものが、現在にまで伝わる鬼姫の舞です。
全部で3つの楽曲があり、それぞれ異なるテイストの踊りで構成され、各5分×3で計15分もの長さになります。必ず、上凪家の女性が踊ります。
船麓の人たちは無神祭のこのイベントを年一の楽しみにしてきました。舞を見るとふしぎと勇気をもらえる――そんな感覚が、町の人々にあるのです。
社の地下に巨大な霊的な空洞…通称霊婁と呼ばれる空間があり、依月の赤の力が封じられていました。これを解くには、依月が本番で舞を披露する必要があります。
本当は完全に封じてしまいたかったけれど、いつか力を取り戻させる必要があるかもしれない…そう考えた秦月はこのような条件を設定しました。
この舞を舞うということは巫の責務を負うという覚悟の顕れでもあり、依月が力を取り戻すことになる条件としては最適でした。
もしも必要がなければ…依月がこの舞を踊ることは一生無かったことでしょう。