第四話 その1
第四話
しゃん、しゃん、という鈴の音とともに。
舞台袖から、練習通りにゆっくり壇上へと上がる。
舞台からだと、それはもう沢山の人が集まっているのがよくわかった。練習では分からなかった、圧倒的な人の視線。
気づかれないよう少し下を向いて、最後の最後に残っていた小さな緊張を、小さな息に包んで吐き出した。
依月が中央に立ち、口元に弧を描きながらお辞儀をすると大きな拍手が鳴り響いた。
のち、静寂が訪れる。
依月は両手を前方に開いて一礼、何かを恭しく受け取るような動作をとる。
『首座拝領の型』。
この町は、治世してくれる神がいない。
であるならば、誰がこの地を守るのか?
我々、上凪家である。
この型は、ある意味では傲慢ともとれる、上凪の永代続く覚悟の顕れである。
依月はそこまで深い意味を知らない。だが、舞への想いはそれに近しい強さだ。
静かに灯りが依月へと集まっていく。舞台横に待機していた十数人の楽器隊が、各々楽器を構える。音楽が鳴り始め、依月は扇子を開き、緩やかに動き出す。
観客は息を呑んだ。普段誰もが知る天真爛漫な依月とは打って変わって、厳粛で神秘的、表情も憂いを帯びた、透き通った天女のような印象を与えている。
扇子を優雅に閉じたり開いたりしつつ、壇上を緩急つけて動き回る。
それは受け持った首座の責任。荒れ狂う呪いを鎮め回るため、各地を奔走し、戦い、癒し、護っていくような様を想起させる。
この地はこうして歩んでいくのだ。
これが我々の責務である。
――伝説に残るこの地の歴と当時の声を、舞が雄弁に語っている。
やがて、音楽は徐々に落ち着いてゆく。依月が二歩下がると、舞台照明が暗転し、静寂が訪れた。思わずと言った感じでまばらに拍手が鳴る。
町の住人は困惑と称賛、感嘆の想いで見守っていた。
「依月ちゃんやるじゃねーか」
「お姉さんに負けてないんじゃない? 言っちゃ悪いけど意外よね……」
「頑張ったんだろうなあ」
依月には一部聴こえていたが、表情に出すのをぐっと堪える。
曇天の雲間に、僅かに切れ目が見えた。
少し空白を置いて、違う曲調の音楽が鳴り始める。
太鼓の主張が強い、荒々しい楽曲だ。
『祓えの舞』。
力を持った神が、戦に敗れ祟られた。
あたりに死を撒き散らす呪いを以て、高天原へ復讐しに昇る。
その余波だけで、この地は終わりを迎えんとしていた。
だが、終わらなかった。
祈りで生まれた、こどもの力で。
この型は、この地に残る禍々しい呪いと、小さな女子の、長い長い戦いの始まりを告げるものである。
静動が強く入り乱れる舞だが、特に動が激しく、太鼓の音に沿って依月の全身と袖の長い衣装が大きく素早く跳ね回る。
それはまるで苦しんでのたうち回る蛇のようであり、懸命に呪いに抗う人のようでもあり、或いは勝ち目のない戦いを挑まんとしている戦士のようにも見えた。
ひと際大きな太鼓の連打とともに、勢いよく舞は終わる。ぴたりと動作を止める依月とは裏腹に楽曲自体は間断なく転調し、今度は静かで滑らかなゆったりした曲調の音楽が流れ始めた。
『鎮めの舞』。
命を奪う呪いは去った。
されど人々は未だ救われぬ。
大きくなったこどもは、やがてこの地の浄化をして回る。
こどもは祈る。
暗く枯れ果てた忌まわしき地に、ふたたび命が巡るように。
こどもは強き信念と清き瞳をもちて、穢れた地を染め直してゆく。
この型は、荒れて死に絶えた地と人々の凄惨さと、大きくなった女子が土地を清めていく歴史を告げるものである。
舞の緩急は弱く、常に緩やかに次の動作へと繋がり、川の流れのような印象を想起させる。
清くあれ。
世界にそう語りかけるかのように、静かで力強く、心を鎮めるような。
見る者の心を洗う舞だった。
最後に、跳ねるようなリズムへと転調する。
『恵みの舞』。
蓄えはわずか。
土地は清くなるも、しかし人は明日を生きられぬ。
呪いで朽ちた作物、こなせぬ山越え。
見かねたこどもは、いまいちど祈る。
果実よ、草よ。
偉大なこどもの、祈りの人生は続いた。
この型は、荒れた地での人の弱さと、豊穣を与えた女子のその後を示唆するものである。
舞の動きはどこかコミカルで、植物がにょきにょき生えてくるような、人々が喜んでいるような、そんな印象を与えてくる。
だが、そんな中でもどこか力強さと、一抹の悲しさが内包されていて、一概に楽しくなるだけのものでもない。
ではあるのだが。
依月は、この『恵みの舞』が一番好きだった。今まで真剣に踊っていたが、観客の表情を見て思わず笑みを浮かべてしまい、そのまま最後まで笑顔で踊りきることにした。
あとで怒られそうだけど、これでいいや!
自分らしさ全開で舞う依月、楽しげな雰囲気が観客へ伝播する。
絶望を希望へと変える、鬼姫の旅路。それを思えば、依月の行動は間違いでもないかもしれない。このように人々を笑顔にしていったという解釈もあるだろうか。
そんなことは欠片も考えていない依月だが、舞台の全体を使って、全身で大きく楽しく舞って、歴史を描いてゆく。
それは、先代の皐月や過去の舞姫とは異なる、独特の魅力を持っていた。
やがて時間は過ぎて、最後の構えとともに、音楽は止まった。
万雷の拍手。
よかった、成功した。
息を切らせながら、依月は歓喜した。見渡すと、皆の笑顔に囲まれている。
いつか依月が望んだ風景だった。
広角は上がり、頬は火照って、全身がふるふると震えている。
強い、とても強い達成感があった。なんだか依月は泣きそうになっていたが、頑張って我慢する。
かわりに、観客に向けて太陽のように笑う。
曇天は、いつの間にか青空になっていた。
――打ち合わせ通り、お辞儀をして舞台から去ろうとしたとき。
大歓声の中で、依月は知らぬ間に『世界の声』と接続していた。
使った覚えはない。
疑問に思った次の瞬間、依月の足元――おそらく地面から、なにやら途轍もない、うねるような強大な意志を感じた。あまりの声の強さ、大きさに、依月は踏鞴を踏む。
それがどれだけ大きなものなのか、想像もつかない。
一体、どれほどの――。
――その声は、悲嘆に暮れていた。
――絶望の中に、一筋の光を見つけたような希望があった。
――すべてを包み込む、優しさと力強さがあった。
――だが縋るような、弱々しさもあった。
意志を感じているだけで、依月の心はぎゅっと押しつぶされそうになる。
その声は、ただ、依月に向けてこう言っていた。
『ずっと、待っていた』
直後。赤い光が、一帯の地面から吹き出し。
依月の視界を、真紅に染め上げた。
「――ほぇ?」
舞の披露について、依月が記憶しているのは、ここまでだ。