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神祇の彼方 -B.T.D.-  作者: VBDOG
■プロローグ:神風の吹かない町
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第零話 その1

よろしくお願いいたします。

立ち上がりが長く、しばらく退屈かもしれませんが…お読みいただければ大変うれしいです。

 ぼけた老婆が訥々(とつとつ)と語る。


 かつて、この世界は神々とともにあった。

 ささやく風、詠う木々、空を渡る星々は、神々の意思を語る者だった。人々はその声に耳を傾け、祈り、畏れ、時にはその力を借りて大地を守り抜いた。


 しかし、それは遠い昔のこと。


 人々はいつしか祈ることを忘れ、神話はただの物語となり、記憶の底に沈んだ。科学がすべてを支配し、秩序と進化の名のもとに神は淘汰された。そして、残された人々は未来を紡ぐために故郷を捨て、彼方へ散った。

 だが、神々の怒りは消え去ってなどいない。

 地球は荒れ果て、「神話戦争」と呼ばれた大いなる厄災の末、人類は、世界は、取り返しのつかない傷を負った。その残響はなおも世界を漂い、未来へと歪みを広めていく。もはや人類の力では、その歪みを癒すことはできない。



 ——少女、上凪(かみなぎ) 依月(いつき)がそれを聞くのは、途方もなく遥か先の話だ。


 今の彼女が知っているのは、山間の田舎町で、祟り神の呪いと闘い続ける日々。どこか欠けた日常と、胸にぽっかり空いた穴。祖父の厳しい言葉や、姉の背中越しに見る、不思議な祭りの風景。


 船麓町は静かだ。山々に囲まれ、季節ごとに移り変わる自然は美しい。

 しかし、この地には語られない秘密がある。依月が生まれた瞬間、理が囁くように決めた運命——彼女自身も知らぬまま、大きく動き始めている歯車のような秘密が。





 神祇の彼方 -B.T.D.-


  ■プロローグ 『神風の吹かない町』





  第零話


 バスを降りた依月を始めに出迎えたのは、田舎特有の濃密な空気だった。


 普段過ごす地方都市の乾いたそれとは違う、いつまでも変わらないままの湿った土と緑のにおい。

 劈くような蝉時雨が、じんわりと耳の奥に染みこんでくる。


「あっづぅ……」


 誰に言うでもない独り言だが、口に出したくなるのも仕方ないほどに雲一つない空。

 少女の腕には少し厳しい、重ためのキャリーバッグをアスファルトで転がす。

 ごろごろ、ごろごろと規則的な音を立てて進むが、一方持ち主は夏の暑さに辟易しているのか、あっちへふらふら、こっちへふらふらしていた。

 今年で十六になった少女は日焼けを嫌がる歳なのか、影を見つけるたびにそちらに吸い寄せられる。


「あれぇ、うちってこんなに遠かったっけ」


 そうは言いつつも、バス停から自宅へ向かう道は、どれほど長い間帰ってこなくても体が覚えている。

 真夏の太陽に照らされる細い舗装路。

 片側は雑木林、もう片方は無限に広がる田畑。

 風が吹くたびに青々とした稲が、さざ波を形作る。


 依月は目を細めた。


 昔は退屈で仕方なかったこの道。学校からの帰り道、緩やかな坂道を下るたび、さっさと家に着きたいとしか思わなかったのに。

 今やすでに懐かしく、この景色を見続けたいとさえ思っている。

 足を止め、ふと振り返ると既にバスの姿はなく、山の稜線が霞むほど蒼く遠く、空との境界が溶けているように見えた。


 歩き始めると、道端の木々が囁くように揺れた。依月にはその声がなんとなく分かる。即ち、「おかえり」と「久しぶりだね」である。

 周りに誰もいないのをいいことに、依月は彼らに向かってにっこりと手を振った。


 船麓町(ふなもとまち)は山に囲まれた限界集落である。

 少しの建物と、埋め尽くすような自然。

 町で唯一舗装されている川沿いの道をひとり進むこと十分ほど経つが、未だ集落どころか家ひとつ見当たらない。

 草木や風たちと戯れること更に十分。ようやく見えてきた小さな集落と数軒しかない商店街を抜け、大通りを外れて小さな畦道をえんえんと歩くと、やがてとある山のふもとにさしかかる。


 ——見覚えのある鳥居が見えてきた。


 赤く塗られた柱は少し剥げているが、その奥に伸びる石段は、依月の記憶の中の景色と全く変わらない。


 鳥居をくぐると、一瞬だけ足を止めた。

 山奥から吹き抜けてくる風は、どこか冷たく、こころが鎮まってくる。


「変わらないなぁ」


 キャリーバッグを担いで汗だくで石段を登った先、ようやく自宅が見えてきた。木造の古めかしい家は気持ち年季が入ったように見えるけれど、玄関先に立てかけてある箒や、庭に広がる雑草の生え具合まで、何もかもが記憶と重なる。

 どうしようもなく、依月のほおがふっと緩んだ。


「ん」


 蝉の声で満たされる中、依月は小さな一言を聞き逃さなかった。左のほうを向くと、縁側に座って読書していた全身真っ黒な服を着た女性と目が合う。


「さつ姉! 久しぶり!」


 依月の姉皐月(さつき)は、もう一度「ん」と片手を上げながら挨拶すると、本をぱたんと閉じて居間のほうへ引っ込んでいった。恐らく祖父、秦月(しんげつ)に伝えに行ったのだろう。

 『上凪』と書かれた改札を横目に引き戸の玄関を開けると、古い木と畳の香りが漂った。

 秦月と皐月が、対面で出迎えてくれる。


「ただいまー!」

「おうおかえり、元気だったか依月。今日は特に暑かったじゃろ」


 秦月は、小柄で細い体躯だが顔立ちはいかめしく、貫禄がある。久々の再会で多少好々爺然としているが、この化けの皮がはがれるのは間もないだろう、と依月はぼんやり思った。

 靴を脱ぎ、大きなキャリーケースを引きずって廊下を進む。視線を落とすと、廊下の端に小さな蜘蛛が巣を張っているのが目に入った。そんな細かなことまで、この家は変わらないようだ。


「超暑かったよ。昔はよくこんな中でも平気で遊べてたよねー」

「私は昔でも無理だったけど」


 皐月はそう言いながら依月からキャリーバッグを受け取り、奥へと持っていく。そんな長い黒髪と真っ黒な背中を見ると、淡泊でささやかな気の利かせ方をする人となりが懐かしくなって、依月はにまにまと表情が崩れた。


「何を笑っとる? ……まあ今日は家でゆっくりせえ」

「うん。久しぶりって言っても半年くらいしか経ってないのに、なんかすっごい懐かしく感じるなー」


 小走りで皐月を追い抜いて、もう使わなくなったかつての自室に向かった。

 障子を開け放つと、乾いた畳のにおいとともに夏日の差し込む古い部屋が現れた。

 部屋の中は記憶とぴったり一致すると思っていたが、家具はそのままなのに服や小物が置いておらず、少し淋しい気分がする。


「部屋、おまえが引っ越した当時のままみたいだから。落ちついたら居間にきなよ」


 荷物を隅に置いた皐月は、手をひらひらとさせながら部屋から出ていく。

 軽く感謝しながらそれを見届けて。

 擦りガラスの窓を開け放つと、むっとするような外気とともに、蝉の声が部屋の中になだれ込んだ。


「はー……」


 大きく息を吐き、畳にごろんと寝転がる。そのままぼんやりと天井を見上げると、長い間忘れていたこの家での時間が、胸の中にじんわりと広がるようだった。


 しばらく堪能したのちは、居間の隣部屋の仏壇に手を合わせに行った。古い写真立てが飾られており、若い男女が仲良さそうに寄り添っている。依月は「ただいま」と小さく呟く。

 それも終わったら、居間で三人で寛いだ。

 ちゃぶ台が一つと、端っこにボロボロの二人掛けソファ、あとは畳の上に座布団が何枚か。色褪せたテレビと重厚な棚が置いてあるだけの、簡素な部屋。

 しかし、不思議とそれが一番落ち着く気がする。


「——それで、ばーちゃんはー?」

「診療所。先日熱中症になりかけたからその予後を診てもらってる」

「え、大丈夫なの?」

「まあ大したことないよ。どうせ院内でおばちゃんたちとずっと駄弁ってる」

「良かったー、今年暑いもんねえ。じゃあ後で帰ってくるんだよね?」

「無限に喋ってなければね……」


 皐月は祖母、弥美(よみ)の休み知らずな話術を思い返し、少し遠い目になった。


「てか、さつ姉の大学もいま夏休みなの?」

「まあね。小中高よりも休み長いから神だよ」

「え、本当に?」

「2ヶ月ちょっとある。いいでしょ」

「うっそ、いいなー!!」


 朝刊を呼んでいた秦月が、早速の姦しさに片眉を吊り上げた。既に好々爺は居なくなりかけているかもしれない。


「帰って早々騒がしいのう……。で、向こうでの生活はどうだ? 友達はできたか?」

「うん。やっぱり街のほうはすごいねー。四クラスもあって一クラス三十人だよ! 女子とはみんな仲良くなれたと思う。寮生活も楽しいし、毎日遊んでるー」

「そうかそうか。長期休みなのに帰ってもらってすまんのう。いつまでこっちにおるつもりなんじゃ?」

「んー、月末まで?」

「夏休みはずっとこっちで過ごすのか?」

「うん。まあ悩んだけど、祭りのこと考えたらそうしたほうがいいかなって」


 妹の回答に、回覧板をチェックしていた皐月が目を離さないまま驚いたような顔をする。


「あれ、珍しく計画的?」

「だってわたし『舞姫』やるんでしょ? さすがに頑張らなきゃって思うもん」

「……ほう。高校生になって漸く、そういう責任感を持てるようになったかの」


 船麓町の唯一のイベント、夏の祭り。

 依月が寮生活を送っている高等学校のある地方都市から、わざわざ片道四時間もかけて帰省してきたのはこれに参加するのが理由だ。


「去年までさつ姉がやってたもんね。なんで今年からわたし?」

「ま、色々と経緯があるけど……」


 皐月はやや仏頂面になって、少し間を置いた。なぜだか、言葉を選んでいるようだ。


「舞が終わったら分かるんじゃないか」


 秦月も、その言葉を聞いて眉間に皴が寄った。が、特に何も言うことはなかった。


 まったり近況報告しているうちに日没が過ぎ、祖母、弥美が帰ってくる。


「あら依月。おかえり」

「ばーちゃん! ただいま。身体大丈夫なの?」

「皐月が大袈裟に医者に行かせただけよ。なんともないさね」

「……熱中症を舐めてはいけないよ御婆様? ゆで卵は生卵に戻らないっていう例えは知ってるでしょ」


 皐月が風呂上りでほかほかになりながら苦言を呈す。この真っ黒な姉は、ご丁寧に寝間着まで真っ黒だ。居間の隣にあるダイニングの椅子に座って湯冷まし中で、うす暗い中で小説を読んでおり、どこか不気味な光景にも見える。


「ほんっとに心配性なんだから。あんたが他人のこと言えるのかい? こんな暗いところで本なんか読んでたら目悪くなるのは知ってるでしょ」


 弥美と皐月は、その性格ゆえお互い意見を曲げないので、長時間議論することが多い。それを知っている依月と秦月は、開戦の気配を感じて鼻白んだ。

 だが、皐月は肩をすくめるだけで、髪を乾かしに自室へと引っ込んだ。それを見届けた弥美は、やれやれとため息をついて、依月のほうを向く。


「依月。あんたも早くバッグの中身を出しておきなさい。どうせ服とか雑に仕舞ってるんでしょ。寮生活の部屋も今度見に行くからね」

「うへぇ、風呂あがったらやるよ……」


 せかせかとした祖母の久しぶりの勢いに充てられて、依月はすごすごと風呂に逃げていった。





  *





 光。


 時折少女の胸に去来するのは、淡く照らす偉大なる緑色の輝きだった。

 温かい思い出を閉じ込めた箱を、ゆっくりと開けて覗き込むような。

 そんな切なくて泣きたくなる感覚で心を満たされる。

 だが、少女にとってその感覚は覚えのないことであった。



 ——何かを忘れている。



 少女は考える。

 自分は何を忘れているのだろう。



 今朝見た夢を思い出そうとするようなものだ。

 なにかが頭の中で引っ掛かりそうだけど、でもどうしてもそれを掴むことは出来ず。


 泡沫のようで、絹糸のようで。

 大事なことな気もするし、些末なことな気もする。


 でも、これだけは分かる。



 ——何かを忘れている。







 依月の目が覚めたのは、日差しもかくやという昼下がりの時分であった。


 布団のそばに置いてある目覚まし時計によると、時刻は十二時半、気温は三十四度。 

 相変わらずの真夏日。


「んん……」


 ぼんやりとした目であたりを見渡すと、やや散らかった自室の光景が映った。

 古臭いクリーム色の漆喰で出来た塗り壁。

 ところどころい草の切れた畳。

 紐で点灯する傘状の白色蛍光灯……。

 それに立ち向かうかの如く置かれた家具は、すべてがかわいらしく真新しい。白を基調としたデザインで統一しており、ところどころに水色で装飾模様があしらわれている。

 持ってきたキャリーケースは開けられており、中身は空っぽになっていた。


 そんな古さと新しさの入り混じった風景は、少しだけぼやけていた。

 目をこすると、指先が湿る。


「……」


 寝ている間に時折あることだった。

 なぜ泣いているのか、依月は思い出すことが出来ない。


 もそもそと起き上がり、白い寝間着のまま部屋から出る。

 古ぼけた床板から鳴る悲鳴を聞きながら、薄暗く長い廊下を進んでいく。

 建付けの悪そうな窓から外を見ると、荒れ地のような庭の先で、深い森の木々が風に揺れていた。

 木の枝が。

 木の葉が。

 木漏れ日が。

 ゆらゆらと。

 まるで森の奥へ、依月を吸い寄せようとしているかのようだった。


「みんなどうしたの?」


 誰に向けた言葉でもなく。

 依月はぼーっと、立ち止まって木々を眺めた。


 居間に至る襖を開けると、中から不機嫌そうな顔をした祖父がこちらに顔を向けてきた。


「おふぁよう~」


 間抜けな挨拶に、秦月は即座に沸騰した。


「おふぁよう~、じゃないわ! 何時だと思っとるんか!」

「まぁまぁいーじゃん。夏休みなんだしねー」

「笑いながら流すな! いくらなんでもだらけすぎとる!」


 怒声などどこ吹く風といった感じで、依月は居間に置かれたちゃぶ台の前に座り、まったりと突っ伏した。


「あっづーい……。じーちゃん、お昼ご飯なにか知らない?」

「~~っ! この馬鹿娘は本当にもう……」


 依月が帰省してから、三日が経った。既にずっとこんな調子だ。

 なにやら一人で騒いでいる秦月は一通り愚痴ると落ち着いたのか、不機嫌そうな顔を若干引っ込めた。


「冷蔵庫が壊れたそうじゃ。富美山さんとこの倅が修理しに来てくれたんじゃが、お手上げと言われたわい。ばあさんが街に買いなおしに行ったから昼ご飯は当分先じゃな」

「ええー!? そんなあ!」


 猛暑の中、今朝上凪家の冷蔵庫は寿命を迎え、その生涯に幕を閉じた。

 御年三〇年以上の大往生である。


「あーっ! ぬるぅいお茶しかない!?」

「我慢せえ」


 不満たらたらな依月だが、秦月は既に諦めていた。少女は気に入らない。


「いくらなんでもあちこちぼろすぎ! 色々新しいのに買い替えようよ!」


 ぎらぎらと照りつける太陽も青褪めるほどの騒がしさで以て、依月は祖父に駄々をこねる。その様は絵に描いたようなお転婆だが、やや歳の割には未成熟といったところか。


 夕焼けを閉じ込めた琥珀のようなぱっちり目に、まだ少し幼さの残る顔立ちも相まって、余計に子供っぽく映っていることだろう。


「やかましいわッ! そんな金なんぞない!」

「けち!」


 火花が散りそうなにらみ合いの末、少女は頬を膨らませた。


 なんでこんな古臭い家に生まれたんだろう?

●本作について

本作は「少女が大いなる運命に翻弄されながらも頑張るお話」です。ジャンルはローファンタジー&ミドルSFです。

恋愛要素、俺tuee要素は主題にありません。

できれば"世界を描く”という点に優先度を置きたいので、ひょっとするとキャラクターの深堀りや会話などが浅くなってしまうかもしれません。

視点もぶれるかもしれません。必要だと思ったら文章作法は捨ておきます。分かりやすさは重視しますが、分かりにくいと思ったらご指摘ください。

物語は、プロローグ + 全十章で構成される予定です。

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