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愛の連続小説「おもてさん」第二部・第七話 イワンの暗い目

【1】


アンドレイ・タルコフスキーと言う映画監督の名前は初耳ではなかった。

久満子は、この監督の『僕の村は戦場だった』と言う映画を、すでに観ていた。


この映画の存在を教えてくれたのは、マスコミ関係のクラブの客である。

ソビエトの戦争映画だから、当然、左翼なんだろうと思っていた。

ところが、分化畑・芸術畑のマスコミ人に限らず、「こんな人が左の映画を?」と言う感じの客も、熱を込めてあの映画を論じるのだ。


現在のロシアとは違って、昭和40年代のソビエト社会主義共和国連邦は、どんな日本人にとっても大なり小なり気にならざるを得ない、それだけの存在感がある国だった。


何と言っても、「GNP(国民総生産)世界第二位」の大国である。

日本が「GNP世界第三位」に付けたのが、ようやく昭和43年の事だ。

自分のすぐ上にいる国が気にならない訳がない。


平成元年時点でも、NHK教育テレビジョン(Eテレの旧称)は週二回のレギュラー枠、しかも夜7時と言うゴールデンタイムに各回30分のロシア語教育番組を放送していたのである。

ロシア語は、チャンネルを変えれば普通に流れて来る外国語の一つだったのだ。


著者は十年ほど前に「日本のGNPは1968年に世界第2位となった」なる記述をネット上で見つけて仰天した。

よくよく見てみれば「自由世界では2位」と注書きしてある。

確かに旧ソ連を外せば2位にはちがいないが、昭和40年代の日本人のソビエト・コンプレックスを「無かったこと」扱いするのはフェアじゃない。

これは歴史の捏造だ。


現に、それから、しばらく後で、某テレビ局のアナウンサーが時事解説番組で、涼しい顔をして「日本のGNPは1968年に世界第2位となりました」と確かに言った。

今度は「自由世界では」と言う注釈抜きでである。

「なるほど、歴史とは、こうやって作られて行くのか」と感じ入った。

昭和史に関する論争がエンエンと続くはずである。


すっかり脱線した。

我が愛しの久満子ちゃんに話をもどす。


【2】


久満子は、客から「君も観にいけばぁ?」と薦められた訳ではないが、時間を作って映画『僕の村は戦場だった』を観に行った。


次の客から振られるかもしれない最新の話題や流行現象は先回りして押さえておく。

聞かれて「分かりません」では「文化人ホステス」の名が泣くと言うものだ。


『僕の村は戦場だった』の主人公はイワンと言う名の、とても暗い目をした男の子だ。

戦争犠牲者で、なおかつ最前線で危険な任務を買って出ている、今日の言葉で言う所のダーク・ヒーローだ。


与えられた任務はドイツ軍占領地の偵察なのだが、軍服を着ている訳でもない、普通の服装の子どもが敵情を嗅ぎ回るのだから、つかまったらスパイ罪でアウトである。

コンプライアンス上、かなりヤバい映画なのだ。


この映画では、「この子は、どうして、こんなにも暗い子になってしまったんだろう」と言う一点を、これでもかこれでもかと描く。

意味はよく分からないながら、叙情的で美しいシーンが絶妙なタイミングで挟まれるので、戦争の残酷さ、過酷さが却って際立つ。

見ている久満子の胸は締め付けられそうになった。

まだ幼かったとはいえ、久満子の脳裏にも戦争の記憶と傷あとのようなものは残っていたのである。


この映画の結末は対独戦勝利で湧き返るベルリン。

万歳三唱やら胴上げやらで盛り上がる同僚たちを冷ややかな目で見ながら「イワン担当」の赤軍将校、ホーリン大尉がつぶやく。


「俺たちは生き残った事を恥ずかしく思わなければならないのかもしれん。」


未帰還のイワンがドイツ軍に処刑されていた事は、やがて明らかになる。


「戦争映画と言うのは、みんな、こうなんだろうか」と久満子は思った。

戦争に勝った国が、勝った戦争を描いた映画ではないか。

「勝ったソ連も傷だらけになりました」と取るしかない内容なのである。

見方を変えれば、これは反戦映画だ。

「よくまあ、社会主義の国で、こんな映画が作れたものだ」と久満子は思った。


久満子が子どもの頃、近所にシベリア帰りのおじさんがいた。

満州で捕虜になり、二年間、強制労働させられたと言っていた。

ただ、こうも言っていた。


「日本の戦争捕虜に対する扱いは、そりゃ酷いものだったが、それではソ連の人たちが贅沢三昧していたかと言うと、それは違う。やっぱり酷い暮らしをしていた。シベリアでは戦闘こそ無かったものの、日本同様、『欲しがりません勝つまでは』で、苦しい生活を強いられていたようだ。」


久満子の耳には「責任を取れ、責任を取れ」と叫ぶ主人公イワンの声が耳に残っている。


そっちは戦勝国じゃないか。

「責任を取れ」は戦争に負けた、こっちのセリフだと久満子は思った。

問題は、誰に文句を言いに行けばいいのか、久満子には見当もつかない事である。


毎年、お盆の前後には、新聞も雑誌もテレビも、戦争回顧もの一色になる。

それら全て、一部は正しいと思う。

でも、全体として何が言いたいのか分からない。

何が正しいのかも分からない。

久満子には、どこか遠い国の遠い昔の話みたいに感じられるのである。


『僕の村は戦場だった』は「戦争反対」以上の毒が盛られている、いささか後味の悪い映画だった。

「どう見ても左じゃない」系の客が、この映画を熱く語った理由はこれかと久満子は思った。


昭和40年は、まだ戦争から20年しか経っていなかったのだ。

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