ベランダに落ちた野球ボール
その日は天気が良く、最高の掃除日和だった。
お昼前、私はベランダを掃除する事にした。
ホウキで砂や埃をかき集める。
その時、ポーンと弾む音がした。
振り返ってみると、野球ボールが一つ落ちている。
「ねえ。この野球ボール、なに~?」
ベランダから息子の部屋に向かって、声をかける。
中学生の息子はかったるそうに、返事をした。
「あ~? 野球なんて知らないよ」
確かに。
息子は幼い時からサッカーしかやっていない。
野球ボールがある事が不自然だ。
「うわっ!」
息子の悲鳴がする。
「どうしたの!?」
「ゴキブリ!」
「え!?」
私はそのボールを持ったまま、息子の部屋へと駆けだした。
ゴキブリと格闘している間に、ボールはどこかへ行ってしまった。
昼食後。
私はベランダ掃除を再開した。
ゴキブリ騒動で、予定よりすっかり遅くなってしまった。
「……返して……」
「え?」
どこからか声が聞こえたような気がした。
息子くらいの少年の声。
しかし、見渡しても誰もいない。
穏やかな天気なのに、背筋が寒くなった。
その日から、おかしな事が続いた。
ベランダに洗濯物を出し入れする度に、どこからか声がするのだ。
「……返して……返して……」
■
ある日。
布団を叩いている時のこと。
「っ!」
はっきり人の気配と視線を感じた。
ベランダの柵に顔を乗せて、こちらを見ている。
しかも、柵の外側から!
「……」
ここは二階だ。
外側からこちらを見ているなんて、人間ではあり得ない。
人間ではないナニカが、私の横にいる。
「返して」
はっきりとした少年の声が、私の耳にささやきかける。
私は恐怖で、身体が凍りついてしまった。
その時、息子の声がした。
「母さん。靴下、片方ないよ」
ベランダを開ける音がする。
「来ないで!」と言いたかったが、声が出ない。
「あ」
息子はナニカに気付き、友達に話すように気さくに声をかけた。
「これ、お前の? 俺の部屋に落ちていたよ」
あの時の野球ボールを、息子は放り投げる。
それを受け取ると、ナニカは嬉しそうにお礼を言った。
「ありがとう……」
私が動けるようになると、ナニカの姿は無かった。
息子は平然としている。
「あんた、さっきの大丈夫だったの?」
「え? ああ、だって……」
すると、息子は寂しそうに笑った。
「俺も同じだから」
「……そう、か……」
私は息子の部屋に視線を移した。
そこには祭壇があり、サッカーボールを持っている息子の遺影が飾られていた。
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