キクウチくんとキクチさん
コロンさま主催『菊池祭り』参加作品です
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授業の時間を利用して漫画のネームを書いていた。
次の『華夢新人賞』は絶対にあたしが獲るんだ!
「キクーチ!」
突然、叱りつけるような声で先生に名前を呼ばれ、思わずノートに書いていたハートを破裂させながら、立ち上がって返事をするあたし。
「ひゃ、ひゃいっ!?」
すると先生は冷たい目であたしを一瞥し、舌打ちをした。
「おまえじゃねーよ、菊地。喜久内って言ったんだ」
見ると遠くのほうの席で喜久内くんが頬杖をついて居眠りをしている。あれだけ大声で名前を呼ばれたのに……さすがは大型霊長類にそっくりな見た目なだけはある。図太いわ。
「おい、喜久内っ!」
先生が再びキレた口調で名前を呼ぶと、ようやくだるそうに目を開け、黒々としたチリチリ頭をボリボリと掻いた。
「授業中は寝る時間じゃないぞぉ〜。ゲームで徹夜でもしたのか?」
先生がからかう口調で言うと喜久内は、いつもみたいに反抗的な返しをすると思いきや、意外にも素直に謝った。
「はい、すみません、先生」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
授業が終わるとあたしはまっすぐに喜久内の席へ向かった。そして苦情とお願いを同時に言ってやった。
「ちょっとー……。名前、変えてくんない? 紛らわしくて困るんだけどー」
大人しく謝るかと思ったら、今度はいつもみたいに反抗してきた。
「あ? よく聞いてりゃ間違わねーだろ。てめーの耳は音声入力アプリ以下の誤変換仕様かよ」
「聞き分けらんないよ。『キ』も『ク』も『チ』まで一緒じゃねーか」
「アクセントが違うだろ。喜久内は『ク』にアクセント、菊地は『チ』にアクセントだ。キ『ク』ウチ、キク『チ』……ほれ、言ってみろ」
「日本人は音に敏感じゃないの。大型霊長類と違ってね」
「ゴリラってはっきり言えよ」
「そんなんはっきり言っちゃったら人種差別になっちゃうでしょーが。あんたアフリカのハーフっしょ? アフリカ人差別してるみたいになっちゃうじゃん。だから気をつけてんのよ」
「ナイジェリアのクォーターだよ。アフリカ人なんてざっくり言うほうが失礼だろ」
「あっ、そ」
知ってたけどわざとざっくり言ったのは内緒。
「とにかく名前、変えてよね」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
「怜ー!」
あたしの下の名前を呼びながら、トモちゃんが席にやってきた。
「なんかキクウチくんと話してたね? 付き合うの?」
「ばっかじゃね? 紛らわしいから名前変えてくれって文句言いにいってたの」
「紛らわしいなら下の名前で呼び合えばいいじゃん。みんなにもそう呼んでもらえばいいじゃん」
「アイツの下の名前なんて知らんし」
ほんとうは知ってるけどすっとぼけた。
「えーと……喜久内……ケースケじゃなかった?」
トモちゃんはカタカナ発音で言ったけど、間違い、『圭介』は『けいすけ』と発音するんだよ。
「レイとケースケ! なんかお似合いじゃん! そうしなよ」
「やだ。なんか公認のカップルみたいじゃん」
「なればいいじゃないー! 好きなんでしょ? 喜久内くんのこと」
「……べつに」
「お似合いだと思うよー? 美女と野獣みたいな感じでさー! 付き合っちゃいなよー!」
「何を面白がってんのよ、トモちゃん。なんでそんなことしつこくいうのっ!?」
するとトモちゃんがヒヒヒと笑った。
背中に持ってた漫画雑誌『華と夢』を取り出す。
折り目をつけてあるページを開いた。
「うっ……!?」
あたしの投稿した漫画が、1コマだけ載っている。前の新人賞受賞作品発表の時のやつだ。
あたしは惜しくも受賞を逃した『もう一歩!』のコーナーで紹介されていたのだ。
「なんでヒロインの相手役の男の子、肌がこんなに黒いのかなー」
ニヤニヤしながらトモちゃんが言う。
「お小遣いも少ないって言ってたくせにー、なんでこんなにスクリーントーンいっぱい使うようなメインキャラにしちゃったのかなー?」
「く……」
あたしは苦しまぎれに答えた。
「黒子のバスケなら青峰大輝推しだからよっ!」
ほんとうは黄瀬涼太推しだった。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
この恋は誰にもバレたくないんだ。
彼にも知られなくていい。
きっかけは単に名前が似ていることだけだった。
最初はほんとうにただ迷惑なだけだと思ってた。
彼が名前を呼ばれるたびに、あたしも同時に返事とかしちゃって、紛らわしいんだよコノヤローとしか思ってなかった。
そんなことが繰り返されるたびに、いつしか彼のこと、特別な目で見るように……なってた。
今でも何かの勘違いなんじゃないかと思ってる。だってそんなバカみたいな……名前が似てるってだけの繋がりで、気になるようになるなんて、なんかの実験動物みたいじゃない? ベルが鳴ったらヨダレ垂らすみたいな?
でも名前を理由に彼の席に怒鳴り込んでいくのがとても楽しい。
彼に話しかける理由があることが、とても嬉しい。
ばっかじゃねーの、自分、と、思う。
でも好き。
好きなんだもん……。
でも言えない。
言うつもりもないんだ。
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
とにかく今は漫画! 漫画! 漫画を描くんだよっ!
学校帰りに画材屋さんでケント紙とスクリーントーンをたんまり買い込んだ。
62番と82番のトーンをたくさん買った。この色合いがあたしのヒロインの相手役の男の子の肌に一番合うのだ。黒い肌にしないとだめなのだ。
前から歩いてきた大型霊長類みたいな黒い肌の男の子に声をかけられた。
「あれ? キクチじゃん。どっか寄ってたのか?」
あたしの心臓はドキドキいってたけど、たんまり買い込んだ画材を抱えてそれを隠して、いつものように憎まれ口をきいてやった。
「うわー、びっくりした! なんでこんなところをゴリラが歩いてんの? 喋ったし!」
「るせーよ……。それ、漫画描く道具か?」
彼が知っててくれた!
あたしが漫画を描くひとだってこと!
飛び上がって車道に飛びだすとこだったけど、なんとか平静を装って、うなずいて、文句口調で言った。
「うん。……てか、なんであんたが知ってんのよ、キクウチ? あんたなんかが」
「みんな知ってるぜ。キクチは将来プロデビューして、美人漫画家として有名になるだろうって言ってるよ」
きゃー!
美人漫画家だって!
ほかでもない、彼の口から、あたしのこと、美人漫画家だってー!
心の中で絶叫するほどにあたしの表面はムスッとして、無口になっていく。
あたしがなんにも喋らなくなったので、彼が言い出した。
「じゃ……な。気をつけて帰れよ」
「待って!」
「ん?」
思わず呼び止めてしまったものの、べつに話はなかった。
苦しまぎれに今日トモちゃんに言われたことをあたしは彼に提案していた。
「友達が……さ。キクチとキクウチ、名前が紛らわしいんだったら、下の名前で呼び合えば? ……って」
「ばっかじゃねーの。カップルかよ」
「だよねー」
あたしは笑った。
「ってか、あんた、あたしの下の名前なんか知らないでしょ?」
「怜だろ」
その即答に心臓が破裂するかと思った。
でも口から出てくるのはやっぱり憎まれ口。
「なんで知ってんのよ? もしかして女子の名前全記憶? いやらしいなー……これだから男子って」
「そんなんじゃねーよ」
ちょっと彼の黒い顔に赤みがさした気がした。
「……俺の下の名前は? おまえ、知ってっか?」
けいすけ──
圭介!
そう口に出したかったのに、口から出たのは……
「知らないわよ」
「だよな」
彼が笑ったその顔が、寂しそうに見えた。
「じゃ……な。また学校で」
泣きたくなった。
なんであたし……漫画の中では積極的に恋をしてるのに──
自分が漫画を描いてるのは、リアルで素直になれない、妄想の中でしか恋のできないやつだから、漫画の中で恋するしか能のないやつだから──そんな気がしてきた。そんな気がしてきたら、買ったばかりの画材をすべて車道に投げ捨てたくなった。
えーい!
こんなもの!
縁石につまずいた。
車道にむかってよろけた。
そこへ大型トラックが──
あたしは固くておおきくて、あったかい胸に顔を埋めていた。
「おいっ!」
頭の上で愛しい声がする。
「大丈夫かっ? 怜!」
体がガチガチに固まってて、歯がガチガチ鳴ってて、うまく喋れなかったけど、言わなきゃって思ったら声が出た。
「あ……、ありがと」
そして自然にその名を口にできた。
「……圭介」
ほっとしたような、あったかい彼の声が降ってきた。
「なんだよ。俺の下の名前、知ってんじゃん」
画材ごとあたしを抱き止めてくれてる圭介の胸の中に、全体重をあずけた。強くて、逞しくて、おおきなその胸は、とてもあったかい匂いがした。
「圭介も……さっき、あたしのこと下の名前で呼んでくれたね」
彼の匂いに包まれたら素直になれた。
「ふふ……。この際、下の名前で呼び合っちゃう?」
「あのよ……」
優しくあたしを抱きしめてくれながら、照れた声で、彼が言った。
「昨日、徹夜したんだ。……その、明日こそ好きな娘に告白しようって決めて……そのセリフを何度も練習してたら眠れなくなって……」
顔を上げて、高いところにある彼の顔を見た。
目がすっごく綺麗だった。
その世界一綺麗なビー玉みたいな目で、あたしをまっすぐ見つめて、彼が言った。
「おまえが好きだ。下の名前で呼び合ってほしい」
* … * … * … * …* … * … * … * …* …
「おいっ! 怜っ!」
「ひゃ……、ひゃいっ!?」
先生に名前を呼ばれて、あたしは立ち上がった。
授業中に漫画のネームを書いていたのがバレたようだ。
「おまえ……いっつも授業中に漫画ばっか描いてるよな? 卒業する気、あんのか?」
「先生、大丈夫」
遠くの席から圭介が言う。
「怜は有名美人漫画家になるんだから、学歴なんかどーでもいいんッスよ」
「でもって圭介、おまえが嫁にもらうから大丈夫ってか?」
「ハハハハ……先生」
圭介がサムズアップで答える。
「その通りッス!」
あたしと圭介が互いを下の名前で呼び合うようになってから、みんなもあたしたち二人を下の名前で呼ぶようになった。先生までもが。
最初は照れ臭くてやめてほしかったけど、キクチとキクウチの紛らわしさが解消されて、まぁいいかと許した。
あたしは漫画を描き続けてる。妄想の中じゃなくても恋をすることができるようになったけど、それでも頑張って描き続けてる。
「新人賞、絶対に獲れよ? 怜ならやれるって」
「うんっ! あたし、頑張る!」
綺麗な目であたしを見つめながら、応援してくれる彼がいるからだ。