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5.防衛本能、怒

 (会社員・日下正史)

 

 自分を失う事への恐怖心は、かなり薄らいでいた。しかし、だからこそ逆に、それによってブレーキを失い、自己の喪失を加速させてしまうかもしれない不安を私は強く感じるようになり、別種の奇妙なストレスに悩まされるようになっていた。

 環田町。

 どうも、私にある“ないはずの記憶”。その中で見える海は、その町の近くにあるようだった。

 行ってみようか?

 そう何度も思った。がしかし、それをしてしまうと、私は完全に境界線を越えてしまうような気もした。

 もう引き返せない、境界線を。

 その境界線を越えてしまうと、私は完全に“私”ではなくなるのだ。そして、それに対する抵抗感がなくなっている自分を、私は自覚してもいた。

 別にそれでもいい。

 感情ではそう思っている。しかし、理性がそれを押し留めていた。冷静に自分を見つめる自分は、不安を訴える。お前は、一体どうなってしまったのだ?と。

 だから、私は極力、環田町とその海の情報を避けるようにして生活をした。そして、それによって私は、以前にも増して先行きを無くしてしまったのだ。閉塞感が自分の中に漂ってあった。このままでは何処にも行けない。行ける場所がない。そんな感情が私を追い詰める。ならば、いっそ進んでしまうべきだろうか? そこに何が待っているのかは分からなくとも。

 ――否。

 私にはまだ希望が残されているのだ。諦めるのは早い。軽率な行動は慎むべきだ。紺野秀明氏の検査結果はまだ出ていないのだ。そんなある日、鈴谷さんからメールが届いた。しかも、それは期待通りに紺野氏の検査結果が出たという内容だった。どうやら、原因であるかもしれない、ナノマシンが検出されたらしかった。

 私の気持ちは、それで幾分か軽くなった。喜んだ私は、それに返信した。少しでも参考になればと、最近の私の状態を報告しておいた。環田町の事も含めて。だが、既にそれは遅すぎたのかもしれなかった。

 部屋に閉じ篭るのにも限界がある。それに、拾おうと思わなくても、環田町の、否、海に関わる情報は拾ってしまう。

 ……或いは、完全に他を遮断できていたとしても意味はなかったのかもしれない。自分の中に既に取り込んでしまってあるそれは、少しずつ私を変化させていたのだ。新たな何かを取り込まなくても、私の中に宿ってしまっているそれは勝手に成長していた。私の自己は、新たに編み直さてしまっていたのである。

 私はよくテレビを観ていた。海の自然に関するドキュメンタリー番組だ。その頃の私は、何故か自然ものを好むようになっていた。特に海に関わるものだと夢中になってしまうのだ。部屋の中での暮らしは退屈だ。それを禁じる事は難しかった。否、そもそも私は、その好みの変化の原因を意識などしていなかったのだから、観ないように気を付けるはずもない。もちろん、それでも環田町に関わるようなものは避けていたのだが。

 そういった番組では、人の生活が、自然に影響を与えるという事にも時折触れていた。社会が少し何かをするかで、自然の様相が一変してしまう事もあるらしい。有名な例として、ラッコがあるのだという。

 ラッコは、地域によっては海の生態系のキーストーンになっているのだそうだ。ラッコは甲殻類やウニを捕食する。ウニが減れば巨大昆布が成育できる。巨大昆布は、波の衝撃から海岸を守り、更に栄養も供給する。その事によって、海岸に魚群が生活できるようになる。魚群が生活できるようになれば、もちろん、人の生活や陸の生物も変化する。

 このように、ラッコが生態系のネットワークの中に存在すると、海岸の生態系は一変してしまうのだ。そして、人間はラッコを保護する事も、絶滅させる事もできてしまえる。場合によっては、たった一種の存在がこれほどの影響を与える。という事は、人の生活の微妙な変化で、自然はダイナミックに変化してしまう可能性があるのだ。もちろん、生態系を滅ぼしてしまうといったケースだってあるだろう。

 私はこの話を知った時、何故か怒りに近い感情を覚えた。そして、環田町に近いあの海を自分が連想している事にも気付いた。ニュースで見た、あの海が観光スポットにされかかっているという現実を思い浮べていたのだ。

 怒りは防衛本能だという話を聞いた事がある。冷静に自分を見つめる自分が言う。ならば、オマエは一体、何を守ろうとしているのだ?と。

 ――何が、守りたい?

 その感情が噴出してくるようになると、自分の居場所に対する疑問が激しく沸いてくるようになった。

 何をこんな所でくすぶっているのか。どうして動かないのか。そういった思いが溢れてくるようになったのだ。否、もっと言ってしまうのならば、私は焦っていた。早くしなければあの海が壊されてしまう、と。こんな自分のままでいる訳にはいかない、と。

 ただし、ならば自分がどんな行動を執れば良いのかを分かっている訳でもなかった。今の自分を加速させ、境界線を越えたとしよう。その境界線を越えた自分は、何をするべきだというのか……

 外に買出しに出た時、コンビニエンス・ストアに寄った。そこの、雑誌のコーナーである文章が目に入る。

 ――政治家、官僚、企業、癒着構造。

 私だって一応、社会人だ。一般常識的の範疇ならば知識を持ち合わせてもいる。国の膨大な資金に、多くの不正な癒着が絡み、大儲けする構造がある事くらい知っている。ただし、今まで意識して知識を得ようとしなかったのも事実だ。正直、興味がなかったからである。

 だが、その時の私は、それに大いに興味を持った。恐らく、環田町の海の開発が頭にあったからだろう。

 その雑誌を手に取った。開いてみる。読んでみると、癒着構造が生まれ易い背景の、一般論がまずは書かれてあった。

 ケインズ経済理論的な、景気刺激策。税金によって需要を補充し、供給過剰にある状態の社会を支える。しかし、一度税金で経営が成されるようになると、企業はそれに依存してしまうようになる。公共事業をなくせば潰れる企業が絶対に出てくる。結果として、采配権を握る官僚の力が強くなり、その構造を維持拡大する為に必要な政治家がそれに加われば、壊す事が困難な権力体制が成立してしまう。

 企業が、別業種への転換などで、税金依存の現状から抜け出す事ができるのならば、その体制も変えられるのだが、保守的な道を辿るのが常の人間達にはそれは難しい。国がそれを促すのなら、状況も変わってくるが、利益を得られる構造を官僚や政治家が自ら手放すような真似をするはずもない。

 それから記事には、現代の癒着構造として、代表的なものが列挙されてあった。そして、その中にはこの千葉県も入っていた。しかも、当に今回の環田町近くのリゾート地計画がそこにはあったのだ。

 採算性があるかどうかは疑問。税金から利益を得るのが本当の目的。環境を破壊し、赤字の事業がまた増える。と。

 ――怒り。

 それを読んだ瞬間、言い知れない怒りが私を襲った。何か行動しなくては、何かでこの感情を吐き出さなくては、苦しくてどうにもならない。そんな感覚に憑かれる。

 手にしている雑誌を、叩きつけてしまいそうな衝動を抑えながら、私は震える手で雑誌を元の場所に戻した。それから、怒りのあまり頭に血が昇り、フラフラとした足取りでコンビニエンス・ストアを出た。そして私は人込みを探した。

 “あれ”を手に入れる為に。

 私は変わるのだ。

 今のままの自分ではいけない。

 駅の近くまで行くと、無表情で歩いている人間の一人が、私の欲しがっている“もの”を持っているのを見つけた。

 にやり、と笑う。

 座敷童子のようなものが、その人物の肩の辺りから出ていた。座敷童子も私を見ている。私が近付けば近付くほど、座敷童子の表情は憤怒の表情に変わっていった。

 ああ、あいつも怒っている。

 そう私は思った。否、或いは、あいつのあの表情は、今の私の心情を反映しているだけなのかもしれない。どちらでもいい。どちらにしろ、あいつと私は同じだ。直ぐ目の前まで来ると、座敷童子はこちらに首を伸ばしてきた。私に、吸い込まれる。例のフラッシュバックが。

 ――気が付いた時私は、自分に、開発を決めた知事に対する殺意が芽生えているのを自覚した。

 それは、理性的なものではなかったかもしれない。その本当の目的は開発の阻止ではなく、単純に怒りの感情を吐き出す事だったのかも。しかし、それはその時の自分にはどうでもいい事だった。

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