15.人生
(人間・日下正史)
憑き物が落ちた。
と表現するのが一番かもしれない。私は怒りと憎悪に囚われた妄念の世界から脱する事ができたのだ。
ただ、自らの力で克服したのでは、もちろんない。
「元々の原因がナノネットなのだから、自らの力でそれを解決できるはずもありません。恥ずべき事ではないと思いますよ」
紺野秀明氏はそう言ってくれたが、私自身は納得し切れないでいた。何故なら、あの世界には確かに私自身の存在もあったからだ。私という自己とナノネットとの相互作用によって、あの世界は形作られていた。そして、その世界に私は捕まってしまったのだ。ならば、それは、私の責任と言わなくてならないのではないだろうか?
――夕刻の公園。
半ば無理矢理に奇妙な男から、私はナノマシンの働きを抑える為のものだというカプセルを飲ませられた。それに私が強く抵抗しなかったのは、恐らく、男が紺野秀明氏の名前を出したからだろう。辛うじて残っている理性で、私はその名を覚えていたのだ。
飲むと直ぐに効果は現れた。涙が止まり、感情の無秩序な流出が止んだ私の脳は、自然と目の前の男が何者であるのかをまずは問いただしていた。
「探偵です。紺野先生に、あなたを探すように依頼されましてね」
呆然とした判然としない頭で、私は時間をかけて、その言葉の意味をゆっくりと理解していった。
自分の置かれた状況。
自分の執った行動。
……これから、どうするべきなのか。
「今飲んでもらったカプセルは、飽くまで一時的な効果しかないそうです。完全に、あなたが取り入れてしまったナノネットの影響を断ち切る為には、紺野先生の研究所に行ってもらわなくてはならない」
自らを探偵と名乗ったその男は、私に向けてそう説明した。暗い顔のその男には、どことなく作ったような雰囲気があったが、それは探偵という職業の、商売上のものかもしれなかった。探偵というのは一応サービス業なのだろうから、接客態度はそれなりに整えなくてはならないのだろう。少しずつ働き始めていた頭で、それだけの事を考え、完全にではないがその藤井という男を信用する事に私は決めた。
私が帰宅をすると主張すると、男は家まで付き添ってくれた。断ったのだが、自分も商売上責務を果たさなくてはならないと言われ、結局は頼る事になった。
帰ると、部屋の中は荒れていて、顔に似合わず誠実なのか、藤井という男は掃除を手伝ってくれた。私がお礼を言うと、藤井さんは居心地の悪そうに笑い、そして恥ずかしそうな顔をしながらこんな事を言ってきた。
「いやいや、止めてくださいよ。あなたは半病人じゃないか。正直に言うのなら、私もこんな事をするような柄じゃないのですがね。今回私に依頼をした紺野先生には、色々とお世話になってるのですよ。それで、あなたを粗末に扱えないのです。ただ、それだけです」
自分の巣に、赤の他人… 異物が混じり込んでいるような感覚を嫌って、普段の私ならば、或いは男の行動を余計なお世話だと不快に思っていたかもしれない。しかし、その時は弱っていた事も手伝って、藤井さんの厚意を心の底から感謝していた。
自分はこんな人間ではないのに、と不思議に思ったのだが、それは藤井さんにしてみても同じだったらしい。まったく、人間の自己というものはいい加減なものだと、それで私はそう思った。
もちろん、その想いは今回の一連の事件にも直ぐに派生していった。藤井さんが帰った後で、コンビニエンス・ストアで買ってきた晩御飯を食べながら考える。
……自己同一性。
私は、自分の人生において、一度もそれに真剣に向き合った事などなかった。もちろん、自分のあるべき姿。そんなものを求めるのは愚かなのかもしれない。そんなものに固執すれば、却って自分を見失うだろう。しかし、これは恐らく、そういった事とは別の問題なのではないかとも思う。
ナノネットの世界。
あの世界で葛藤していた私には、否、あの世界には“自己”があったように私には思える。少なくとも、これまでの自分にはなかった何か芯のようなものが存在していた。
その時、私は迷っていた。
自分の中に新たに発生した“これ”を、本当に消去してしまっていいのかどうかを。
次の日。
早速、紺野秀明氏の研究所を私は訪ねた。
「今回、日下さんの体内に入り込んだナノマシンは、人間社会に広く分布して存在しているのです。そして、互いに結び付き、ネットワークを形成している。その中をある“情報”が飛び交っているのですね。情報の波が伝播し続ける海、とでも言っておきますか」
私の来訪を受けると、紺野氏は今回私の身に起こった事について説明をしてくれた。
「“情報の海”? つまり、私はそこを彷徨っていたのですか?」
「その通りです。その情報の海の一部になっていた。そして、この情報の海にはですね、ある種の情報が一部に集まってしまう性質があったのです。
例えるのなら、……そうですね。
宇宙の発達時に、ガスが集まって重力が強くなり星を形成するようなものでしょうか。その星の一つに、日下さんもなってしまっていたのですよ。そして、星がそこに形成される事に必然性がないように、日下さんの身にそれが起こったのも全くの偶然です。運が悪かっただけで、日下さん自身は悪くない。
ただし、あなたのように何かしらの幻覚を見るというケースは稀で、日下さんの体質が問題だったようですが。いずれにしろ、あなたに責任はありません」
紺野氏の説明は、私の中に上手く入っては来なかった。否、理解することはできていた。しかし、私はそれを、何というか、自分のものにする事ができなかったのだ。
だから私はこう思う事にした。
私の中に、別の人格が入り込んで来たのは、積極的に自己と向き合おうとしなかった私自身に原因がある、と。
……多分、私はそう思いたがっていたのだろう。だから、紺野氏の説明を受け止める事を避けたのだろうと思う。それを、都合の良い言い訳にしたくなかった。今回起こった事を自分の責任だと思いたかったし、だからこそ、自分の生き方を変える決断を、自分自身でしたいとも思っていたのだ。
それから私は、紺野氏にある依頼をした。紺野氏が私の依頼を受けて少しも驚かなかったのは、少々意外だった。
(或いは、氏は私の意思を見抜いていたのかもしれない)
環田町。
そこにあるビオトープに私はいた。
やはりこの町を選んでしまったのは、私自身の弱さなのかもしれないが、高すぎる試練を自分自身に課しても駄目だというのは、なんとなく分かっていた。
私の心の中に、既にこの町は大きな存在感を持って息づいてしまっている。心の拠り所になってくれるはずだ。それに、この場所には優秀な先生がいる事も私は知っていた。
海原真人先生。
紺野氏より、私の事を聞いていたのか、乱暴な対応ながらも、親切に海原先生は私に自然との関わり方を教えてくれた。
……元より自然溢れる環田町で、ビオトープもないかもしれないが、その森林公園を私はそう呼んでいた。私は今、ここの管理の仕事に就いているのだ。
人工的に生物が生息できる空間を配備した場所をビオトープと呼ぶのだから、元々森林であるこの場所を、ビオトープと呼ぶのには無理があるかもしれない。しかし、それでも私は敢えて、この場所をビオトープと呼びたいと考えている。
何故なら、現在日本にあるほとんどの森には、人の影響が強くあるからだ。森を見て、自然と言う人は多いが、実は人間が関与しない自然のままの森など、ほとんど残ってはいない。だから、多くの森は人間が管理してやらないと、どんどんと荒れていき、人間社会にとっての森ではなくなってしまう。自然のままの森は、時として人間の害にすらなってしまうケースすらもあるらしい。
人間がいなければ、森は本来ある姿へと遷移していってしまうのだ。人間の手が入る前の、未踏の地であった頃の姿に。それを好ましいという人も或いはいるかもしれない。しかし、私はそうは思わない。人間だって生態系の一部なのだ。人間の関与しない環境を素晴らしいと呼ぶのは、結局は、人間と自然を別のものとして捉えてしまっているように思えてならない。
人を拒絶する自然は、それまでと同じ自然ではない。生態系の自己同一性は変わってしまっている。
それでは駄目なのだ。人間にとって。
だから、私はこの場所をビオトープだとそう呼びたいと思っている。人間が関与しつつそれを護れる事にこそ、真の意味があるのではないか?
海原先生の生み出したナノネット。
私は自分の中に、それをまだ抱えたまま生きていた。私は紺野氏に、それを抱えたまま生きられるようにしてくれないか、と依頼をしたのだ。
紺野氏は、「リスクはありますが、」と、そう断った上で、私のその申し出を受け入れてくれた。私の中のナノネットが暴走しない方法を施してくれたのだ。
やがて、鈴谷さんの出した本が火付け役となり、環田町をリゾート地化する計画が中止になると、私は紺野さんの助けを必要としなくなった。そして、環田町へと引っ越したのだ。
正直、森林公園の管理という仕事の給料はとても安かった。だが、この生活を辛いとは思わなかった。それは、恐らく海原先生の人格を取り込んだお陰なのだろう。自然と関わる事に、生き甲斐を感じられる。
森林公園からは海が見えた。余分な下草を刈ってそれを運ぶ最中、その海の養殖場で働く作業員の姿が見えた。
あの場所とも繋がっているのだ、と私は思う。
刈った下草は肥料として活用する。畑や田がそれで肥えれば、もちろん、それは海の生態系にも影響を与える。
流れる汗が気持ち良かった。
確かに私は変わった。人の自己同一性は変わるものなのだ。人との、否、私自身も含めての、あらゆるものとの結び付き、その縁起の中で。より良い状態を目指しながら。
民主主義だとか、資本主義だとかいったものがありますが、さて、これら”思想”は一体、何処に存在しているのでしょうか?
少し考えれば分かるのですが、こういったものは実は人の頭の中にしか存在しません。そしてこれらは、人々の間を伝わる事によって、それぞれの人々の頭の中に増殖していくのです。社会が民主主義制度を執るようになる、とはつまりはそういった現象です。
少々強引ですが、それらを波的な生命と表現してしまっても良いかもしれません。
この事は自己同一性の確立と同じではありませんがしかし、全く関係ないのかといえば、それも違います。何故なら、人は人との関係の間に自己を作るからです。例えそれがどんな関係であるにせよ、そこから影響を受ける。そして、人と人との関係とは、ネットワークに他なりません。そして、そのネットワークはもちろん、自然とも繋がっている。抽象的な基礎としても、ネットワークを活用する事の意味は大きいですが、こういう意味でも重要なのじゃないかと僕はそう思ったりするのです。
この物語ではそんなものを扱ってみたつもりでいます。
どこまで伝わったかは分かりませんが。
まだ、がんばります。