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13.自分自身と

 (青年・深田信司)

 

 「公園の名前を聞いて、すぐに藤井さん…… あ、日下さんの捜索を頼んだ探偵の方ですが、その人に連絡を取りました。それで直ぐに出向いてもらったのです。もしかしたら、日下さんは泣いているかもしれない、と付け加えて」

 紺野さんは、僕の調子が元に戻ると淡々とそう説明してくれた。ナノネットの世界に入っていた僕が、突然泣き出したので、日下さんも泣いている可能性を考えたらしい。

 「お陰で、日下さんは直ぐに見つかったみたいです。夕暮れの公園で、一人で泣いている大人は確かに珍しいですからね」

 藤井さんという探偵には、予めナノマシンの活動を不活性にする為の、特別のカプセルを渡しておいたのだという。それを飲ませると日下さんは、少し朦朧としてはいたけど、正気を取り戻す事ができたらしい。

 ナノマシンの呪縛から解放されたのだ。

 「深田さんには、色々と感謝しなくてはなりません。藤井さんに独力で解決されると大きな借りを作ってしまいますし。実は借りを作りたくはないような人でもあるのですよ」

 紺野さんがおどけてそう言った事は分かったけれど、それでも僕は少し照れてしまっていた。負い目も感じる。感謝をしなくちゃならないのは僕の方なのに。

 「何言ってるんですか、紺野先生」

 山中さんが笑いながら、紺野さんに向けてそんな事を言う。緊張感が解けて、気楽になっている様子がよく分かった。

 「おや、久しぶりに先生付けで呼んでくれましたね」

 紺野さんもそれに笑いながら返す。

 ……感謝をしなくちゃならない、というのなら、僕はここにいる山中さんにもしなくちゃならないだろう。それに、日下さんにも、それと、里佳子ちゃんと… くまさんにも。

 「これから、日下さんはどうなるのでしょうか?」

 場が落ち着くと、鈴谷さんが紺野さんに向かってそう尋ねた。すると、急に真面目な表情になって紺野さんは言う。

 「ナノマシンを除去したとしても、ナノネットによって受けた影響が消える訳ではないので、日下さんの人格に何かしらの痕跡が残る事は確かだろうと思います。

 ただし、それで日下さんが不幸になるとは限りませんよ。もしかしたら、却って充実した人生を送る事になるかもしれない」

 多分、その場にいた海原さんにも気を遣って紺野さんはそんな事を言ったのだと思う。

 人の自己同一性は変わるもの。例えナノネットによる影響だったとしても、それは受け止めなくちゃならない事実なのかもしれない。

 紺野さんは送ろうと申し出たのだけど、海原さんはそれを断り、電車で帰ると言ったのでその場で別れた。車内は窮屈だし、そう言うのも無理はない。海のナノネットは、この程度の量ならば問題がないので、捨ててしまっていいと言われたけど、紺野さんはやはり持ち帰るつもりらしかった。きっと、それを題材に研究を続けるつもりだろう。

 海原さんに関して、僕には少し気になる点がある。例のリゾート地開発を阻止する方法。それを、あの人が気にしないはずがない。日下さんの中に渦巻いていた、あの憎悪の切っ掛けは海原さんなんだ。あの思いはかなり強いものだった。何も紺野さんに質問しないで去ってしまったけど、良いのだろうか?

 もしかしたら、僕がナノネットの世界にいる間で、紺野さんは海原さんに、もう説明してしまっていたのかもしれない。

 帰りの車内。

 また、山中さんが車を運転して、助手席で里佳子ちゃんが眠っていた。帰りは紺野さんが運転すると言ったのだけど、疲れている紺野さんに運転はさせられない、と山中さんがそれを認めなかったのだ。それで今回も僕の隣には紺野さんがいた。

 もっとも前の時とは違って、海原さんがいない分だけスペースが空いているので、密着しているなんて事はない。

 僕は目が冴えて眠れず、紺野さんにももう眠気はやって来ていないようだった。それで僕はリゾート地開発の阻止方を質問してみたのだ。すると、紺野さんは少しおどけた調子で、

 「まぁ、ちょっとズルと言えばズルなのですが、事情が事情だけに仕方ない、といった方法を執ります。本当は、ナノネットなんかなくても、自然とそんな事が起こってくれるのが一番なのですけどね」

 そんな事を言って、具体的な方法は教えてくれなかった。紺野さんにも、こんな子供っぽいところがあるらしい。

 「まぁ、それをやり始めれば、直ぐに深田さんも分かると思いますから」

 それで僕はそんな言葉で納得しておいた。どうしても聞いておかなくちゃならないといった事でもなかったし、少し気になっただけの話だから。

 でも、その話題を出した時、僕は別の事が気になった。それで、その流れで紺野さんに続けてこんな質問をしてみたのだ。

 「あの…… 今回の、海原さんのナノマシン・ネットワークは消去してしまわなくて良いのですか?」

 例え今は大きな問題がなくても、あのナノネットが、世の中に悪影響を与えてしまう可能性があるのは確かなのだ。これから先、どんな異変があるか分からないのだし。

 それを受けると、紺野さんは片目を瞑って僕を見つめた。

 「深田さんは、どう思いますか?」

 それから、そう言う。

 その言葉に僕は困惑した。

 「僕は… 僕は、分かりません」

 だから、正直にそう答えた。すると、紺野さんはにっこりと笑ったのだ。

 「私も同じです。分かりません」

 分からない。そうか、とそれで僕はそう思う。結論なんか出ない問題なんだ、これは。でも、それでも……

 「ただ、それでも、何かしらの行動を執らなくてはならないのは事実です。放置するのか、何か対策を執るべきなのか。

 だから……」

 紺野さんはそれから後ろを見た。後にはナノネットの入った海水がある。

 「……まぁ、私は研究の好きな人間ですし、それが役に立ったりもするので、苦にはならないのですがね」

 つまり、だから紺野さんはナノネットを研究する、という事だろうか。それを聞いて、僕はくまさんの話を思い出す。紺野さんが、くまさんを色々と深く調べていたという話を。

 「それに、今回のナノネットは規模が大き過ぎますし、私達の予想以上に人の社会に深く組み込まれてしまっている可能性も捨てきれません。

 現実問題として、下手に手出しはできないでしょう」

 ……もちろん、僕はその話を里佳子ちゃんのケースに重ねて聞いていた。もしかしたら、彼女の時も同じ様に考え、同じ様に結論出したのかもしれない。紺野さんは。

 「科学の限界は認めなくちゃいけないって話ですかね、やっぱり…」

 僕は何かを言わなくてはと、搾り出すようにそう言った。紺野さんは、多分、僕が何を思っているかを気が付いている。僕は紺野さんの次の言葉が聞きたかった。でも、紺野さんは中々それに返してはくれなかった。長い沈黙が流れる。

 「できうる限り」

 ようやく、そう口を開く。

 「……できうる限り、良い現実が訪れるよう。そう考えて、私は行動しているつもりでいます。どんな判断がその時点のその状況で可能なのかを考慮し最善を、と。

 でも、ですね」

 でも?

 「でも、失敗する事も、やはりたくさんあるのですよ。例えば、森里佳子ちゃんの場合です。私はあの子に自信を与えたかった。くまさんも害になるものではありません。退治しなくてはならいようなものではない。それに何より、彼女はくまさんが好きです。だから私は、くまさんと里佳子ちゃんの共存を試みてみるべきだと考えた。それはある程度は上手くいきました。

 しかし、その過程で私は、一つ大きなミスを犯してしまったのです」

 また、長い沈黙。それからまた語り始める。

 「……あなたも知っているかもしれませんが、私は森さんの両親の信用を完全に失ってしまったのです。その所為で、くまさんの存在を認めてもらえなくなってしまった。里佳子ちゃんとくまさんの共存が成功しても、これでは彼女は仕合せとは言えないでしょう。彼女は両親から拒絶され続けている」

 それを聞いて、僕は腕に力を込めた。その言葉を抱きしめるように。

 「あなたは私とは違って、そのミスは犯さなかったのじゃないですか? 森家の両親から信頼されている…… 或いは、あなたなら」

 紺野さんはそれから先を言わなかった。

 ……そうだ。僕はナノマシンの研究者としては里佳子ちゃんの事を救えないかもしれない。だけど、一人の人間としてなら。

 僕は人とのコミュニケーションが下手だ。それが僕という人間。器用には話せない。でも、その壁を今は超えなくちゃならない。人間は変わる。受け止めるんだ。それを。僕自身を救い出す為に。

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