94 根本遥の独白㉓ エピローグ
海野洋と鈴木静は、火が燃え広がる前に現場を離れ、鈴木静の指示で人気の無い農家の古井戸へ向かった。
鈴木静が、とりあえず安全な場所へ移動しよう――と誘ったのかも知れない。海野洋は自分の疾しい秘密が詰まったスマホを奪われ、渡辺凛の家に放火をしてしまった。気が動転して冷静な判断ができず、誘われるまま鈴木静と行動を共にする。
海野洋は自分にとって不利な証拠を残したまま、その場を立ち去ることができなかったのかも。そして鈴木静はこの場所で、海野洋を古井戸の中へ突き落とした。
だけど、ここで一つの疑問が残る。海野洋と鈴木静は高校生の男女。腕力の差は歴然としている。海野洋が反撃してスマホを奪い返す可能性もあったはず。
なぜそうならなかったのか。あたしは鈴木静の立場になって、当時の二人のやり取りを推察してみた。
「後ろを向いて目隠しをしろ」
人気の無い古井戸の近くで、鈴木静は海野洋に言った。
敵に背後を取られて視界を奪われたら反撃のしようがないし、迂闊に逃げることもできない。鈴木静は海野洋に反撃の余地を与えず、簡単に主導権を握った。
そして目隠しをした海野洋の背中を押して、古井戸の前まで連れて行った。
「スマホの暗証番号を言え」
海野洋は何をされるか分からない恐怖に怯えながら、命令に従うしかなかった。
「今からお前の撮った写真や動画を確認する。妙な動きをしたら容赦しない。わかったら、首を縦に振れ」
鈴木静の言葉に、もちろん海野洋は逆らえない。
鈴木静はスマホのデータを初期化した後、レンズを隠して動画や写真を撮り続けた。これで多少なりともデータの復元は難しくなったはず。桐島務を殺害した時、覆面をしていたとはいえ、動作や背格好から正体がバレる恐れもある。鈴木静に不都合なデータは上書きして、確実に処分しなければならない。
「用は済んだ。スマホを返してやる」
鈴木静は海野洋の手にスマホを渡し、背後から目隠しを外す。海野洋はホッとして、一瞬気が緩んだに違いない。
鈴木静はその瞬間を狙っていた。海野洋の背中を古井戸の中へ、力一杯押し込んだ。前のめりになった海野洋は、頭から真っ逆さまに井戸の底へ落下した。
証拠隠滅に抜かりのない鈴木静。指紋や足跡が残らないように、用意周到な準備をしていたと思う。
鈴木静としては、放火した海野洋が逃げ切れないと思って錯乱し、人気の無い古井戸に身を投げて自殺した――というシナリオにしたかった。
だけど結局、警察は海野洋のスマホのデータを復元し、自宅を家宅捜索して、鈴木静との繋がりを導き出した。
鈴木静は言い逃れできないと判断し、少しでも罪を軽くするため、正当防衛を前面に押し出して、供述を始めたんだと思う。
後日。白川瞳から鈴木静が勾留されている事を聞いたあたしは、陽が明るいうちにのびのびと外に出てみようと思ったけれど、やっぱり寒いからやめた。
鈴木静は有罪になっても、いずれまた、この町に舞い戻って来る。彼女がそこからどんな人生を歩んで行くのか。興味は尽きないけど、君子危うきに近寄らず。あたしは安全で快適なこの部屋にいるのが性に合っている。
フフフ――。料理が上手い長身黒髪美少女と地味な男の知り合いができたから、二人に暇つぶしの相手をさせるのも面白いかも知れない。
あたしのお腹が急にぎゅーっと鳴った。




