79 根本遥の独白⑧ 交渉
『はい。海野ですが、どちら様?』
どうやら母親が受話器を取ったようだ。あたしは声色を低めの声に変えて答えた。
「夜分遅くにすみません。洋君と同じ小学校だった白川と申します。ちょっと相談したい事があって、お電話させていただきました。洋君は、もうお休みだったでしょうか?」
『ふふふ、ちょっと待ってね。たぶん起きていると思うから呼んで来るわ』
母親は異性からの電話が珍しいと思ったのか、ウキウキ声で呼びに行った。
しばらくすると、ドタバタと階段を下りて来る音がして、息を切らしながら海野洋が受話器を取った。
『し、白川さん? ぼ、僕に何か……?』
「落ち着いてください。わたしは白川さんじゃないです。別のクラスの、白川さんの友人です」
落ち着いた声であたしが告げると、海野洋は絶句した後、ゆっくりと息を吐き出した。あからさまに落胆し、冷めた口調で尋ねた。
『で、白川さんの友人が、どうして僕に、何の相談を?』
「白川さんはクラスメイトたちに散々酷い事をされて、心に深い傷を負ってしまいました。いじめていた人たちだけじゃなく、見て見ぬふりをしていた人たちにも失望していました」
あたしは余韻を残すように一息ついた。海野洋は黙ったまま吐息を漏らした。
「クラスの中で、海野君だけは苦悩しているように見えた――と白川さんは言ってました。でも、結局あなたは白川さんを救おうとはしなかった。白川さんの期待を裏切ったんです」
あたしが責めるように強めに言うと、海野洋は思った通り、もっともらしい弁解を始めた。
「白川さんにはずっと心の傷が残るのに、クラスメイトたちはいずれ、いじめていた事さえも忘れてしまうと思います。ほんの少し勇気を出して行動を起こしていれば、あなたも罪悪感を抱かず、白川さんだって救われたかも知れないのに」
『くっ……』
海野洋は悔しそうに言葉を切った。
「わたしは海野君が頭が良くて優しい人柄なのを知っています。どうかわたしに協力してくれませんか?」
『協力? 僕に何か手伝ってほしい事があるの?』
海野洋はボソリと呟いて、あたしの話に耳を傾けた。
あたしはまず、いじめを主導していたのが木田恵であること。そして木田恵の弱みを握り、裏で操っていたのが鈴木静であることを告げた。
「わたしは白川さんをいじめた人たちに仕返しをしたいんです。とくに陰で高みの見物をしていた鈴木静は絶対に許せない。報復をする事で、白川さんの心の傷が癒えるとは思えませんが。
鈴木静が二度と悪い事ができないように、どうにかして痛めつけてやりたい。そのために、ぜひ海野君に協力してほしいのです」
あたしの言葉を聞いて、海野洋はしばらく考え込んだ。
『君の考えはよくわかったけど、仕返しをするとなると、一つ間違えば犯罪行為だ。そんなリスクを負ってまで、僕は協力できない』
海野洋は周りを気にしているのか、囁くような声で答えた。
「……わたしに協力してくれませんか?」
『残念だけど』
「わかりました。あなたが度々白川さんの後をつけまわしていたところを動画に撮っています。残念ですが、明日の朝、その動画をネット上に晒したいと思います」
冷めた声で告げると、海野洋は焦った様子であたしに屈服した。
『わかった。何でも言う事を聞くから、動画の拡散だけは勘弁してくれ!』




