74 根本遥の独白③ 盗聴
あたしは普段からICレコーダーを持ち歩いている。クラスメイトたちの気になった会話を録音したり、閃いたアイデアを音声で記録したり。
見かけはUSBメモリーくらいのキーホルダー型だから、普段はバレないように手元で操作していた。だけど今回は、ふたりの会話を盗聴できる場所に仕掛けておかないといけない。
あたしは給食の後、昼休みの時間に普段なら絶対にやらない黒板掃除を始めた。
まずは黒板消しクリーナーを動かしながら、教室内を見渡した。皆、遊びやお喋りに夢中のようだ。
あたしは黒板掃除をしながら、窓辺の隅に置かれた担任用の事務机に目を走らせた。児童と個別に面談する時は、先生がここに座って、向かいに相手を座らせる。たまに職員室に呼び出す事もあるけれど。
あたしはわざと粉の付いた黒板消しを事務机の下に落とした。一瞬、皆は音に気づいてこっちを見たけど、すぐに関心を無くした。
あたしは回転椅子を退かし、机の下に屈んで、ポケットから加工済みのタッセルを取り出した。休み時間の間に、トイレでICレコーダーを布の中に埋め込んでおいたのだ。
黒板消しで床を拭きながら周囲を警戒し、カーテンフックにタッセルを掛けた。もちろん録音のスイッチを押してから。
壁掛け時計の時刻を確認した後、あたしは何事も無かったかのように黒板消しを置いて、自分の席に戻った。
その日の放課後。担任の吉田先生と鈴木静を残して、クラスメイトたちは教室を出て行く。あたしは俯いた鈴木静の様子を眺めながら、後ろ髪を引かれる思いで教室を出た。
ふたりの面談が終わった後に、ICレコーダーを回収しないといけない。しばらく時間をつぶすため、あたしは図書室へ向かった。
小一時間が経った頃、様子を見に戻ってみると、教室の鍵は閉まっていた。あたしは『忘れ物を取りに戻って来た』という口実で、職員室で教室の鍵を受け取り、無事バレずにICレコーダーを回収する事ができた。
自宅へ戻り冷蔵庫から果汁100%のグレープジュースを取り出して、急いで自室に籠る。ランドセルを床に投げ出しPCの電源を入れた。ポケットから剥き出しのICレコーダーを取り出して、USB端子に差し込む。ディスプレイに音声データが表示された。
あたしはデスクトップに【YとSの面談】というフォルダを作り、記録された音声データをコピーした。
ふうっと息を吐き出して、キンキンに冷えた缶のプルトップを開けた。ゲーミングチェアに腰を下ろしてグビリと一口、果汁を舌と喉に浸すと、高ぶった気持ちが少し落ち着いた。
あたしはPCにヘッドホンを繫いで、呼吸を整えた。そして音声ファイルを再生した。
面談が始まるまでは、くだらない五、六時間目の授業と終礼の様子が録音されている。あたしは皆が教室を出て行った時刻、音声波形の振幅が小さい無音の位置までカーソルを移動させた。マウスを放すと、ゆっくりとカーソルが右に動いていく。そしてようやく、吉田先生と鈴木静の面談が始まった。
冒頭、吉田先生は鈴木静に足の具合を尋ねた。鈴木静は聞き取りにくい声で『まだ少し……』と曖昧に答えていた。
その後、吉田先生は冷めた口調で淡々と語り始めた。保護者と担当医に確認して、医療的に足の怪我は完治している事。怪我をした時の事が頭に浮かんで怖い気持ちは理解できるが、仮病ではないかとクラスメイトたちから苦情の声が上がっている事を告げた。
その後も、遠回しに『そろそろ仮病をやめたらどうだ?』と言わんばかりの説教が続き、『次の体育の授業からは参加するように』と宣告し、一方的に面談は終わった。最後に、微かにすすり泣くような声が聞こえた。
鈴木静が足の怪我をした当初、吉田先生はおんぶして麓まで運んだり、松葉杖をつく彼女を気遣ったりしていた。正直あたしは、先生が周囲の目を意識しての事だろうと思っていたけど、当の鈴木静はその優しさに少なからず感動しているようだった。
僅か数か月後、吉田先生は掌を返すように冷たい態度に変わった。クラスの中で孤立を深めていた鈴木静が、唯一頼みの綱にしていた先生に見捨てられたのだ。
彼女の心の中で燻り続けていた黒い塊に、吉田先生は追い打ちをかけるような一撃を加えた。あたしは以前擦れ違った時に見た、鈴木静の異様に冷たい笑顔を思い出した。
この日を境にして、鈴木静は左足の後遺症をネタに生真面目な木田恵を責め始めた。ふたりの主従関係が静かに、そして着々と確立されていった。




