73 根本遥の独白② 冷遇
鈴木静は支えにしていた木の幹を放して、枝に吊るされたスタンプを右手でつかむ。あたしは瞬きを我慢して、息を殺して見守った。
鈴木静は足下を気にしながら、左手で首に提げた台紙をつかんだ。あとはスタンプを押すだけ。だけど両手は支えを失い、背負ったリュックの重みで上体が後ろに引かれた。
「あぶない、枝につかまって!」
木田恵が叫びながら慌てて飛び出した。
鈴木静は括りつけられたスタンプの紐を引きちぎって、仰け反りながらも必死で細い枝をつかむ。だけど軟な小枝はすぐにちぎれた。
「ギャアッ!」
鈴木静は短い呻き声を上げ、両手に小枝と台紙をつかんだまま仰向けに倒れた。
あたしは茫然と立ち竦む木田恵の表情を確認した後、鈴木静に近づいた。伸ばしたままの、落ち葉に埋もれた左足を見ると、足首が内側に曲がり、紫色の内出血が確認できた。
「倒れる前に足を捻ったようね。あたしが見ておくから、あんたは先生を呼んで来て」
かっこいい台詞に酔いながら、あたしは木田恵に告げた。
「わかった。急いで呼んで来る!」
来た道を引き返して木田恵は走り去った。
あたしは鈴木静の背中を起こして、リュックを外した。
「捻挫か骨折ね。ちゃんと治るのに二、三か月ほど掛るかも」
あたしが言うと、鈴木静は片膝を立ててニヤリと不気味な笑顔を浮かべた。
「あんた、足が痛くないの?」
「動かそうとするだけで息が詰まるほど痛い。でもこれで、治るまでしばらく嫌な体育が休めるし、少しは皆に構ってもらえそう……」
鈴木静は聞き取りにくい小さな声で呟いた。
しばらくして木田恵が担任の吉田先生と保健の先生を連れて戻って来た。鈴木静はその場で応急処置を受け、吉田先生におんぶされて山を下りる事になった。
先生たちに事情を聴かれた後、鈴木静は病院へ、あたしたちは残りの日程を予定通りに過ごした。
その日以降、陽キャだった木田恵のテンションに蔭りが見え始める。視界に松葉杖をついた鈴木静が現れると、一瞬笑顔が途絶え、ぎこちない表情を浮かべるようになった。
そして日にちが経つにつれ、クラスメイトたちは鈴木静に冷めた眼差しを向けるようになっていく。
「いつまで足を引きずっているのかしら? もうとっくに治ってるんじゃないの?」
「きっと自分に酔っているのよ。松葉杖をついた悲劇のヒロインって、憧れるわー」
「単に仮病を使って、体育を休みたいだけなんじゃないか?」
元々クラスの中で空気のような存在だった鈴木静は、松葉杖で登校する事で一時は皆の関心を集めたけど、しだいに後ろ指をさされる存在になっていった。
ようやく鈴木静が松葉杖を外して登校して来た。怪我をした左足に負担を掛けないように、右足で踏ん張って、左足を庇うように歩いていた。
「治りそう?」
あたしは立ち止まって、擦れ違いざまに鈴木静に尋ねた。
「…………」
鈴木静はちらりとあたしを見て、無言で口元を緩めた。だけど両目は笑っていなかった。
それからしばらく経っても、相変わらず鈴木静は左足を引きずっていた。
担任の吉田先生は体育の授業の終わりに、ずっと見学していた鈴木静を呼び止めた。そして放課後、教室に居残るように告げた。
きっと先生は、足の怪我の状態を保護者か病院に聞いて把握しているはず。そして鈴木静は、もはやクラスの中で孤立している――。盗み聞きしていたあたしの触角がピピッと反応した。
放課後、ふたりの会話を聞き逃すわけにはいかない。吉田先生が担任として、どういう立ち回りをするのか。あたしにはそれが、鈴木静の足の怪我から始まったこの【物語】の、重大な節目になるような気がした。




