72 根本遥の独白① プロローグ
こうして一と瞳の【物語】はハッピーエンドを迎えた。
警察は渡辺凛の家に放火した海野洋、そして海野洋に呼び出され、正当防衛で彼を古井戸に突き落とした鈴木静を容疑者として捜査を進めている。
だけど、佐藤一の視点で描いた本編には、曖昧な思い込みや抜け落ちた情報がいくつもある。
タイムカプセルに茶封筒を紛れ込ませたのは、実際は誰なのか? 吉田先生を事故に見せかけて突き落とした実行犯は?
そもそも鈴木静は、なぜ吉田先生に殺意を抱いていたのか。本編ではその事に関して、全く触れていなかった。
他にも、桐島努を事故に見せかけて水死させたのは誰か? その動機は?
ここから先は佐藤一に代わって、あたし――根本遥が事件の真相を明らかにしていきたいと思う。
フフフ。なぜかって? タイムカプセルに茶封筒を入れたのは、あたしだから。もちろんあの声明文を考えて、手袋をして茶封筒の中に入れたのも、あたしだから――。
あたしは物心ついた頃から【物語】に心を奪われていた。教育熱心な親は一人娘のあたしに、絵本や小説、アニメや映画のソフトを好きなだけ買い与えてくれた。
貪るように【物語】にのめり込んでいったあたしは、いつしか受け取るばかりでは飽き足らず、自ら【物語】を作りたくなった。
だけど、やっぱり漫画も小説も……さらりと描けるほど甘くはなかった。いつか自分でも納得できるような【物語】を書き上げたい――そんな思いを心に秘めながら、あたしはイメージを素直に表現できるイラスト制作に力を注ぐようになった。
日常には【物語】の切っ掛けになりそうな断片が散らばっている。拾えそうなネタは記録に残しておく。あたしは学校でも常日頃からアンテナを張っておくのが癖になっていた。
今回の【物語】の発端は、林間学校の二日目にやって来た。三人組のチームで数か所のチェックポイントを通過し山の頂上を目指すオリエンテーリング。
あたしは陽キャで活発な木田恵、陰キャで薄鈍な鈴木静とチームを組んでいた。自然に木田恵がリーダーになって、方位磁針と地図を片手に麓を出発した。
団体行動が嫌いなあたしは、先を行く二人から少し距離を置いて、お茶やお菓子を貪りながら休み休み付いて行った。
木田恵は順調に二つか三つ、チェックポイントを発見して、首に提げた台紙にスタンプを押した。山の中腹を過ぎたくらいだったか、周りに人気が無い絶妙なシチュエーションで、あたしはその場面に鉢合わせたのだ。
「あそこよ! 枝に標とスタンプが掛けてある!」
木田恵が燥ぐように指を差して言った。鈴木静は枝に掛かった標を眺めながら、肩で息をしていた。
「鈴木さん、スタンプを押して来てくれない? 私ばかり手柄を奪ってるみたいだし」
「……スタンプを押したら、少し休憩してもいい?」
鈴木静は消え入りそうな声で、ぼそりと言った。
標とスタンプは山道から五メートルほど離れた、細い木の枝にぶら下がっていた。落ち葉が積もった斜面はそれほど急では無かったけど……あたしは何かが起こりそうな予感がした。そして、鈴木静のおぼつかない足取りを、息を潜めて注目していた。
鈴木静は木田恵から受け取った台紙を首に提げ、間近な木の幹をつかみながら標に近づいていく。足下の落ち葉が滑ってバランスを崩しかけたけど、何とか木にしがみついて事無きを得た。
「気をつけてね!」
木田恵が心配そうに声を掛けた。だけどあたしはその時、なぜか悪い事が起こると確信していた。
あたしの思い通りに【物語】が動き始めている事を、信じて疑わなかった。