71 瞳の提案
「S、鈴木静はギプスが取れた後、ずっと足を引きずっていたわ。あれが嘘だとすると、かなりの役者ね。卒業した後もずっと演技を続けていたって言うの?」
根本遥はパソコン机の引き出しからキャラメルを取り出し、包みを広げて口に入れた。
「木田恵は用意周到にSを呼び出した。足の不自由なSを道連れに、屋上から飛び降りるのは簡単だと思った。だけど実際は違った。
油断していた木田恵は、問題なく動けるSの返り討ちに遭い、転落死。Sは自分の痕跡を消してその場を去った。
恐らく海野洋も古井戸にSを呼び出して、同じ目に遭ったのよ」
白川もポケットから生協の一口チョコを取り出して、フィルムを広げ、二つ同時に口の中に放り込んだ。
白川と根本遥は口を動かしながら無言で睨み合っていた。その時、白川の首に掛けていたスマートフォンが鳴った。
「私の母からよ。一先ず休戦ね」
白川は立ち上がり、部屋を出てリビングへ向かった。
俺は溜め息を吐き出した根本遥に率直に尋ねた。
「瞳の推理は証拠が無いけど、一応筋は通ってる。根本さんは本当に茶封筒なのかな?」
「フフフ。あんたにはどう見える?」
根本遥は不敵な笑いを浮かべ、溶かしたキャラメルをゴクリと飲み込んだ。俺は相手の反応を窺いながら、素直な意見を述べた。
「茶封筒はSを使って、いじめの報復を楽しんでいる。慎重な性格だけど、多少リスクがあって面倒くさい事も平気でやる人物だ。声明文に書いてあった通り、それが茶封筒の生きがいなんだろう」
「いろいろと忙しいあたしが、ホームから突き落とされるような危険を冒してまで、そんな下らない事にエネルギーを費やすと思う?」
根本遥はキャラメルの包みを丸めて、白川が捻じったフィルムの側に置いた。
「勝負は一旦お預けよ。警察が海野洋の自宅を捜索して、クラスメイトと私の自宅の周辺を下調べしていた形跡があったらしいわ。私のストーカーだった恐れもあるから、確認のために呼び出しを食らったの」
ドア枠にもたれた白川が、欠伸をしかけた根本遥に言った。
明くる日の日曜日の朝、白川は俺を自宅に呼び出した。警察の事情聴取の様子が気になっていた俺は、手早く出掛ける準備をして白川の家へ向かった。
四角い白壁住宅の二階に目を移すと、小さな窓のカーテンの隙間から、俺の到着を確認した白川の姿が見えた。
俺と白川はいつものように、小さな円いテーブルに向かい合って座椅子に座った。
「ミルクと砂糖は自分で入れて。一息ついたら昨日分かった事を報告するわ」
白川はカップに熱いドリップコーヒーを注いで、俺の前に置いた。
俺はミルクと砂糖をほどほどに入れ、スプーンで掻き混ぜた。白川も自分のカップにコーヒーを注ぎ、少しだけ砂糖を入れた。
二人とも静かにコーヒーを飲み、心を落ち着かせた後、ゆっくりとした口調で白川が話し始めた。
「結論から先に言うと、茶封筒は海野洋だった。家宅捜索でS、鈴木静との繋がりも確認されて、彼女は既に拘束されているわ。放火の命令を拒んだ鈴木静を、海野洋が古井戸に呼び出して口封じしようとした。結果は逆。海野洋は井戸に突き落とされ返り討ちにされた。鈴木静は正当防衛で、情状酌量の線があるかも知れない」
「海野洋は瞳にどれくらい執着していたのかな?」
俺が尋ねると、白川は大きく息を吐いた後、俺をじっと見つめて言った。
「確認のためプリントしたものを幾つか見せてもらったけど、海野洋のスマートフォンに私の写真が沢山残されていたらしいの。
その中に、一の写真も記録されていたのよ。一つ間違えば、あなたやあなたの家族に危険が迫っていたかも知れない。感謝は出来ないけど、結果的に鈴木静のお陰で最悪の事態を未然に防ぐ事が出来たわ」
白川は事情を説明して、警察に取り次いでもらい、渡辺凛が入院している病院を知る事が出来た。足と喉に火傷を負い、しばらく寝たきりの状態だったという。スマートフォンも、家が全焼した時に焼失していて連絡が取れなかった。
盛り沢山の弁当を食べさせて仲直りした根本遥を連れてお見舞いに行くと、元気に再会を喜んでいたそうだ。
昼休み。白川は久々に俺を美術室に呼び出した。
「弁当なら自習同好会の教室の方が居心地がいいと思うんだけど?」
俺が白川に確認すると、彼女は掛け時計を確認し、お決まりの席に俺を促した。向かい合わせに座ると、ゆっくりと深呼吸をして話を切り出した。
「私に提案があるの。一の素直な意見を聞きたい。OK?」
俺が頷くと、白川は声のトーンを少し落として言った。
「今日から手を繫いで一緒に帰らない? 私と一が周りから恋人だと認識されれば、気兼ねなくデートが出来るわ。あなたはどう?」




