70 妄想
白川は熱い紅茶を一口飲んで、白い息を吐き出した。根本遥はテーブルに両手を載せたまま、膝を立てて白川の言葉を待った。
「木田恵が残した手紙は、恐らく転落死する直前に書いたものよ。Sという人物に逆らえず、命令され罪を犯した。そして、そのSを道連れにして旅立つ。そう書いてあったの」
「S……実名は書かれていなかったの?」
根本遥の問いに白川は頷き、話を続けた。
「あなたの事はNさん、吉田先生の事はYと書かれてあった。木田恵の心境は推し量れないけど、残されたお母さんに迷惑を掛けないようにしたのかも」
根本遥は溜め息を吐いた後、ゆっくりとゲーミングチェアに戻り、再び脚を組んだ。
「それで、あたしに確認したい事って何?」
「まずはホームから突き落とされた件について。以前あなたから聞いた話と木田恵の描写には、明らかな食い違いがある。どちらかが嘘をついているのは間違いない。私は死を覚悟して記した木田恵を信用する。つまりあなたは私に嘘をついた。反論するなら聞くわ。言ってみて」
白川は鋭い視線を根本遥に向けて言った。
「フフフ。恵がどう書いたか知らないけど、多少話を盛り過ぎたかもね。だけど一つ間違えばお陀仏だった事は確かよ」
根本遥は自嘲気味に笑った。
「Sは木田恵を使って二度もあなたを狙った。私のいじめに加わろうとしなかったあなたを、なぜ執拗に狙ったのかしら?」
白川は根本遥から視線を外さず、挑むように疑問をぶつけた。
「そんなの、被害者のあたしに分かるわけないじゃない。あんたは尋ねる相手を間違っているんじゃないの?」
根本遥は呆れた顔を白川に向けて言った。
「私はS……恐らく鈴木静が茶封筒だと目星を付けていた。でもよくよく考えてみると、茶封筒の出所がバレないように手の込んだ細工をするほど慎重な茶封筒が、直接表に出て来るとは思えない。
茶封筒はひっそりと安全な所に隠れていて、人を駒のように動かし、その状況を傍観して楽しんでいる人物よ。私がいじめられているのを平気で眺めて、いつ弱音を吐くのかじっと注目していたようにね」
「あんたは一体何が言いたいの?」
根本遥は座ったまま前のめりになって、白川を睨みつけた。
「あなたがSに、そうするように仕向けたんじゃない? 自転車事故が軽い怪我で済んだのも、ホームから転落して無事だったのも、木田恵の行動を事前に知っていたから無難に対処出来た。真っ先に報復の被害者になる事で、あなたはSの陰に姿を隠す事が出来るわ」
白川は淡々と答えた後、静かに紅茶を口に含んだ。
「見上げた想像力ね。ラノベ作家もびっくりだわ。……それで、あたしが茶封筒だって言う証拠はあるの?」
「あなたも……やってないとは言わないのね」
白川は失望したように溜め息をついた。
「フフフ。面白いわね。あんたのそのバカげた妄想にしばらく付き合ってあげる。あたしがそのSに、匿名でいろいろとアドバイスしたとする。Sはそんなどこの誰だか分からない奴の意見を受け入れるのかしらね?」
根本遥は背もたれを少し倒して、再び脚を組んだ。
「あなたはSが木田恵の過失で足の怪我をした時、姿を隠してアドバイスしたんじゃない? 足に後遺症が残った事にすれば、木田恵に負い目を負わせる事が出来るって。私はそれが、彼女が命令に逆らえなかった理由だと思う」
「…………」
「そこから徐々にSの信頼を勝ち取っていったあなたは、Yつまり吉田先生を陥れたいSの希望を実現するため、木田恵に様々な命令をするよう、Sにアドバイスしたのよ」
白川は空になった魔法瓶の蓋を元に戻した。
「まるで見て来たような言い方ね。証拠もないのに」
根本遥は肩をすくめて言った。




