67 緑ハイツへ
どんよりとした曇り空の土曜日。俺と白川は小鳩駅のホームに降り立った。時刻は午前九時を回ったところ。前回と同様に、さびれた小さな公園で缶コーヒーでも飲みながら、到着時刻を調整する事にした。
白川は木肌が白く劣化したベンチに腰を下ろし、駅前で買った缶コーヒーを開けた。長く伸ばした黒髪をべっ甲のバレッタで纏めて、服は失礼のない程度に動きやすくカジュアルなものを身につけていた。
「木田恵が残した『たんスのうら』のメッセージは、偶然出来た文字の羅列に過ぎないかも。箪笥の裏に何も無かったらどうする?」
俺は少し離れてベンチに座り、白川に問い掛けた。
「元々ダメ元よ。これまでも私たちは私たちなりに、頭と足を使ってここまで来た。たとえ収穫が無くても、また何か別の道筋を見つけて必ず茶封筒の正体を突き止めてみせるわ」
「突き止めて……その後はどうする? もちろん茶封筒本人は馬鹿正直に自白なんかしないだろう。警察に通報するにしても、関連する事件や事故に、茶封筒が関与した事を示すような物証は、恐らく一つも発見されていない。警察は真面に取り合ってくれないと思う」
俺は錆び付いた鉄棒を意味も無く眺めながら、熱いミルクコーヒーを喉に流し込んだ。
「私は以前、根本遥の前で偉そうに『常識外れの正義の味方の報復を止めるため』とか格好いい事を言ったけど、本当は自分の不安な気持ちを取り除きたいだけ。茶封筒の正体がはっきりすれば、万全な態勢で身構える事が出来る。今更だけど、私の個人的な都合に一を巻き込んでしまって、ごめんね」
白川は白い息を吐いて俺を眺めた。
「……ぼっちの俺に、学校一の美少女が声を掛けてくれた事が素直に嬉しい。納得するまで付き合うから、瞳の思うようにやればいい」
俺は飲み終わった空き缶を屑籠に入れ、決意の意味を込めて白川に握手を求めた。
「ありがとう。改めてよろしくね」
白川はしっかりと俺の手を握り、僅かに口元を緩めた。
鄙びた住宅街の細い道をしばらく歩いて入り組んだ路地の突き当りを右に折れると、用水路を跨いだ先に、二階建ての集合住宅が見えた。102号室のドアブザーを鳴らすと、穏やかな表情を浮かべた木田恵の母親がドアを開けた。
「二人ともお久しぶりね。立ち話も何だから、遠慮せず部屋に上がって」
白川と俺は仏壇に手を合わせた後、木田恵の母親が淹れたお茶を飲みながら卓袱台を囲んだ。
「電話でも少しお話した通り、アルバムの返却と、恵さんの事でどうしても確かめたい事があって、お伺いしました」
白川が話を切り出すと、木田恵の母親は心を落ち着かせるように大きく息を吐いて頷いた。
白川がアルバムを丁重に手渡すと、木田恵の母親は受け取ったアルバムを胸に抱き締めたまま、白川の言葉を待った。
「詳しい事は後でゆっくりと話すつもりです。もし質問があれば、答えられる範囲で正直に話します。それで構いませんか?」
白川が確認すると、木田恵の母親はゆっくりと頷いた。
「恵さんは小学生当時のものをランドセルと洋服以外、全て処分してしまったようですが、卒業式の日に皆で埋めたタイムカプセルの中に、自分へ宛てた手紙が残されていました。これがその手紙です」
白川はニットジャケットの内ポケットからピンク色の封筒を取り出した。
木田恵の母親は封筒を受け取り、『二十歳のわたしへ-木田恵-』と記された拙い文字をしばらく見つめた後、目を潤ませながら中の手紙を開いた。




