41 ベイシス・ワン
小鳩駅の階段を下りた白川と俺は、警戒のレベルを上げて改札を通り抜けた。
「俺は、少しだけ距離を空けて瞳の後ろを付いて行く」
「OK。根本遥の家は駅からそう離れていないから、予定より早めに着くわ。一が一緒に来ている事は伝えていないから、同席出来るかどうかは行き当たりばったりよ」
白川は地図アプリを確認して、前を向いたまま呟いた。うら寂しい駅前の商店街は行き交う人も少なく、鳥の鳴き声と車が走る音が遠くから聞こえる程度だった。
雑草の生えた小さな踏切を渡ると、細い道路を挟んで密集した木造住宅が並んでいた。線路沿いの道路を少し進むと、白川は住宅街の脇道に入った。辺りは年季が入った民家に囲まれ、晴天の昼前にもかかわらず、薄暗くて肌寒い空気が漂っていた。
迷路のように交差する細い道を何度か曲がると、少し開けた通りに辿り着く。白川は立ち止まり左右を確認した後、不動産屋とコンビニに挟まれた細長いマンションを見上げた。
「根本遥の住所は、この賃貸マンションの四階よ。早めに着いたから、今から行ってもいいか電話で尋ねてみる」
「わかった」
俺は周囲に目を配りながら、電話の会話に耳を傾けた。
「もしもし? 根本さん? 予定より早いけど、あなたのマンションの前にいるわ。そっちへ向かってもいい?」
『ちょうどお腹が空いてきたところよ。早くお弁当を食べたいから構わないわ。……ところで、あんたの後ろにいる貧弱そうな男は、一体誰?』
マンションを見上げてみると、四階の窓の遮光カーテンの隙間から黒い双眼鏡が覗いていた。
「私の相棒よ。正直言って私はまだあなたが怖いの。出来れば彼も一緒に同席させてほしい。ダメなら諦めるけど。どう?」
『そのダサい男に代わって』
白川は周囲を警戒しながら俺にスマートフォンを手渡した。
「初めまして。白川瞳と同じクラスの佐藤一です」
俺は控えめな声で、自己紹介をした。
『フフフ。あんたみたいな冴えない男が黒髪美少女の相棒とはねぇ。ラノベみたいでエモいわぁ。白川さんの事、好きなの? 正直に答えたら同席させてあげる』
白川を見ると、上を見上げたまま黙っていた。
「少し……好意はある、かな」
俺は白川に聞こえないように、口に手を当て小さな声で答えた。
『白川さんに代わって』
俺は指で軽く白川の肩を突っついて、スマートフォンを手渡した。
『佐藤一の同席を認めるわ。あたしの部屋は左の階段を上って四階の【4A】。インターホンを鳴らしたら鍵を開けるから、すぐに入って施錠する事。わかった?』
「OK」
白川は電話を切ってジャージのポケットに入れた。
「根本遥が敵か味方か分からないけど、しばらく密室で対峙する事になるわ。気を抜かないようにしましょう」
俺は頷き、リュックサックを腹に持ち替えた白川の後を追った。
ガラス製のエントランスドアを開けると、左右の壁に集団ポストがあり、防滑性のシートが敷かれた廊下が奥に続く。廊下を進むと四つのドアに挟まれるように左右に階段があった。白川は根本遥の指示通り、左の階段を上って行く。
「【4B】のポストにも根本の表札があった。保護者は隣りの部屋に住んでいて、【4A】の根本遥は一人暮らしをしているのかも」
「【ベイシス・ワン】がこのマンションの名前よ。ベイシスは根本とも訳せる。根本遥は家主の娘なのかも知れないわ」
息を切らして四階に上がると、共用廊下の奥に、ようやく【4A】の室名札を確認した。
白川は息を整え、レンズ付きのインターホンを押した。ドキッとするような大きな呼び出し音が鳴り、たじろいだ白川を思わず後ろから支えた。
『入って。鍵を閉めるのを忘れないで』
玄関ドアの鍵が開いて、スピーカーから囁くような声が聞こえた。




