03.魔獣と何が違う
商業地区にある闇ギルドの拠点にあるオードラの執務室には明かりが灯っていたが、いま彼女の姿はベランダにあった。
石造りの手摺りに身体を預け、オードラは考え込んでいる。
ザックが告げた『赤の深淵』の狙いは、人を神に造り替える禁術であるという。
「ハッ……! 馬鹿げた話だよ、全く」
思わず口に出すが、オードラは神について考え込む。
確かにこの世界には神なる存在は居る。
長く社会の闇の底で仕事をしてきた身だ、オードラは本当に底が抜けてしまわないように秩序が最後にもたらされることを知っている。
人の手で魔法によって奇跡のようなことがなされるが、それが行き過ぎないように見守るような偶然が働くことがある。
それが偶然では間に合わないときに、国教会の石頭どもがベソをかいて崇める奇跡がなされる。
彼女はそのことを思う。
「それでも、この世は人間さまの世の中さ」
この世が人の世である以上、それを超えるような力はネームドの魔獣と何が違うというのか。
神は神同士でお仲間とよろしくやってくれればいい。
オードラはそう思い浮かべて呟く。
「人間さまは人間さまでよろしくやるのさ」
彼女はそう嗤ってから自身の片側の目を覆う眼帯を外し、ゆっくりを目を開けた。
するとそこには銀色の瞳をした、魔獣の眼を思わせる義眼の魔道具が嵌め込まれていた。
オードラは先天的に片眼に視力が無く、魔法医療では視力を取り戻せない身体だ。
それでも武の才と統率力によって組織内でのし上がり、あるとき宗教的遺物を手に入れた。
フサルーナの没落貴族からの報酬に紛れていたそれは、強い呪いを帯びていた。
好事家に転売することも出来たが、彼女はその造形に惹かれ、教会に多額の寄進をして義眼から呪いを除去させた。
その後オードラは自らの見えない眼球を取り出して、その魔道具を移植した。
魔法による鑑定では年代測定ができず、それでも判明したのは大昔にこの大陸で竜を奉じる氏族が設えた義眼――『銀竜眼』という魔道具であることだった。
魔道具としての性能では環境魔力を良く読み、気配や人の機微さえも読んだ。
竜の眼の力が秘されていると評する者もいたが、銀竜眼はオードラの身体によく馴染んだ。
そしてその力を活用して、けっきょく彼女は闇ギルドの元締めの座を得た。
オードラが満天の夜空の下で能動的に義眼に魔力を込めると、王都を動く環境魔力の流れが急速に可視化されていく。
「ぐっ………、はっ………………、ああっ……がっ…………!!」
銀竜眼が全力でその機能を発揮し始めると、巨大な負荷を与えながらオードラの脳へと大量の情報を流し込んでい行く。
その情報量の重みに呻きつつ自我が押しつぶされそうになりながらも、彼女は王都の城壁内の魔力の流れを確認して、直ぐに義眼に掛けていた魔力を停止する。
「はぁっ……はぁっ……はー……やれやれだ」
荒い呼吸を整えつつ、オードラは半ば麻痺している自らの思考を意志の力でほぐす。
王都内に異常が確認されなかったこと自体は良い情報ではある。
それでも彼女は懸念を拭えなかった。
「これで見つからないなら……、本当に厄介だね」
オードラはそう呟いてから、ベランダから自身の執務室に戻る。
そのまま自身の執務机の椅子に座り、飲み差しのブランデーを一口嚥下した。
「ふう……。情報屋どもには手を打ったし、親父殿の伝手にも頼んである」
そう言ってからグラスを机上に置いて彼女は嗤う。
「仮に神が生まれたとして、人間さまの暴力って奴をたっぷり味わわせてやるよ」
あるいはオードラは、神と呼ばれる者でもこの世にある限りは、そういう名の魔獣と認識するかも知れなかった。
一夜明けて二月第三週五日目の光曜日になった。
いつも通りに起き出して食堂に向かい、朝食を頂く。
その後あたしは食堂に置かれていた新聞をチェックするけれど、別段特別な内容は報じられていないようだった。
普段通りならいいのだけれど、デイブから連絡があった襲撃の話だとかヒツジ事件とか人骨大量盗難事件の話が無い。
「たぶん異常事態なのよね……」
思わずそんな言葉を呟いてしまうけれど、誰にも聞かれることも無かった。
その後あたしは制服に着替え、身だしなみを整えてからいつものようにクラスに向かう。
「おはようございまーす」
『おはようー』
みんなに挨拶しながら席に向かう。
キャリルはすでにクラスに来ていたので視線を向けるけれど、彼女はそれに気づいてあたしに頷いてみせた。
そのやりとりで、昨日リー先生たちと話した内容をあたしは思い返していた。
やがてディナ先生が来て朝のホームルームが始まる。
すると先生は穏やかな表情であたし達に連絡事項を伝え始めた。
「今日は先ず皆さんに大切な連絡があります。どうか落ち着いて聞いてほしいのですが、いま王都では治安の悪化が心配されています――」
つい先日、王都では反社会的集団どうしが争いはじめた。
このため当面のあいだ、学院からの外出を禁止する。
そういう内容が告げられる。
するとクラスのみんなも不安を感じたんだろう、近くの席の子と言葉を交わし始める。
「はい、みなさん説明を続けるのでお静かに!」
ディナ先生の毅然とした声で、みんなも取りあえず話を聞くことに集中し始める。
その様子に満足げに一つ頷いて、先生は話を続ける。
「現在学院の方から王宮に警護の依頼を出し、これが即時に了承されました。非常事態に備える意味で、王城から騎士団が警護に来てくれます――」
ディナ先生の話では、現時点で先遣部隊が早朝に到着しているらしい。
構内で見かけないけれど、部活用の屋外訓練場に野営陣を作り始めているとのことだった。
ここまで先生が話したところでコウが手を挙げて質問した。
「何人くらいの規模で来てくれるんですか?」
「先遣部隊はひとつの小隊規模で、二十名強の騎士が来ているそうです。最終的にはひとつの中隊規模で、約百名ほどで警護をしてくれると説明がありました」
『おお~……』
このほかにもみんなから質問があって先生が応えていた。
部活などは通常通り行って大丈夫だけれど、とにかく外出は原則禁止とのことだった。
そこまで話してから先生はなぜかあたしに視線を向ける。
「――おうちの事情などで学院から外出しなければならない場合は、学院に届け出るか、最低限担任の私に連絡してくださいね」
そういってディナ先生は微笑んでみせたけれど、べつにあたしだけに言ったワケじゃないはずだよね、うん。
あたしも笑顔を浮かべて、みんなと一緒に「はい」と気持ちよく返事をしておいたけれども。
いつも通りに午前の授業を受けてお昼休みになる。
実習班のみんなと食堂に行って、料理を取って適当な席に座る。
「なあなあ、やっぱりみんな外出禁止の話しとるやん?」
カボチャのポタージュスープを食べながらサラがそんな話をする。
スープが何とも言えない黄色をしていてカボチャの甘みを想起させるけれど、彼女はときどき千切ったパンをスープに浸しつつ食べている。
あの食べ方はやっぱり王道なんだよな。
「そうですね。反社会的勢力の衝突ともなれば、外出禁止は仕方がないと思いますよ」
苦笑いしつつジューンがそう告げるけれど、彼女は今日はチキンのトマトミートパイを食べている。
何となくピザ風のフレーバーを想起しそうだし、あたしもあれは迷ったんですよ。
「安全が第一よやっぱり。まずは防備を固めて備えないと、闇ギルドも秘密組織も両方ヤバすぎるわよ」
あたしはそう言いながらトンカツを頂いている。
配膳口で見かけたので早々にゲットしたけれど、豚肉を叩いて伸ばしてカツにした奴にグレイビーソース (ワイン仕立ての肉汁ソース)とレモンが掛かっている。
よく揚がっているうえに肉がジューシーで、日本人の記憶ではライスが欲しくなる気分があるけれどパンで食べています。
「いっそのこと学院におびき寄せて、包囲殲滅でもすればいいのですわ」
そういうキャリルは彼女の好きなチキンソテーを食べている。
バターソテーなんだけれど表面がパリッと焼き上がっていて、安定した美味しさなんだよな。
「まあ、闇ギルドの方はともかく、『赤の深淵』の方は逃げ足が早いらしいのじゃ。包囲殲滅が出来るかは怪しいのう」
ニナはそう言いながら天丼を食べている。
彼女はマホロバ料理が好きだというだけあって、いまもカボチャの天ぷらを満足そうに頬張っていた。
ホクホクしてて美味しいよね、カボチャの天ぷらって。
みんなで食事をしながらお喋りをして、食べ終わった後も話し込んでいた。
すると何となく広い食堂の中で奇妙な魔力の動きが感じられる。
そちらに視線を向けると、あたしは茫然とその場に立ち尽くしているパメラと目が合った。
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