01.顔が真っ青ですよ
王都ディンルークの商業地区も夕方になり、買い物客に加えて宿屋や酒場に向かう客の流れで大通りはごった返していた。
その通りにある商家の事務所で、最上階にある執務室の窓から地上の人混みを見やりながら、ザックがウンザリしたような口調で告げる。
「ねえオードラ、実際に現場に出向いた君の手勢に文句を言うつもりは無いけれど、私は言わなかっただろうか? 魔法の使い手が足りないときは手伝うってさ」
その声色は怒っているというよりは呆れの色が強いだろうか。
ザックは別に、闇ギルドの元締めであるオードラを責めているわけでは無い。
組織が大きくなるほど、その末端の動きを御する大変さを察することくらいは出来るからだ。
だがその冷静な見立てがオードラに突き刺さる。
「はっはっは、ホントにねえ……。あんたに出張ってきて来てもらえていたら、もう少しは違ったんだろうさ。子飼いの直轄部隊にツッコませたんだが、雑な仕事だったようでね」
彼女の声色にそこはかとなく疲労の色を感じ取り、ザックは一つ嘆息する。
そうして室内の方に振り返って、ソファに向き合って座っているオードラとノエルの方を見やった。
「君を責めるわけでは無いけれど、もうちょっと何とかならなかったのかい?」
「ホントにねえ。指示を出したクレイグの奴が、腕っぷしとか突破力とか頑丈さだけで選んだみたいなんだ。まともに働けたのが共和国からのお手伝いだったとさ」
そう言ってオードラは肩をすくめ、首を横に振ってみせた。
彼女はザックとノエルに、『赤の深淵』拠点襲撃の流れをすでに説明していた。
拠点の特定は、ザック開発の指輪型魔道具を装着した者に偵察させて行った。
クレイグが指示を出し、『霧鉛兵団』の手練れに踏み込ませた。
応対した獣人は『閉じた魔法自我』が示唆されたため、有無を言わさず攻撃したところ無詠唱の魔法で対処された。
最初に踏み込ませていた者以外に路地に潜んでいた者も突入させたが、時間稼ぎされている間に逃げられた。
通りに面した逃げ道は塞いでいたので、転移の魔道具を使ったのだろう。
「そんなに転移の魔道具を、簡単に入手できるものなのかねえ」
「入手というよりは、自作じゃないだろうか。『赤の深淵』は禁術を行う秘密組織だし、魔法だの魔道具だのはお手のものだと思うよ」
「それなら確かに魔石塗料と汎用の魔道具部品があれば、自分たちの分は用意できるでしょう」
オードラの問いにザックとノエルが順に応えるが、その内容でうんざりした表情を浮かべた。
「まったく、認識が甘かったね。こりゃ共和国の闇ギルドの連中が手を焼くわけだ」
ザックはオードラの様子を見ながら考えを巡らせつつ、窓際の壁に立ったまま寄り掛かる。
「それで、オードラとノエルはこれからどうするんだい?」
「情報をまとめると、商売をしている場合では無さそうです。わたしの店は馴染み客以外は当面取引を絞ることにします」
その言葉にザックとオードラは頷く。
「私の方としては、裏仕事はいつも通りだ。槍や石や天使が降ってこようが、闇ギルドには休みなんざ無いんだよ。それはいいんだが……」
オードラが考え込んでいるのは『赤の深淵』を追い込む方策だろう。
今回取り逃がしたことで、相手が警戒を強めているのは確実となってしまった。
彼女はその考えが表情に出ることは無いが、それでもノエルはそっと手を差し出すように告げる。
「案出しなら手伝いますよ」
「助かるよ親父殿」
オードラはそう言って頷いた。
闇ギルドの元締めとしては、オードラは商売敵の裏社会の連中の動きは読みやすいと考えている。
利益と意地とのバランスを、それぞれの勢力の背景から見通せばいいし、そのために情報を普段から集めている。
ところが『赤の深淵』の連中は禁術を実践する秘密組織だ。
普段オードラが皮膚感覚で判断している勘のようなものが、今回は通じないことを危惧している。
その結果自分たちの縄張りであるとか身内がいいようにされるのは、彼女には看過できなかった。
オードラは一つ息を深く吸って意識を整えると口を開く。
「今回逃がしたが、その後の行動を読みたい。普通のセオリーは思いつくが、どう思う? ――ザック、あんたも知恵を貸しておくれ」
オードラの言葉に二人は頷く。
「普通に考えたら、別の拠点に逃げて集合するのは確定しているね」
「そこからは分散するか撤退かねえ?」
ザックの言葉をオードラが確認するが、まずは大きな動きを想定しなければならない。
そう思って彼女は『赤の深淵』の選択肢を明示する。
「拠点は襲撃されるリスクが判明した以上、それを避ける行動を選ぶでしょう」
「確かにね」
「襲撃を待って罠に嵌める可能性はあるかな?」
ザックの問いにオードラとノエルは考え込む。
普通の敵ならそういう追跡対策は普通に考慮すべきだろう。
だが今回は『赤の深淵』は“禁術の実践”という目標がある。
それが目標である限りは、追跡者とか襲撃者の数を減らすことは戦略としての優先度はそこまで高くないのではないか。
オードラとノエルが似たような推察を働かせるが、先に口を開いたのはノエルだった。
「長期戦ならそれもあり得ますが、どう思いますかオードラ?」
「そうだねえ、連中の目標は何だい?」
「そんなの……、禁術の実践じゃあ無いのかい?」
「となるとだ、ザック。連中の禁術の準備はどのくらい進んでると思う?」
とつぜん問われたザックは眉を顰める。
流石のザックも『赤の深淵』が行うような儀式の式次第は頭の中に無い。
「いや、オードラ。私は禁術を実践するような外道では無いんだがね」
「それでも頼む。この三人なら、いや、王都でもあんたほどの面倒くさい知識を持ってる奴はそういないと思うんだよ」
「そうですね、なにせザックは魔神さまの弟子ですから」
いつかの圧力を掛けるような視線ではなく、どこか縋るような視線をオードラから向けられてザックは顔をしかめて目をつぶり、腕組みして唸り始める。
想定される魔法儀式の流派的な儀軌の類型化。
その汎化と応用をするうえでの、実現可能性を担保した状態での条件の絞り込み。
想定される条件を満たす儀式構造と、魔力の流れの段階的な変化の想定。
それによる意味論的な儀式実施者の魂の状態と、そこから逆算される具体的行動。
推定された行動を最大化するための、地理的気候的天文的そして時間的制約の検討。
そして現時点までに為された行動の効果の想定と、そこから推察できる今後の儀式。
「ザック……?」
「…………うん、そうだね。儀式はもう後半から最終段階じゃないだろうか」
「ザック、大丈夫ですか? 顔が真っ青ですよ?」
ノエルが自分に心配げな視線を向けるのに気づき、ザックは空元気で微笑んで見せる。
「ああ、大丈夫さ。ちょっと連中の狂った儀式を想像して、眩暈がしただけなんだ」
「連中が狂ってるのはみんな知ってる話だよザック?」
彼の言葉に首を傾げるオードラだったが、あるいはザックが想起したものを確かめたかったのかも知れない。
それはオードラの勘が促したリアクションだったのだが。
「ああうん、それでもちょっとあり得ない想像をしちゃったのさ」
「どういうことです?」
ノエルに問われ、少し迷った後にザックは応える。
「生きた人を神に造り替える儀式を、計画しているのかなって思ってね」
そう告げてから、ザックは本当にくたびれたように重く息を吐いた。
彼の言葉を聞いて、オードラとノエルはしばらく言葉を失っていた。
ルークスケイル記念学院の講義棟を、夕陽が赤く染め上げている。
だが歴史ある建築物に、ある種芸術的な陰影を与える陽の光も実習棟の地下には届かなかった。
学院の地下には秘された貯蔵庫が幾つもあるが、そのうちの一つである第三禁書庫を歩く者の姿がある。
学長であるマーヴィンと、文化史の研究者であり珍書研究会顧問のローガンが、書棚を確かめながら明かりの魔道具で照らしつつ移動していく。
先だって共同墓所から大量の人骨が盗まれた。
その件で王宮から依頼があり、人骨が使われる禁術を調査することになった。
だがその道すがら、ローガンは奇妙な本を見つけてしまった。
「マーヴィン先生、この棚ですがずい分刺激的なタイトルが並んでいますね」
ローガンの言葉に足を止めて彼が示した書棚を観察すると、マーヴィンは冒涜的な書名が並んでいるのに気づく。
「はい。この書棚だけでは無くて、ここからしばらく続きますが、同じテーマですね」
彼らの目の前には、魔法によって人間を神に造り替えるという趣旨の本が膨大に並んでいた。
お読みいただきありがとうございます。
おもしろいと感じてくださいましたら、ブックマークと、
下の評価をおねがいいたします。
読者の皆様の応援が、筆者の力になります。




