11.手駒になってもらおうと
王立国教会本部の神官戦士団の訓練施設で、あたしは逃げたくなっていた。
教皇さま達の儀式で、サイモン様から納豆状の謎のネチョッとした魔力が弾けた。
それは壁をすり抜けて国教会本部の敷地全体に広がった。
そしてその魔力がぶつかった人は、どうやら錯乱のような状態異常に陥っている。
あたしやキャリル、ニナやシンディ様は彼らに対処するのを手伝うことになった。
教皇さまはゴッドフリーお爺ちゃんの友達だし、個人的には国教会を助けるのに否は無い。
否は無いのだけれど、キャリルと彼女の側付き侍女であるエリカに押し切られる形でここに来た。
錯乱した神官戦士団の人たちを気絶させたり寝かせたりすれば、状態異常の悪化は防げる。
「それは分かってるんだけどね……」
「どうしたんですのウィン? ここにきて怖気づいたんですの?」
キャリルが問うけれども、そういう意味ではここに来る前から怖気づいていましたが。
「いや、なんていうかあんまり触りたくないカンジなのよ」
「それは予感ですの?」
「えーと、そういうワケじゃなくて美意識的な何かかしら」
あたしがそう言ってため息をつくと、エリカが朗らかに告げる。
「大丈夫ですよウィンちゃん、心配なら終わった後に【洗浄】を掛けてあげますよ?」
「そういうことじゃないです」
「でも、触りたくないって、汚れを心配してるんですよね?」
エリカはあたしに面白そうな表情を浮かべているけれど、分かって言っているなこの人。
ミスティモントではキャリルの家で働いたときの上司だし、あたしの行動パターンは読まれている気がするんです。
「はあ、残念ながら大丈夫です。行きますよ」
「それではウィン、エリカ、競争ですわね!」
「私はお嬢さまと共に動きます。ウィンちゃんは好きに動いて下さい。ヤバかったら呼んでくださいね」
「はーい……」
そうしてあたし達は『屋内訓練場』と書かれた部屋に突入した。
キャリル達はなぜか、レスリングのように組み合っている人たちのところに向かった。
それを横目にしつつ、あたしは立ち尽くして虚空を指さしている人たちを元に戻すことにした。
「それじゃあ始めますか――あらよっと」
あたしは掛け声とともに『時輪脱力法』を使い、状態異常を治していく。
数名ほど治したところで声を掛け、状況を説明すると感謝された。
「――そういう状況で、いま国教会本部内は状態異常になった人たちで溢れています」
「承知しましたお嬢さん、治してくれて感謝する。まずは我々も、この場の者たちに対処する」
「お願いします」
そんな感じで神官戦士団の人員を増やしながら、あたしは『時輪脱力法』を使いまくった。
結果的に、上半身ハダカでポージング合戦する人たちに触れることは避けることが出来たので、その点だけはホッとした。
時間的にはそこまで掛からずに『屋内訓練場』の対処は終わった。
あたしがホッと一息つきながら、神官戦士団の人たちと何やら話し込んでいるキャリル達を遠目に見ていると、奇妙な予感がした。
いや、ある種の危機感に似ていたかも知れない。
その予感に動かされるように、出入り口の扉の方に視線を向ける。
するとそこには知った顔があった。
ウィクトルの兄であるユリオが、冒険者風の格好をしてニコニコしながら部屋に入ってきた。
デイブの話では、彼は王立国教会に紹介されたのだったか。
そう思いつつもユリオを遠目に観察するけれど、なぜか違和感が消えないままだ。
彼は屋内訓練場の中を見渡しながら、楽しそうな表情を浮かべてあたし達の方に歩いてくる。
そして直ぐ近くまでやって来ると、ユリオは告げた。
「やぁ乙女たち! キミたちがこの場を収拾したンゴ?」
なんだこいつ――
そう思った時にはあたしは、頭の中でユリオの状態について計算し始めていた。
キャリルとユリオは会っていないけれど、あたしを忘れている時点で状態異常が疑われる。
でもただの状態異常なら、ここまであたしの違和感とか予感が働かないだろう。
そもそも違和感の正体は何だという話だけれど、ユリオの気配がいつもの状態ではない。
他人が成りすましているのか、あるいは状態異常の影響なのか。
口調も変わっているし気配もヘンだし、まずは状態異常と判断して『時輪脱力法』を試すか。
それでも違和感や予感が消えないなら、何かがユリオに起きていると判断するべきだ。
結論したのと同時に、あたしは動く。
「ちょっと失礼、――ほいさっさ」
一足でユリオの傍らに移動し、死角から『時輪脱力法』を使った。
ヒットの瞬間に、ユリオの姿をするそいつの気配が揺らいだ気がする。
「ふーん、どこで習ったンゴね?」
だが何事も無かったかのようにそいつが告げる。
その段階で距離を取り、あたしはそいつに問う。
「あんた誰よ?」
いつでも動き出せるように内在魔力を循環させて身体強化を行い、チャクラを開いてそいつに向き合う。
するとユリオの姿をした者は、虚無的な笑みを浮かべながら告げた。
「誰って、そういえばキミと会うのは初めてだぉ、薬神の巫女ちゃん?」
そう告げながらそいつは、ネチャッとした気配をその身の裡から増していく。
ふと気づけば周囲にいたはずの、キャリル達や神官戦士団の人たちの姿が無くなった。
「初めましてだぉ! ボクチンは秘神セミヴォールだぉ よろしくなんだぉ」
第一印象はキモいの一言だけれど、それと同時に独特の神気を感じて思わず言葉が出る。
「あなた、邪神なのね……」
「そう呼ぶ連中も居るンゴ。でもあんまりな呼び方なんだぉ」
「ユリオさんはどうしたのよ? ここに居た人たちも居なくなったし……」
あたしが問うとセミヴォールは虚無的な視線を向けてくる。
「この身体と魂は、ボクチンが間借りしてるんだぉ。それに薬神の御子ちゃんは勘違いしてるンゴ」
「勘違い?」
「そうだょ、みんなが居なくなったんじゃなくてぇ、キミを『存在の虚数域』に招待したんだぉ!」
そう言って秘神は嬉しそうにネチャッと嗤った。
姿かたちはユリオだし彼は丸耳の獣人で、超絶イケメンとまでは行かずとも整った顔をしている。
だが目の前のそいつは、気配を読もうとするだけで軽い吐き気がしてくる。
秘神の神気の影響か、ただただキモいのだけれど、キャリル達をまき込んだりしなかったことはホッとする。
ユリオは盛大に巻き込まれているけれど、何とか秘神を彼の身から引きはがせないものだろうか。
でもあたしただの人間なんだよなあ。
「キミは仲間とも相談したけど、手駒になってもらおうと思っているンゴ」
それを聞いた段階で、あたしは秘神セミヴォールとの会話がムダだと判断した。
何らかの神の権能を使って、あたしを邪神群の兵隊にでもするつもりなんだろう。
ならまずはこいつをユリオから引きはがすか、それとも最悪の場合はユリオごと仕留めるか。
でも、仲間というわけでは無いけれど、ユリオはウィクトルの兄だ。
ユリオを仕留められたとして、学院でウィクトルにどんな顔をしろというのか。
そこまで頭の中で計算して、あたしは動き出した。
「えいやっさ」「ほいさっさ」「そーらよっと」「よいしょっと」「こーらさっと」
秘神セミヴォールの周囲を高速移動して瞬間的に立ち止まり、掛け声を口にしつつ『時輪脱力法』の掌打を放つ。
掌打といってもスッと手で触れるだけなんだけれど。
感覚としては技をヒットさせるたびに秘神の気配が揺らいでいるし、ときどき大きくズレている気がする。
このまま何とか引きはがせないだろうか。
そう思っていると秘神はそれまで棒立ちだったのが一転し、あたしに掌打を合わせてきた。
それを避けてあたしは距離を取る。
すると秘神は口を開く。
「ねえ巫女ちゃん。それって時神の技法ンゴ?」
あたしは秘神が喋り出したのに合わせて高速移動で傍らに立ち、『時輪脱力法』を放つ。
三回ほどヒットさせたら、残念ながら反撃して来たのでまた距離を取る。
「ちょっとぉ巫女ちゃん? こういうときは得意げに情報を漏らすのがお約束だお、なってないお!!」
そんなことは知るか。
でも正直、秘神の気配を揺るがせても、相手のダメージになっている感じがしない。
とっとと沈んで欲しい。
まだまだ体力的には余裕で動けるけれども、いつまで続くだろうか。
ユリオの身体に斬撃を入れるのは最終手段にしたいんだよな。
そう考えていると、秘神がなにやら焦れたように告げる。
「ふーん、いいんだンゴ。勝手に調べるぉ」
そう言ったのと同時にネチャッとした神気が走ったが、それがあたしに到達したところで霧散する。
「プロテクト? どういうことンゴ!」
そんなこと訊かれても、あたしは人間なんですって。
あたしの方こそ説明して欲しい――
そう考えたのと同時に、あたしの足元の影から良く知った気配がずるりと漏れ出して形をとる。
「こういう可能性は考慮してなかったけど、なんでも備えておくものね」
「ソフィエンタ!?」
そこには分身のように立つあたしの姿があって、彼女からはソフィエンタの気配が感じられた。
ウィン イメージ画 (aipictors使用)
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