08.乗り越えるヒントがあるなら
寮に戻るには時間があるので、キャリルやみんなと一緒に部活棟まで移動して、あたしは回復魔法研究会に顔を出した。
昼休みに『敢然たる詩』で打合せをした時に、レノックス様がタヴァン先生との面談を調整してくれることになった。
それはいいのだけれど、タヴァン先生たちの鉱物スライムを使った治療について、何か予習が出来ればと考えてしまった。
せっかくプロのところを訪ねるのだし、当日は最小の労力で話を理解したいわけですよ。
ラクをしたいんですが何か、ともいうけれども。
「こんにちはー」
『こんにちはー』
挨拶しつつ部室に入るとあたしに気づいた何人かが挨拶を返してくれた。
でも部室にある黒板を使って、数名の部員が何やら活発な議論を行っているようだった。
「そもそも特殊なスライムというのが――」
「脳や神経への影響以前の問題として――」
「だが原因はたんぱく質なんだろう?」
「その除去と魔素の固定化の機序について――」
「つまりは魔素の代謝機構に関する伝統的な知見を――」
あれはまさに、鉱物スライムを使った治療に関する議論をしている人たちなんじゃないだろうか。
高等部の生徒ばかりだけれど、けっこうみんな真剣な感じで話し込んでいるな。
興味本位で“ちょっと割って入って予習に話を聞く”というような雰囲気じゃ無いカンジだな。
どうしよう。
「やあウィン、この時間に顔を出すなんて珍しいじゃないか。きみも第一王子妃殿下の治療の件で議論をしに来たのかい?」
「ああクラウディア先輩、こんにちは。そうですね。今回初めて知った治療法ですし、いろいろ興味深いじゃないですか。詳しく知ってるひとが居ないかなって思ったんです」
クラウディアが話しかけてきたので応じるけれど、彼女もみんなと同じく鉱物スライム療法の情報集めをしに来たんだろうか。
「確かにそれは分かるよ。私にしても新聞を読んで色々と妄想を膨らませていたんだ」
「新聞て、ローズ様の件ですね」
「他に無いだろう? ふふ。――それよりウィン、きみは闇曜日に王都南ダンジョンに居なかったかい?」
やべっ、クラウディアには見られていたのだろうか。
あるいは知り合いから聞いたんだろうか。
「ええと、気のせいじゃないですかね?」
何となく視線を逸らしてあたしは医学の入門書の本棚の方に視線を移し、さり気なくそちらに移動しようとする。
だがクラウディアはあたしの手をむんずと掴む。
「ははは、そんなわけがないだろう? 百歩譲ってウィンを見間違えたとして、私がキャリルを見間違えるとでも?」
クラウディアはキャリルと雷霆流の同門だ。
キャリルからお姉さま呼ばわりされているし、旧知の間柄らしい。
「ええと、何のことでしょう」
自分でも白々しいなと思いつつ、あたしは視線を逸らしながら応えた。
だがクラウディアはスッとあたしの頬に手を伸ばし、自分の方に顔を向けさせる。
「じつはあの時、ちょうどダンジョンに潜ろうとしていたんだよ」
「え?」
「私は地上の街に居たんだ、ふふ」
ああダメだ、見られてしまっていたならごまかしは効かないよ、うん。
この段階で内心は観念しながら、あたしはクラウディアに訊いた。
「へえ、お一人だったんですか?」
「いや、流派の仲間とだよ。結構ダンジョンには行くんだ」
「流派の仲間って、キャリルと同じでしたっけ?」
「そうそう。それなりに武術の鍛錬にもなるし、回復魔法のトレーニングも出来るし、ダンジョン内で色んな素材を手に入れられるし、中々お得なんだよ」
そう言ってクラウディアは微笑んで、人差し指を立てて話してくれた。
「ああ、いいですねえ、お得とかって」
あたしも努めて爽やかに微笑んで、さりげなく本棚に向かおうとする。
そこを一瞬で間合いを詰められ、今度は両手でむんずとあたしの左右の頬を掴まれた。
そのまま視線をクラウディアの方へと向けさせられる。
「ねえウィン、私をたばかったりしようと思っていないかい? 少なくとも、まだ質問には応えてもらっていないと思うんだ」
そう告げるクラウディアは別に怒っている様子はない。
それでもあたしを逃がすつもりは無さそうだった。
「へふひはははっへふはへひゃはいへふひょ」
「そうかい? 私が信用できないかい? 私は君がそんなに不義理な奴では無いと思っていたんだけれど」
クラウディアはそう言ってニコニコと微笑む。
底意なく断言されてしまったけれど、不義理とかそういう問題ではない気がするんですけど。
信用の話でいえば、あたしはクラウディアを理性的な人だと思っている。
その意味において、十分信用できる人だと思っていた。
あたしは自身の両手でクラウディアの両手を掴んでから、自分の頬のコントロールを取り戻す。
「ええと、そうですね。ちょっと外で話をしましょうかクラウディア先輩」
そう言ってあたしは彼女を部活棟外にあるベンチへと連れ出した。
結局あたしはクラウディアに闇曜日のことを全て説明した。
ベンチの周囲を【風操作】で防音にした後、一通りの話をしたのだ。
「――『魔素固定化異常神経変性症』を、治すためだったんだね。新聞では正式な病名まで伏せられていたんだよ」
「そうだったんですね。あたしはまだ記事をちゃんと読んでいなくて」
「ウィンは当事者に近い側に居たから、記事の内容までは注意が向かなかったんだね。でも多分、一度読んでおいた方がいいと思うよ」
「そうですかね?」
「ああ。それに病名や治療法をボカしていたのは、鉱物スライムを乱獲する連中が出てきたら困ると思ったんじゃないかな」
「それは確かに」
せっかく今回有効な治療法のひとつが確認できたのに、乱獲されるようなことが起これば治療を待つ患者には迷惑な話だろう。
「大丈夫、私も実家は医者だ。患者に迷惑を掛けるようなことはしたくないかな。ウィンが話してくれた内容は、公表されるまで家族や友人にも秘密にしておくよ」
「お願いします」
クラウディアはあたしの話を聞いて満足してくれたようなので、取りあえずホッとした。
「でもそうなると、その双子の先生はこれから大変そうだね?」
「大変そう、ですか?」
「だってさあ、他国で学んで来たという伝統医療の研究を学びたいというヤツが殺到するんじゃないかな?」
確かにそれはそうかも知れないです。
というか、あたしも学びたいですけれども。
「少なくとも私は学んでみたいよウィン。現在の魔法医療には限界がある」
「それは同感です。今回のローズ様のご病気だけじゃないですし、王国の魔法医療で漏れてしまっている患者は居るじゃないですか」
「そうそう。それを乗り越えるヒントがあるなら、ぜひ学んでみたいじゃないか」
「ですよね。やっぱり大変そうかなぁ……」
そこまで話して、あたしとクラウディアは苦笑した。
あたしたちだけでもこう思っている。
恐らくは王国内部でも多くの医師がタヴァン先生たちを訪ねる気がする。
そりゃ大変なことになるよ。
「とりあえずウィン。きみの伝手でそういう機会が得られそうなら、私も参加させてほしいんだ」
「分かりました。その時は連絡しますね」
「頼んだよ。あと、そうだな……。ウィン、環境魔力の制御の方は大丈夫かい?」
クラウディアとそこまで話した後に部室に戻ろうと思ったのだけれど、彼女が環境魔力の制御のことを思いだした。
以前あたしやキャリルに教えてくれたのを、覚えていてくれたのか。
「せっかくだし、いまどこまで出来るか確認しようか?」
「あ、いいですか?」
そうしてあたしは以前クラウディアに教えてもらったように、日課のトレーニングで行っているのと同じように環境魔力の制御を行った。
大気とも陽の光とも違う、その場に薄く広く存在する魔力に意識を伸ばす。
そして自身の内在魔力と接するところから、流れを作るように魔力を巻き込むことを意識する。
その流れは現実のあたし達の周りにある、地面だとか石畳やベンチや周囲の草や生垣の樹々を通り抜けて、巨大な球体のように流れを生み出す。
今日はその流れの中にクラウディアが含まれているけれど、とりあえず意識の上では気にしないことにして、ただ魔力を動かした。
時間にして数分過ぎたころだと思うけれど、クラウディアが告げる。
「うん、上達しているね。見事だと思うよ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいですね」
会話の最中も、あたしは環境魔力の制御を絶やさずに続ける。
その様子を確認しながら、クラウディアは微笑む。
「いいねえ。話をしても集中を切らさずにできているし、良いと思う」
「そうですか?」
「うん。ちょっとトレーニングのペースが早めだけれども、『魔神の加護』のこともある。いちど広域魔法研究会で、今後のトレーニングについて相談していいかも知れないよ」
「クラウディア先輩は教えてくれないんですか?」
「私が教えるのが妥当かどうかも確認した方がいいからさ」
「そうですか? 分かりました」
そう言えばしばらく顔を出していないけれど、あの部は魔神の信奉者お断りだった気がする。
そこを確認してみると、クラウディアは苦笑していた。
「魔神の信奉者うんぬんはもう、スゴい手のひら返しがあったみたいだよ」
「手のひら返し、ですか?」
「うん。結局、国教会が公式に魔神さまを神と認めた関係で、入部の条件から『魔神の信奉者はダメ』という項目は外されたみたいだね」
そりゃまあ、実在が確認されちゃったしなあ。
というか、ディアーナがそれを知ったら、『おそうじしにいきましょう』とかにこやかな顔で言い出しそうで恐ろしいです。
「じゃあ、いちどキャリルと誘い合って広域魔法研に顔を出してみますよ」
そう言ってあたしは頷いた。
その後クラウディアと回復魔法研究会の部室に戻ってから、あたしは生理学の入門書を借りて勉強して過ごした。
クラウディア イメージ画 (aipictors使用)
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