10.いつも予習はするもの
「つまりさっきのお嬢ちゃんはコウの初恋の相手ってことでいいのかね?」
「ええと……、繰り返しますが、シルビアは生き別れになった幼なじみで、恐らく人攫いに遭ったんだと思います」
あの後コウとあたしはディアーナ達のところに戻り、全員で試験会場まで送り届けたあと学院の食堂に移動した。
道すがらコウからはグロリア達とあたしが知り合いだったのかを訊かれたけれど、つい最近王都で知り合いになったと応えた。
コウは「不思議な巡り会わせがあるんだね」なんて言っていた。
食堂でハーブティーを人数分買って適当な席に座ると、コウに対するマルゴーからの詰問が始まった。
「うん、それは聞いたね。でもワタシの質問の答えではないねえ。男の子なんだからはっきりしな」
もの凄くいい笑顔でハーブティーを飲みながら、マルゴーが迫る。
コウの方はというとそこまで動揺している様子では無さそうだ。
ただ考え込んでいるだけで。
「正直なところ、あれが初恋だったのかとかはよく分かりませんが、ボクはシルビアに好意を持っていたと思います。だからと言って将来の約束とかをした記憶は、無いはずです」
「ホントかい?」
「ホントです。そこまで考えられなかったっていうか。シルビアとはずっと一緒にいるんだろうなって思ってた感じですかね」
そこまで確認したうえで、マルゴーは人差し指を動かしてあたしとエルヴィスを招いた。
あたし達が顔を寄せると彼女は訊く。
「どう思う?」
「ボクは初恋だったんじゃないかなって思うかな」
「あたしもそんな感じでいいんじゃないかなって思います」
比較的どうでもいいかなと思いつつあたしは応えた。
あたしとエルヴィスを交互に見てからマルゴーがあたしに問う。
「なんだいウィン、正妻として気に入らないかい?」
「つまんないですよマルゴーさん、その冗談。今のところコウは大切な仲間です。でも、あたしの恋人でも婚約者でもありません」
わりと乾いた感じで告げながら、あたしがじとっとした目を向けるとマルゴーは嗤った。
「そうかい? そいつは失礼したね。でもそうだね、ワタシも問題の子はコウの初恋の相手だったと思うよ」
「はあ……」
そこまであたしと話してから、マルゴーはハーブティーを一口飲む。
そしてカップをコウに向けつつ告げる。
「よく『初恋は実らない』っていうけれど、あんたの場合も真実なようだ。そういう意味では残念だったね」
「……」
「だがしかーし、初恋と大人の恋は別のものなのさ。だから安心しな?」
「マルゴーさん、あたしとかコウとかまだ十歳ですけど?」
いきなり大人の恋とか言われてもなあ。
あたしはともかくコウは大丈夫だろうか。
「それでもここは学院だろ? いつも予習はするものなんじゃないかい? 予習って大事だと思うなあワタシは」
「はあ……、何を予習するって言うんですか?」
思わずあたしが訊くと、マルゴーはカップを置いて澄ました顔をしてみせる。
「簡単な真実さ。『恋はいつでも何回でもできる』っていう当たり前の真実だよ」
「割と普通ですね」
「本当に理解してそう言っているなら、ウィンはセンスがあるよ。でも王国は変態の国だし、お隣の公国はムッツリ共の国だ――」
マルゴーの言葉を聞いていたのか聞こえてしまったのか、近くに居た男性たちがイヤそうな感じで眉をひそめたのが見えた。
マルゴーの説明によれば、何回結婚と離婚を繰り返した相手同士でさえも、互いが望めば何歳になっても恋をすることは出来るのだという。
「その辺はまだ、フサルーナの好きモノ野郎たちの方が理解してるね」
「おば……マルゴー姉さん、もうちょっと表現に気を付けて。ここは学院だよ?」
「ああ、済まないね」
まったく反省の色を見せずにマルゴーが嗤う。
「ちなみに共和国の人たちは、恋っていう面ではどういう評価になるんですか?」
ふと思いついたので訊いてみた。
あたしの問いにマルゴーは嬉しそうに微笑む。
「さてさて、そうだねえ。共和国の連中は多様すぎてひと言じゃあ言えないが、実は好きモノっていう意味ではフサルーナ王国より共和国の方が行動的だ」
「姉さん!」
「はいはい……。それじゃあどの辺が違うかって言えば、フサルーナ王国の恋は精神性に向かっていく。『恋という信仰』と言ってもいいかも知れない」
それはまた重そうな恋だなおい。
「それに対してプロシリア共和国の恋は、『恋という芸術』と言ってもいいかも知れないね。まあ、そっちの本質はかなり官能的な部分だから、ワタシの商売のタネに近いんだが」
いきなりぶっちゃけたけど、マルゴーは花街でお店を経営してるんだよな。
ある意味で哲学みたいなものを持っているのかも知れないな。
ふとエルヴィスの方を見ると眉間を押さえてぐったりしていた。
エルヴィスの様子を一瞥してスルーしながら、マルゴーがコウに視線を向ける。
「話を元に戻すがコウ、お姉さんからは助言をしてあげるよ」
「助言ですか?」
「ああ、おまえは、少なくとも恋という戦場の上では自由なんだ。だからウィンという正妻がいようが、心が求めるならそのシルビアって幼なじみの子に向かうべきだ」
「あたしは正妻じゃ無いし婚約者でも無いわよ~」
あたしがツッコミを入れても、自動的にマルゴーとコウにはスルーされた。
たぶんノリで言ってるだけなんだろうけど、色々と語弊がありすぎるな。
「少し考えてみます……」
「ちがうよ、コウ」
「えっ?」
コウがマルゴーに当惑した視線を向けると、彼女は自身の頭を指さす。
「恋ってここの問題じゃあ無いんだよ」
そして自身の胸に手を当てる。
「ここの問題だよ、間違っちゃいけないよ。もっとも――間違ってもやり直せるけどさ」
そう言ってマルゴーは得意げな表情を浮かべた。
「はい……」
コウはマルゴーの言葉に静かに頷いた。
たしかにここまでマルゴーから聞いた恋に関することが成り立つなら、どれだけこじれた男女でもやり直せるのかも知れないけど。
「ねえマルゴーさん」
「なんだいウィン?」
「いま聞いたお話って、かなり上級者向けな内容な気がするんですが」
なぜかは分からないけれど、あたし達の席の近くに座っていた保護者っぽい男女の何人かが一斉に頷いたような気がした。
「たしかに、武術なんかでいえば奥義に近い内容かも知れないね」
「なら……」
「でも、さっきも言ったけどやっぱり予習だよ。恋の初心者ほど、最初に深い話を聞いておいた方が後悔しないと思うよ、お姉さんとしてはね」
そう言ってマルゴーはからりと笑った。
昼食の時間帯が近づいた王都ディンルークの商業地区では、開店する路上の屋台が増えていた。
その中の一つ、共和国料理である揚げピザ――パンツェロッティを出す屋台も先ほど開店したばかりだった。
接客慣れした豹獣人の青年が店員をする店だったが、そこに一人の客が立ち寄った。
中肉中背だがやや背は高めで地味な色のローブを羽織り、頭にはフードを被っている。
「やあこんにちは。もう営業してるかい? まさか王国にきてパンツェロッティを食べられるとは思ってなかったんだ。何なら開店するまで待つよ?」
人当たりのいい喋り方に、豹獣人の店員が顔を綻ばせる。
「ありがとうよお兄さん。もう開店してるよ。注文を聞くぜ?」
その返事に嬉しそうに応じて、ローブの青年は揚げピザを注文した。
「ところで店員さんは豹獣人だね?」
「おお、分かるかい? お兄さんも共和国出身かい?」
「そうだよ。魔神さまの巡礼でね」
青年はそう言って少しフードをずらし、自身の丸い獣耳を店員に示した。
「その丸耳はイタチ……、いやフェレット族か」
「うん正解。やっぱり客商売してる人は目がいいんだね」
「そうでもねえさ。俺もネコとか言われてがっかりしてよお」
「ああ、分かるなあ。王国のひとは雰囲気を読めないんだろうね」
「そういう面はあるだろうな――はいお待ちどう」
そう言って店員は揚げピザをフェレット獣人の青年に渡し、青年は会計を済ませた。
「ところで店員さんは裏街の人とは伝手は無いよね?」
「なんだよ藪から棒に。俺のとこはそういうのとは関わってねえよ」
「そっか。もし王都の裏街と話をしたかったら、どうしたらいいかな?」
呑気な口調でフェレット獣人の青年が問うが、豹獣人の店員は難しい顔をする。
「観光気分ならやめといた方がいいと思うぞ」
「うん。でも僕にも都合があるんだよ」
「都合ねえ……」
そう言ってため息をついた後、豹獣人の店員は告げる。
「そういう話は商業地区の方じゃなくて、花街で集めてみるといいかも知れねえな。商業地区から西っかわの方角に進むと花街がある。そこでまた屋台とかで話を聞いてみな」
「分かった」
「ホントは止めてえが都合ってなら仕方ねえ。いいか、立ってる客引きには関わるなよ。回り道になりかねん。必ず屋台の奴に話を聞け」
「ありがとうお兄さん。助かったよ」
フェレット獣人の青年は軽く手を振り片手でフードを被り直す。
そして揚げピザを齧りながら人混みに消えた。
しばらくして、豹獣人の揚げピザの屋台にエイミーが顔を出した。
「こんにちはすいませーん。フルーツパンツェロッティ下さいな」
「おおエイミーか、こんにちは。まいどありっ」
豹獣人の店員はエイミーの注文を受けて、裏メニューのフルーツを使った揚げピザを作り始めた。
「ところでお兄さん、年が明けて景気はどうですか? 巡礼客とか増えてません?」
「ああボチボチだな。さっきも魔神信仰の巡礼客が来たんだが……」
「どうしたんですか?」
「ああ、実は裏街の伝手が無いかって言われてな――」
エイミーは一連のやり取りとフェレット獣人の青年の特徴を訊き出した。
「――色んなお客さんがいるんですね」
「全くだ。ほい、できたぜ」
「はい、代金です。それではまた」
そうしてエイミーは会計を済ませ、揚げピザを【収納】に仕舞う。
「いちおうデイブにも報告しますかね」
何気ない様子で油断なく人の流れを視界に収めつつ、エイミーはそう呟きながら人混みに消えた。
エイミー イメージ画 (aipictors使用)
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