09.風魔法の大家
朝食後は自分で片付けて、リビングでアルラ姉さんの近くの席に座ってあたしも読書を始めた。
【収納】には教科書類以外でも何冊か本を仕舞ってあるけれど、実用書ばっかりな気がする。
恋愛小説とかは微妙に今のところは興味が無いし、冒険小説や英雄譚はさらに興味が無い。
そういう意味ではまだ探検家の手記とかは読んでみたい気がする。
でも、つい先日探検家だった人が魔神さまになった関係で、どこに行ってもその手の本は入手困難だったり貸し出し中なんじゃ無いだろうか。
そういう訳であたしはいつもの如く、薬草図鑑を引っ張り出してページをめくっている。
夜に日課のトレーニングを済ませた後、あまり眠く無い時は眺める感じで実用書を繰り返し読んだりする。
最近のお気に入りはデッサンの入門書だけれど、ここのところ薬草図鑑を読んでいなかった気がして今日はこちらを読んでいる。
コニーお婆ちゃんは編み物を続け、アルラ姉さんとあたしは本を読んでいる平和な時間だった。
しばらくすると魔法で姉さんに連絡が入り、あたしと一緒にティルグレース伯爵家を訪ねることになった。
あたし達は着替えてからお婆ちゃんに一声かけ、ブルースお爺ちゃんちを出て最寄りの停留所まで歩き、王都内の乗合い馬車で移動した。
ティルグレース伯爵家の邸宅の最寄りの停留所で降りてしばらく待つ。
王都北部の貴族が住む地区だけれど、ティルグレース伯爵家のように広い庭をもつお屋敷があるエリアだからか、建物よりは塀と庭の樹々が目に付く。
停留所のベンチに座ってアルラ姉さんとお喋りしながら待っていると、やがて乗合い馬車の一つが止まってニナが降りてきた。
「おはようニナ」
「おはようニナちゃん」
「おはようなのじゃ。済まんのう、キャリルの家の場所は知らんのでな、走って行く訳には行かなかったのじゃ」
「私も走るのはちょっとね。身体強化は覚えたばかりだし、気配遮断は未修得だから王都内を駆けまわる訳には行かないわ」
ニナの言葉にアルラ姉さんが笑う。
「確かにのう。さて、それでは案内を頼むのじゃ」
あたし達はニナに促されて、ティルグレース伯爵家に向けて歩き始めた。
「でも姉さんなら母さんに言えば、気配遮断は教えてくれるんじゃないかしら?」
「ええと、それって休み中に済む話かしら?」
キャリルの時は結局、気配の取扱いの基本を覚えるまで、それなりに時間が掛かった気がする。
でも取っ掛かりの部分を母さんに見てもらって、続きをあたしがアルラ姉さんに教えればいい気もする。
姉さんだって宗家の血が入ってるわけだし、その気になれば月転流を習うこともできる。
「済まないようならあたしが教えるわよ?」
「そう、ウィンがね。考えておくわ」
そしてあたし達がお喋りをしながら十五分ほど歩くと、ティルグレース伯爵家の邸宅の通用門に辿り着いた。
あたしが完全に顔を覚えられているので、用件を伝えるとほぼ顔パスで通用門と通用口を通り、最初の部屋で待っているとエリカがやってきた。
「おはようございます皆さん」
『おはようございます(なのじゃ)』
「話は聞いているけれど、ウィンちゃんたちは奥様から魔法を習うのね。キャリルお嬢さまを魔法に向かわせたって大喜びしているわよ」
たしかにキャリルは戦槌の方を優先しそうなんだよな。
ただ彼女はラルフ様を英雄視している。
そのラルフ様は戦術魔法を使うことで有名だし、いずれはキャリルだって魔法ものめり込んでいくと思っているけど。
今日から特級魔法に挑むことになったのは、その一歩になるかもしれないな。
そこまで考えてあたしは、ニナをエリカに紹介していなかったことに気づく。
「ええと、エリカさん。彼女はクラスメイトのニナです。ニナ、彼女はキャリルの側付き侍女のエリカさんです」
エリカとニナは簡単に自己紹介を済ませ、あたし達はシンディ様のもとに向かった。
エリカに案内された部屋にはシンディ様とキャリルとロレッタ様がいた。
応接室として使われている部屋の一つのようで、今日は大きなテーブルと椅子に加えて黒板も用意されていた。
魔法の座学でもあるんだろうか。
微妙にあたしが内心でビビっていると、シンディ様が口を開く。
「おはようございます皆さま」
『おはようございます(ですの)(なのじゃ)』
「ティルグレース伯爵家にようこそ。始めてお会いする方も居られますし、自己紹介を。わたくしはシンディ・アデル・カドガンと申します。いつも孫のロレッタやキャリルがお世話になっておりますわ」
そう言ってシンディ様はカーテシーを見せる。
もちろん初対面のニナに対する挨拶なのは、その場の全員が分かっている。
当のニナはシンディ様の挨拶を受け、(彼女本来の年齢を思わせるような)艶然とした笑みを浮かべる。
「初めましてなのじゃ、ティルグレース伯爵夫人閣下。妾はニナ・ステリーナ・アルティマーニと申す。風魔法の大家たるレディ・ティルグレースにお会いできたのは幸甚の至りじゃ。心より感謝申し上げる」
淀みなくそう告げて、ニナもまたカーテシーをした。
ニナが『風魔法の大家』という以上、魔法の業界では国を超えた有名人なんだろうな。
「ありがとうございます、レディ・アルティマーニ。あなたの論文を読ませて頂いたこともありますが、まさか孫のクラスメイトとは。どうか我が家では、わたくしのことはシンディとお呼びくださいまし。虚礼も不要ですし、どうぞ孫たちと接する時のように過ごして下さいな」
論文って何だろう。
シンディ様の言葉であたし達は一斉に怪訝そうな表情を浮かべた。
いやまあ、色々あって忘れそうになるけど、ニナは共和国が送り出すレベルの魔法の専門家なんだよな。
「かたじけないのじゃシンディ様。妾もニナとお呼びいただければ幸いなのじゃ」
そう言い合ってシンディ様とニナはニッコリと笑い合った。
少々気になるところはあったものの挨拶も終わり、あたし達はシンディ様から魔法を習うことになった。
先ずはみんなで席に座る。
魔法を習う方針については最初に話があったけれど、ニナを除くあたし達はまず、風の上級魔法である【風壁】を覚えることになった。
【風壁】を覚えた後にあたしは【風操作】で魔素の振動を覚える。
キャリルとアルラ姉さんとロレッタ様は【振動圏】を覚える。
そしてニナについては、最初から【振動圏】に挑み、覚えた段階で【風操作】での魔素の振動を覚える。
そのような流れになった。
「それではお婆様、今日はこれから魔法の訓練に入りますの?」
「そうですわ。ですがその前に、風魔法について理解を深めておくべきだとわたくしは考えておりますの――」
キャリルに問われて、シンディ様はそのまま流れるように説明に入った。
「皆さんはまず、自然に起こる風はなぜ起こるのかは知っておりますか?」
学院の理科でその辺りは習っているので、みんなは特に慌てている様子は無い。
アルラ姉さんが手を挙げて応える。
「気圧が高いところから低いところに動く、空気の流れです。そして気圧とは、大気がモノに与える圧力です」
「そうですね。そして気温が高ければ大気の体積が増えて、その分スカスカになりますわ。この状態が低気圧で、その逆が高気圧です。他にも山の上などの高い場所も、経験的に気圧が低くなることが知られていますの」
物理学の分野の研究は、この世界でも進んでいるんだよな。
魔導馬車を開発できるような技術力もあるし。
これで化学の研究が進んでいないのが、あたし的には本当に不思議だったりする。
「それでは、風魔法で起こる風は、気圧を操作しているのでしょうか?」
シンディ様がそう言ってあたし達を見回すが、ニナを除いてあたし達は微妙に挙動不審になる。
その様子を見て微笑みつつ、シンディ様が問う。
「気圧を操作していると思うひとは挙手を」
ロレッタ様とアルラ姉さんとニナが手を挙げた。
「それでは気圧は操作していないと思うひとは挙手を」
すると今度はあたしとキャリルとニナが手を挙げた。
ニナが両方に手を挙げたってことはそれが正解なのか。
要はひっかけ問題なんだろうか。
「はい、正解は両方の場合があるんですの。ですのでニナが正解となりますわ」
ニナはその言葉で得意げに頷いている。
「一般的な傾向として、広域魔法などの効果範囲が大きいものは自然現象に近づき、特級魔法を含めて効果範囲が小さいものは魔力が直接的に作用することが多いです」
あたしは思わずそこで手を挙げてしまった。
「はい、シンディ様!」
「何でしょうウィン」
「いま仰った『魔力が直接的に作用する』というのは、何が起きているんですか?」
あたしの質問にシンディ様は嬉しそうに微笑み、ニナは不敵にニヤリと笑った。
「その部分は研究中ですという答えが正確です。ですが、いま現在有力だとされている説はありますの。魔法を発動させた瞬間に発した魔力の波は、魔法の効果範囲に広がっていきますわね?」
「はい」
「その広がる過程で、途中にある魔素に魔力が振れた瞬間、粒子のように周囲に広がりながら波長の発生源として連鎖的に拡散していくというモデルが提唱されていますわ。つまり、魔法の発動時点では内在魔力程度の少ない魔力で発動され、その波が広がりながら次々と別の波を起こしていくのです」
「ウィンよ、その辺りは学院の授業が再開したらマーヴィン先生に訊くと良いのじゃ」
ニナが何やらニヤニヤしている。
マーヴィン先生ってことは、理論魔法学の内容になるのか。
その辺はまだちょっと勘弁してほしい。
「ええと、魔力が水面で起きた波紋のように効果範囲に広がって、その波が途中で別の波紋を次々に巻き起こして水面を波だらけにするのはイメージしました」
「そうですね、いまはそれで概ね良いと思いますわ」
シンディ様はそう言って微笑んだ。
その後あたし達は風魔法の理論的な話をみっちりと一時間ほど説明されてから、部屋を出て訓練場に移動した。
完全に理解しきれたかは怪しかったのだけれど、あたしの顔を見たシンディ様が「いまは耳にしただけで大丈夫ですわ」と機嫌良さそうにしていた。
キャリル イメージ画 (aipictors使用)
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