03.畑で麦を育てるように
わたしは待つのは嫌いだ。
多分その焦燥感で、ボスに救い出される前の、腐れた人攫いどもに誘拐されたときの事を思い出すからだろう。
もっともそいつらは漏れなくボスに立てついて、その結果わたしの目の前で生きたまま魔法で分解されて土に還って行ったけれど。
今回は転移の魔道具を預かっているし、事前に聞いた話では脱出用に使うということだった。
念のため目の前で使ってもらったけれど、確かに公園の端からわたしの傍らに転移してきた。
計画通りなら、そろそろ戻って来るんじゃないかと思う。
「ああ、はやく『おかえりなさい』って言いたいなあ……」
誰も居ない廃屋の部屋で、何ともなしにそんなことを呟く。
それにしても『おかりなさい』か。
その言葉はわたしに、離れてしまった家族のことを思い出させる。
母さんやマルゴー姉さん、兄さんや父さん。
このままボスとの旅を続けるとして、別れた家族に『ただいま』と言える日は来るのだろうか。
そこまで考えて、ボスが『そろそろ本格的に家に帰すことを考えなければ』と言っていたことを思い出す。
まさか、別の転移の魔道具を用意しておいて、わたしを置いてどこかに消えるつもりなんだろうか。
それならそれで、彼をどこまでも追いかけるのは楽しいかも知れない。
もしそんなことになったならボスに追いついて、『ほら、わたしはあなたのそばにいますよ』って言ってやろう。
ボスは時代を変えようとしている。
それを助ける助手がいてもいいと、わたしは思う。
彼との旅で、社会の仕組みについては色々と学んだ。
共和国の議員制度はまだ理解できるけど、王制の国は話を聞くほど妥当なのかと考えてしまう。
ただ、ボスによれば共和制も王制もそれぞれ、いい面と悪い面があると言っていた。
その説明は説得力があったし、結局はその土地で暮らす人がどちらを選ぶのかという話だと思う。
でもボスは、いずれは全ての人が、自分で自分の国を動かすべきだと言っていた。
その下地を作らないと、いずれは社会のゆがみになって、沢山の人を殺すことになるのだと。
「でも、ボス。わたしはあなたがそれを背負う必要は無いと思いますよ……」
思わずこの場にいない彼に呟いてしまう。
そして、彼との旅で結局言えていない言葉がある。
一人でやるんじゃなくて色んな人に仕事を任せて、その後は――
「ふたりで暮らしませんか……、なんて、言えないな」
ボスが飄々と旅暮らしをしているようで、色んな街の色んな人たちの日常を目にした時、色んな想いを抱いているのを知ってしまったから。
それは哀切かもしれないし、敬愛かも知れない。
とにかく彼のそれは善なるものだと、わたしは想う。
だから今回の計画では、この国の王様との話を色んな人の目の前で行い、考えを深めるきっかけを増やす。
わたしは危険だと思うけれど、ボスを倒せる人間が居ないとは思っている。
旅の資金を稼ぐために彼と様々なダンジョンに行ったけれど、実戦の中でわたしに稽古を付けながらわたしを護り攻略を重ねた。
だから彼の強さは知っているし、今は信じて待つべきだろう。
それでも、わたしは待つのは嫌いだ――
そこまで考えたとき、わたしが今いる部屋の空気が一瞬変わった気がした。
次の瞬間、部屋の壁に扉サイズの四角い穴が開いた。
正確にいえば壁に切れ込みが入って、こちら側に扉の大きさの四角い壁材が倒れ込んできた。
ばんっと壁材が床に倒れる音がしたのと同時に、わたしは手の中の杖に魔力を通しながら椅子から立ち上がり、身体強化を行って構えを取った。
だが、わたしが誰かに肩を触れられたのを感じたとき、一瞬で視界が全て真っ白になった。
彼女が気付いたときには、周囲は直前まで待機していた廃屋の部屋ではなく、ただ真っ白い空間に変わっていた。
もともと彼女は気配を読むのは苦手意識があったが、それでも自身の周囲に人間の気配が無いことに気づいてしまう。
思わず呆然としながら周囲を伺い、彼女はその場に立ち尽くした。
その直後、彼女の目の前に一人の女性の姿をした存在が現れる。
彼女は思わず身構えるが、出現した女性が口を開いた。
「こんにちはディアーナ・メイ。あなたは忘れているかも知れませんが、私はあなたと会ったことがあるのですよ」
「あなたはだれ? ここはどこよ?」
「私は豊穣神タジーリャです。そしてここは神界で、あなたは私が招きました」
タジーリャの言葉に内心動揺しながら、ディアーナは問う。
「神って、何を言ってるのよ。そもそもわたしはアンナ・メサジェと言うのよ!」
「ええ、あなたがアレッサンドロ・ディ・ベネディクタスと旅をしているあいだ、そのように名乗っていたことは知っています」
穏やかな笑みを浮かべながら告げるタジーリャの言葉に、ディアーナは絶句する。
自身の本名と偽名のみならず、アレッサンドロのフルネームを告げられたことに驚いてしまった。
そして改めてタジーリャを観察するが、緑色を主体にした品のいいドレスに身を包んだ彼女には、常人からは感じられないような存在感に満ちていた。
ディアーナがタジーリャの神としての気配――神気を意識したときには、当初感じていた警戒心はほぼ消えてしまった。
「正直、わたしは神々にいい印象がありません……」
「それも知っています。あなたが誘拐されたとき、同じように誘拐された人たちが何人も“壊されてしまった”からですね。どれだけ私たちに祈っても、彼らを救えなかったと」
「……そうですよっ! なんで、神さまは、わたしたちを救ってくれないんですか……ッ!」
ディアーナにとっては忌まわしい記憶だが、自分を攫った連中は奴隷として売りさばけない被害者たちに暴力を与えて壊し、人里離れた場所に遺棄した。
アレッサンドロに救われた記憶や、彼による魔法を使った治療でディアーナの心の傷は癒されている。
だがその経験を切っ掛けに、神という存在の妥当性に疑問符をつけてしまうようになった。
「そうですね、アレッサンドロの助手たるあなたに言うならば、神々は一から十まで人間を助けません。それを始めると、畑で麦を育てるように、世界で人間を育てるようになってしまいます」
タジーリャの言葉が、神気と共にディアーナにしみ込む。
「確かにそれは、ボスの――アレッサンドロの望む社会ではありません……」
「全てを理解しなさいとは言いません。ただ、神々はいつもあなた達を観ています」
「…………」
タジーリャの話で俯いてしまったディアーナだったが、そんな彼女にタジーリャは話を続ける。
「さて、今回あなたを呼んだのには理由があります。あなたの恩人であるアレッサンドロは邪神たちに目を付けられてしまいました」
「邪神、ですか?」
「ええ、詳しい話は今は省きますが、教会などで祭られる神々と敵対する神々のことです。アレッサンドロは魔法の使い手として優秀過ぎたため、邪神たちの力で亜神に造り替えられているところです」
「どういう、意味ですか?」
タジーリャは視線を何もない空間に向けると、巨大なスクリーンが虚空に浮かび上がり、映像を映し始めた。
そこには仮面を被ったアレッサンドロが、光柱の中で磔にされる様子が映っている。
「これは現在までに起こっていることの映像です。この段階ですでに、アレッサンドロの人としての肉体は失われ、神としての肉体に造り替えられています」
「にくたいはうしなわれって、どういういみですか……ッ?」
「人間ではない存在へと変えられています。魂の在り方も変わってしまったので、蘇生魔法も効きません。人間としてのアレッサンドロは、死んでいます」
タジーリャの言葉で、ディアーナはその場にへたり込んだ。
ディアーナの様子にタジーリャはひざを折り、彼女の肩に手を添える。
「突然の話に打ちのめされるのは察します、ですが――」
言葉を続けようとするタジーリャの手を掴み、ディアーナは蒼白になった顔を向けた。
「豊穣神さま、わたしは、わたしの手は汚れています。人を殺めたことのある手です。心だって綺麗では無いし、魂も綺麗で無いかも知れません。でも、おねがいです、おねがいします、わたしの魂を捧げます。アレッサンドロの魂を治してください。わたしの全てをささげるから。……あのひとは、あのひとは失われてはいけないから……ッ」
空いている手でディアーナの頭を優しく撫でながら、困ったようにタジーリャが微笑む。
「私は、あなたが常に他者のために戦ってきたことは知っています。話を聞きなさいディアーナ。アレッサンドロが神になることはもう止められないのです。その上で、豊穣神たる私があなたに示せるのは二つの選択肢です。良く聞きなさい、場合によってはあなたの魂にも関わる話なのです」
「……はい」
手を放し、流れた涙をぬぐいながらディアーナがタジーリャの目を見る。
「一つは、あなたからアレッサンドロに関する全ての記憶を取り除く選択肢です。少なくともあなたは、普通の人生を送れるようになるはずです」
「もう一つは……、何ですか?」
震える声で、ディアーナは問う。
「もう一つは、あなたが神となったアレッサンドロの最初の巫女になることです。この場合あなたは、人生を全うしたあと、彼の下で御使いとして過ごすことになるでしょう」
「人生を全うしたあと……」
そう呟いてディアーナは下を向く。
邪神群の事を考えれば、タジーリャとしてはディアーナには巫女になって欲しかった。
だがその場合は、ディアーナが将来的に自分の部下になる道もあるかも知れない。
それを思い、努めて誠実に、タジーリャはディアーナに向き合う。
「あなたが自害した場合は必ず蘇生させるようにしますので、お婆ちゃんになってからですが」
「いつまで……」
「えっ?」
「いつまでアレッサンドロの御使いとして過ごせるようになりますか、豊穣神さま?!」
そう言ってディアーナは顔を上げるが、その目は妖しい光を宿していた。
そしてその光を感じたタジーリャは、内心で“食いついた”とほくそ笑む。
「あなたが望むなら、時の果てまで永遠に近い時間を過ごせます。あなた自身も実績を積んで同格の神になり、結婚して永劫の時を過ごすといった道もあるかも知れませんね」
タジーリャは努めて慈悲深い笑顔を浮かべて、ディアーナに告げた。
無論それは、常に手が足りない神々の世界へと誘いたい意図があるのだが。
いずれにせよタジーリャの言葉を聞いたディアーナは、先ほどまでの涙はどこに行ったのか、音にすればニチャアという効果音が聴こえそうな妖しい笑みを浮かべた。
「…………豊穣神さま、もし赦されるのならわたしは、アレッサンドロの最初の巫女になりたいです」
「その場合あなたはもう、通常の人生は送れないかも知れませんよ? それでも構いませんか?」
「豊穣神さま、……もうわたしは普通の人生では無いと思います。今更では無いでしょうか?」
「そうですか。分かりました。それではあなたの決意を、豊穣神タジーリャの名において受けとめました」
そう告げてタジーリャは立ち上がり、ディアーナの頭にそっと手を当てる。
「まず、この場にてあなたを一時的に『豊穣神の巫女見習い』とします」
次の瞬間タジーリャが触れたところから淡いエメラルドグリーンの光が溢れ、ディアーナの身を包んだ。
「このあと、あなたは現実に戻ります。その場には、薬神ソフィエンタに導かれた者たちがいる筈です。彼らと協力して、王都ディンルークの中央広場に向かい、アレッサンドロの身に自分の手で触れなさい。あとは私たち神々が何とかします」
「分かりました!」
「あなたからアレッサンドロの人生を奪った邪神たちに、一泡吹かせなさい」
「はい!」
ディアーナはその場に立ち上がってから、力強く返事をした。
その様子に満足そうに頷きながら、タジーリャは傍らに視線を移す。
するとそこにはテーブルと椅子が現れ、テーブルの上にはお茶が用意されていた。
「現実に戻ると、あなたには時間が経っていないように感じるはずです。そこからは大変な時間になりますが、その前にここで心を整えて行きなさい」
「え、ですが……、豊穣神さま。アレッサンドロはその間にも……」
「ここでの時間は現実には関係ありません。あなた達の未来のためにも、これから失敗できない所に赴くのです」
「……分かりました、ありがとうございます」
そうしてディアーナとタジーリャは、神界にて紅茶を味わった。
ディアーナ イメージ画(aipictors使用)
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