11.予感はどの程度ヤバいのか
舞台上での異変を察知した母さんの判断は早かった。
「すぐにこの場を離れるわよ。荒事になったら大変だから」
確かにコニーお婆ちゃんも居るし、広場に集まった群衆と動物たちが慌てて逃げ始めたら将棋倒しになるかも知れない。
場合によってはそれで大勢がケガをするかも知れないし。
ただ、あたしは仮面の男が舞台上にあがってから、酷くマズいことがこれから起こる予感があった。
それはどう説明したらいいんだろう。
「母さん聞いて!」
「どうしたのよウィン。いまは移動するべきよ」
「それは分かってる。でも予感がするの、これから大変なことが起こるけど、あたしはこの場に居なきゃいけないと思う」
「大変な事って何よ」
母さんに問われて一瞬考える。
あたしがいま感じている予感はどの程度ヤバいのか。
まだ幼い頃、ミスティモントに地竜が迫ったときよりもヤバいんじゃないだろうか。
あたしは母さんに顔を寄せて囁く
「ミスティモントのスタンピード……」
「えっ?」
「あれよりも不味いことが起こるかも知れない。もしかしたら薬神さまも関係するかも」
そんな確証はないし、ただの予感だ。
でも母さんはあたしの目を見て数瞬考え、口を開く。
「もしあなたの言う通りならリンダ義姉さんも心配だし、このまま私たちはブルースお爺ちゃんの家に向かうわ。ウィンは大至急デイブの店に向かって、デイブとブリタニーを何とかここに引っ張ってきなさい。簡単な状況説明をして、私の判断で二人をここに呼んだことになさい」
「分かったわ」
王族の前に不審者が現れた時点でデイブなら興味を持つだろう。
「あと、その恰好じゃマズいから、デイブの店で着替えなさい」
おおっと、確かに今はスカート姿だ。
これで飛んだり跳ねたりしても色々不味そうだな。
「確かにそうね」
「ウィン、無茶をしたらダメよ」
あたしと母さんのやり取りを聞いていたアルラ姉さんがそう言ってくれた。
「分かってる、みんなもお婆ちゃんや伯母さんをお願い」
あたしの言葉に姉さん達は頷いた。
「不味い時は迷わず逃げなさい。生きていれば、大抵のことは何とかなるのよ」
母さんはそう言ってあたしを抱き寄せ、額にキスしてくれた。
あたしは黙って頷く。
その後、あたしに心配そうな視線を向けるコニーお婆ちゃんに手を振りつつ、みんなを見送る。
そして内在魔力を循環させてチャクラを開き、身体強化を行ってから場に化して気配を消した。
「スカートで屋根の上を跳ぶのは不本意だけど、今は急いだほうがいいよね」
そう呟いてあたしはデイブの店に急いだ。
ギデオンは値踏みするように仮面の男を見やったうえで告げる。
「さて、お前が私たちディンラント王家、あるいは王国の業と呼ぶものは何を指しているのだろうな。私たちが義とすることも、立場が違えば不義とみなす向きもあるやも知れん」
ギデオンが鷹揚に告げるが、仮面の男はそれに応えることは無い。
仮面の向こうにある表情は察するしかないが、王を前にして臆していない様子からして、この状況を楽しんでいるようにも見える。
そんな彼にギデオンはさらに告げる。
「見たところお前は頭部を色々と隠しているが、魔族――古エルフ族ではあるまいか。一代で千年を生きる聡い一族が、神々を奉じる式典に不躾に割って入るのは不義であろう。不義を成すものが私たちの業を語ろうとするのはどのような仕儀であろうな」
ギデオンはそう言って本当に可笑しそうに笑う。
彼が王の身になってから、公の場で対等に語らう場は皆無だ。
他国の為政者の長などと語る機会を除けば、ほぼ無いと言っていい。
だが、この目の前の仮面の男は、臆するでもなく自身に何かを主張しようとしている。
その状況を自らが楽しんでいることに、ギデオンは気付いていた。
「これは手厳しいな王よ。確かにぼくは御身らが行う賛神節を止めている。賛神節……、その最初の地曜日においては、豊穣神と地神への感謝を捧げているのは知っている。だがその感謝も、御身らが苦しんでいる日々を隠す理由にはならないだろう」
「ふん、苦しみか。王や王家が国や国民のために意力を尽くすのは、義であるし自然なことだ。それを苦しみと評するのはお前の傲慢だよ」
ギデオンは呆れたように告げる。
実際のところ、王と王家は国と国民のためにその人生を捧げることが求められる生き方であり、どれだけ時を重ねても変わることが無いと彼は思う。
「さて、本当にそうだろうか。社会が市井の民の営みを積み上げたものであるならば、その責を負うのは王と王家だけではなく、その地に暮らす全ての民も含まれるのではないだろうか?」
仮面の男の言葉でギデオンは思うところがあるが、言葉を選びながら問う。
「お前はディンラント王国が、共和国のように政を行うべきだと言いたいのか?」
ギデオンの言葉に仮面の男は腕組みをする。
そしてその表情が分からないものの、ギデオンの見立てでは仮面の男が嗤った気がした。
「王よ、ぼくからすれば共和国でさえヌルい。民が議員を選んで政治を行うのはいい。けれど、世襲の問題や議員の再選回数の問題などが放置されている」
「ほう?」
「魔法であるとか魔道具の技術が進めば、市井の民の意思疎通が簡便になる。また、魔道具を自らの執事のように扱えるようになる。そしていずれそういうものを使い、民全員が同時に政治をできるようになる。全ての人間が、等しく社会の未来に責任を持つ時代が必ず来る」
仮面の男は熱っぽく語るが、その所作には隙は見られない。
ギデオンと仮面の男が会話を始めてから、フレデリックを始め王子たちも仮面の男に攻撃を仕掛けようと思うのだが、その直前になって失敗するイメージが脳裏に浮かぶ。
当初フレデリックは呪いであるとか闇魔法の一種により、仮面の男が自分たちの攻撃を回避している可能性を思った。
だが魔力の流れを確認するうちにそういった魔法であるとか呪い、あるいはスキルのたぐいが使われていないことに気づく
そしてある可能性に気づいて愕然とした。
自分は仮面の男の気配からその強さを予感し、無為に動けないのだと。
そしてフレデリックがそれに気づくころ、王子たちも同様な思いを抱いていた。
「面白いが、現物がここに無い以上、机上の空論だ」
ギデオンが面白そうにそう告げた。
「だが、人間は頭に思い浮かべたことは必ず実現してきた。いずれ来る未来だ」
それに応えるように仮面の男も理知的な声で告げた。
そうして二人は会話を続ける。
「水は高きから低きに流れる。政の質が下がる」
「民が学んだり教育することを怠る前提ならそうだろう。それは言い訳だ」
「声が多くなり過ぎれば決裁が複雑化し、時や資源の無駄遣いも増える。共和国でも散見できるが?」
「それも言い訳だ。問題の整理を正しく行うべきなのは、いつの世も変わらない」
「王や王家では政に不足だというか?」
「今日伺った用向きの話では無いが、王や王家に権力が集まることはいい。御身には覚悟があるし、実績もある。ただ、その労力を、責任を、苦悩を、何も知らずに安穏と過ごす市井の民にも背負わせるのが、もう不可能ではないとぼくは信じる」
「ふふ、それはお前の個人的な意見だな」
ギデオンと仮面の男がそこまで話した段階で、聖歌隊や国教会の神官たち、そして中央広場に集まった人々と動物たちは騎士団の誘導で退去させられていた。
同時に広場には、警護の近衛騎士団と光竜騎士団の騎士たちが包囲陣を作っていた。
そしてウィンとデイブとブリタニーは中央広場に面した冒険者ギルドの屋上から、戦闘服とロングコートに身を包んで広場の様子を伺っていた。
あたしの側では先ほどからデイブが、【風のやまびこ】で月輪旅団の仲間に指示を飛ばしている。
いまあたし達は冒険者ギルドの屋上に来ている。
デイブに訊いたけれど、屋上に上がる扉は普段はカギを掛けているそうで、ここに上がってくる職員は居ないだろうとのことだった。
現時点での月輪旅団としての戦術的目標は、ゴッドフリーお爺ちゃんの友人である教皇様の安全確保だ。
王家に関しては暗部やら近衛騎士団も居るので、デイブの判断としてはヘタに手を出して邪魔をした方が怒られるだろうとのことだった。
なので店からここに着くまでに、デイブは月輪旅団の仲間に連絡を始めた。
その内容としては、まず王立国教会の神官戦士団への連携の申し出を打診すること。
そして、月転流宗家の友人である教皇様を護るために動くことを、各所に連絡することだった。
「なんだかジャニスが凄くやる気だったみたいじゃない?」
ブリタニーが油断なく広場の様子を伺っているところに、あたしは話しかけた。
「デイブの話だとそうみたいだね。まあ分かるよ。ジャニスはモフラーだし、教皇様はある意味で師匠みたいなものなんだろう」
モフラーの師弟か。
それは国教会的にはアリな情報なんだろうか。
「あたしとしても教皇様はお爺ちゃんの友達だから、無事に助けたいよ」
「月輪旅団の連中でも、教皇様に普段自分の店を贔屓にしてもらってる連中は多い。教会としてじゃ無くて、教皇様個人としての範囲でな」
あたしとブリタニーの会話に横からデイブが告げた。
関係各所への連絡は終わったんだろうか。
「仕込みは終わったかい?」
「ああ、ジャニスを先行させて国教会本部に向かわせた。それと別口でそれなりに情報も入ってきてるんだが……」
「どうしたの?」
あたしはブリタニーとデイブのやり取りに声をかけた。
「ああ、どうやら真ん中の舞台の【水壁】だが、圧縮された多層式らしい。偵察担当の見立てだと六層はあるから、下手な竜種よりも丈夫だろうだとよ」
「六層って、それぞれの層が独立してるってことかしら?」
「そうだ。やるとしたら一点集中の飽和攻撃で一気に叩くべきだが、その辺は騎士団がやるだろう」
「そう……。あと王家の人たちは本当に大丈夫なのね?」
レノックス様とか心配だよな。
あたしが訊くとデイブは微妙そうな表情を浮かべる。
「あまり普段あまりおおっぴらには語られてないが、陛下と第一王子、第二王子は竜の討伐実績がある。だからこの三人が守勢に回って第三王子と二人の王妃を護れば、竜と同等の相手までなら大丈夫だろう」
その話を聞いてあたしとブリタニーは微妙な表情を浮かべる。
「それって教皇様が入って無い奴だろ」
「完全に一人あぶれてるじゃん」
「そうなんだよなあ……。まあ、教皇様も魔法の面では手練れだから、いきなりくたばることはねえと思う」
モフの聖なる日とか言ってたのが、思いっきりトラブルに巻き込まれてるな教皇様。
その不運にあたしは同情した。
ギデオン イメージ画(aipictors使用)
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