08.神気を人の身から感じた
室内に入ってきた高位の神官が教皇様だと分かった段階で、その場に居たあたし達はソファから立ち上がる。
そして教皇様に向き直り、気を付けの姿勢を取った。
「どうかラクにして欲しい。一応名乗るかのう。ディンラント王国王立国教会教皇のフレデリック・グリフィン・フェルトンじゃ」
教皇様が名乗ると、あたしとキャリルとエリカと執事の青年は一斉に頭を下げた。
王立国教会の最高権力者がなんでこんなタイミングで出てくるんだろう。
「頭を上げてくれんかの。確かに吾輩は教皇じゃが、この日この時間においては一人の神官として仕事をしておるのじゃ。国教会の伝統での、教皇と言えど月に何度かは神官として現場に出ておる」
教皇様の言葉であたし達は顔を上げた。
彼の表情を見る限り、以前ゴッドフリーお爺ちゃんと一緒の時に会った時から変わらずに元気そうだ。
何となくホッとする。
教皇様はキャリルに視線を移して告げる。
「それで、そちらのお嬢さまは初めてお会いするのう」
「初めまして教皇猊下。わたくしはキャリル・スウェイル・カドガンと申します。ラルフ・ユーバンク・カドガン・ティルグレースの孫でございます。この度お会い出来ましたのは無上の喜びでございます」
キャリルは流れるようにそう挨拶して、カーテシーをした。
「そうか、ラルフ殿のお孫様じゃな。良く参られたキャリル嬢」
教皇様は柔らかく微笑み、一つ頷いた。
そして彼はあたしの方に視線を向ける。
「お主は久しぶりじゃのうウィンちゃん。ゴードは息災かの?」
「こんにちは教皇猊下。祖父につきましてはご友情を賜りありがとうございます」
ここまで述べてあたしはカーテシーをする。
お爺ちゃんについては正直に伝えるべきなんだろうか。
「祖父は平素 アロウグロース辺境伯領領都の工房におりますので、直接の連絡は取っておりません。先日母より手紙を受け取りましたが、祖父は収穫祭の件で祖母と色々と話があったようでした。恐らくは息災だと思います」
「な、なるほど、リーシャ殿と話をの……」
教皇様はそう言って目を閉じ、右手の人差し指と中指とを立てて聖印を宙に切った。
ちなみにこの世界では十字架を聖印とする文化は無い。
各国によって微妙に違いがあるようだけれど、この大陸の神官が神々を称える聖印はただのマルだ。
王国の場合は顔の中央辺りに二本指を持ってきて、そこから自分から見て逆時計回り方向に円を描くことで神々を称える印ということになっている。
円の大きさは何でもいいみたいだし、教会の祭壇に描かれる聖印は一重の円では無くて何重もの円で描かれた円盤状になっていることもあるらしい。
「まあ、ゴードはしぶといから大丈夫じゃろう。――ともあれ、座って話をしようかの」
そう言って教皇様はあたし達にソファに座るのを促した。
教皇様はあたし達の向かいのソファに座り、それまで座っていた女性神官は壁際に控えた。
教皇様の先触れを務めた少年も扉を閉めた後、扉の脇に控えている。
あたし達も先ほどまでのように座り、エリカと執事の青年はソファの後ろに立った。
「それで、キャリル嬢とウィンちゃんの身に起こったことについて、話を聞いておるのじゃろう?」
教皇様はそう告げて女性神官に視線を向ける。
女性神官は一歩前に出て口を開いた。
「はい教皇様。彼女たちは学院で風紀委員をしているそうでして、その仕事の一環で悪魔の力を身に宿した生徒に対処したそうです――」
そうして女性神官は淀みなく教皇様にあたし達から聞いた内容を説明していった。
相手が教皇様だけど委縮していないのが印象的だった。
これは女性神官が場慣れしているのか、それとも教皇様が普段からそうさせているのか。
その両方かも知れないけれど。
そんなことを考えていると彼女の説明は終わった。
「――そのような結果により、私が確認した限りでは問題は見つかりませんでした」
「分かった。ご苦労じゃったの」
「いえ、もったいないお言葉です」
女性神官はそう言って、再び壁際に戻った。
一瞬教皇様から魔力が走り、無詠唱で何かの魔法が使われたのが分かった。
「ふむ、魔法による鑑定では問題無いのう。魂のレベルで何か起きていないかは、いちおう診ておくかの」
教皇様はそう告げて、座ったまま胸の前で手を合わせて指を組む。
そして目はつぶらず、あたし達の方に視線を向けたまま祭句を唱えた。
「いと高き座にある豊穣神よ、その名はタジーリャなり。教皇たるフレデリック・グリフィン・フェルトンがここに宣する。御身は我らが母神、我らが母神は御身なり。大地が万象を育むが如く、その遍満たる慈悲を以て、瞬きのあいだ我らの愛し子達を護り慈しむ力を与えたまえ」
教皇様が祭句を唱える間、独特な魔力が周囲に満ちる。
地属性魔力に似ているけれど、同時に感じたのはソフィエンタやアシマーヴィア様、ティーマパニア様から感じる神気――神の気配だ。
さっきも女性神官が祭句を唱えてくれたし、幼い頃から教会などで神官が祭句を唱えるのを見たことはある。
それでもここまではっきりと神気を人の身から感じたのは、あたしにとっては初めてかもしれなかった。
そしてその神の気配があたし達を包み、室内を満たした段階で教皇様が告げた。
「――かくあれかし」
教皇様がそう告げた後、室内に居た全員の身体が光っていた。
色合いは微妙に緑色というか、淡いエメラルドグリーンの光だったと思う。
光っている間は体調的には変化はない。
強いていえば、自分がとてもリラックスしているように感じられた。
そして体感で数十秒から一分ほどすると、光は徐々に収まって元の室内に戻った。
感覚的な話だけれど教皇様の祈りによって、その時室内に居た全員がとても落ち着いた気配になっているのを感じた。
「ふむ。大丈夫じゃの。特に問題無いわい」
「教皇猊下、御自ら神術をお使い頂き、誠にありがとうございました!」
キャリルが何やら感激したような声を上げているな。
確かに神気なんて、普通の生活をしていたら感じ取る機会とか無いよね。
そう考えると、神域の本体のところに呼ばれるあたしはツイてるんだろうか。
ステータスの運の値は低いけどさ。
ともあれ、教皇様にお礼を伝えなければ。
「教皇猊下。ご確認いただき誠にありがとうございました。祈りを極めるとあのようなお力を得られるのですね」
「二人とも気にするで無い。これくらいは国教会の高位の神官は誰でもできることじゃ。それに祈りは技芸などと違って極めるものでも無いのじゃ」
「技芸と違う、ですの?」
「うむ。祈りの根っこにあるのは日々の変わらぬ生活じゃが、『生活を極める』とは言わぬよ。少しだけ誰かのため、何かのために自分の力を使う。それでいいのじゃ」
祈りか。
そう言われたら納得するし、そもそもここは国教会の施設なんだよな。
というかそこの最高位の聖職者が目の前に居るんですけど。
「それにしても悪魔を宿した者と戦って無事なのは、二人が鍛錬をしているからかのう」
「めっそうもございませんわ教皇猊下。わたくしなど父母や祖父母の足元にも及びません」
「私もです、教皇猊下」
あたし達の言葉に破顔すると、教皇様は頷いた。
「その意気はいいのう。キャリル嬢、ウィンちゃん、武芸でも魔法でも学業でも何でも良い、今後も研鑽に励みなさい」
「「はい!」」
「さて、これで今回の用件は仕舞いじゃの。国教会への寄付などについては、そちらの者に訊いてほしいのじゃ。それと、……私用で済まぬがウィンちゃん、少し時間はあるじゃろうか?」
「え、はい。大丈夫ですがどうなさいましたか?」
教皇様の私用ってなんだろう、お爺ちゃん絡みだろうか。
まさかモフモフ絡みじゃあ無いだろうな。
「うむ、お主の祖父のゴッドフリーに手紙を書くので渡して欲しいのじゃ」
「ええと、承りますが」
あれ、でも教皇様が自分で手紙を出せばいいだけなんじゃ無いかな。
しかもお爺ちゃんの名前をニックネームじゃ無くて、ちゃんとファーストネームで呼んだし。
「ふむ、助かるのう。直ぐ済むので別の部屋まで付き合ってくれんかの」
「はい」
「教皇様?」
あたし達の会話に扉の脇に控えていた少年が声を上げた。
「心配ない、私用じゃ。数分で戻るよ」
「……そうですか、では開いている部屋を探して参ります」
そう言って少年が部屋を出て、一分ぐらいでまた戻ってきた。
「開いている部屋を確認しましたので、ご案内いたします教皇様」
「うむ。ウィンちゃん行こうかの。キャリル嬢、直ぐ戻るゆえ少々待ってくれるかの」
「「承知いたしました教皇猊下」」
そうしてあたしは少年に案内され、教皇様と直ぐ近くの部屋に移動した。
そこでは教皇様が少年を退出させ、無詠唱で風魔法を使って防音壁を作って口を開いた。
「済まんのうウィンちゃん。今日お主に会えたのは、吾輩の祈りが神々に通じたからかも知れんのじゃ」
「どうしたんですか、教皇猊下? なにか国教会の中でトラブルでも起きたのですか?」
ここまで露骨に人払いするなんてそう考えてしまうんですけど。
「うむ、用件の一つはトラブルじゃのう。吾輩、モフモフが足りずにそろそろ倒れそうなんじゃ……」
教皇様がそう言って防音壁の中には沈黙が満ちる。
あたしは一瞬困惑し、そのあと教皇様が告げた言葉の意味が脳内で理解された瞬間に脱力した。
「……まさかイヌネコを連れてこいってお話ですか?」
あたしは思わずじとっとした目で教皇様を見た。
今この瞬間は仕事モードじゃ無いみたいだし、不敬にはあたらないよね。
ティーマパニア イメージ画(aipictors使用)
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