07.不満を感じていること
父であるサイモンから注意喚起を受けていたこともあり、プリシラは商取引で発生したという敵対的勢力による武力行使を心配していた。
それでもここは武門として名高いティルグレース伯爵家の邸宅だ。
賊の類いが大挙して襲撃しても、ものともしないことは想像に難くない。
襲撃が仮にあるとして、襲う側もそれは分かっているはずだ。
ゆえに敵対勢力は、人に紛れて暗殺に近い手段で襲ってくるのかも知れない。
サイモンから魔道具を受け取った段階で、プリシラはそこまで想起していた。
それを目の前のウィンに伝えるかを逡巡し、悩んだあげく彼女は飲み込むことにした。
そもそも自身は魔道具で守られているし、サイモンも可能性の段階だと言っていたに過ぎない。
ウィンやキャリルは自身よりも武を磨いているし、招待客の貴族には武術や魔法の達人が揃っている。
あやふやで未確定な情報で、目の前の友人の行動を邪魔するのは気が引けたのだ。
「いえ、あまりに良い夜なので、それゆえ終わってしまうのが惜しく感じただけと説明します」
「そう? 何か心配事だったり、体調が悪いなら直ぐに言ってね」
「ありがとうございますウィン」
プリシラにとって、ウィンにしろキャリルにしろクラスの友人たちは眩しい存在だ。
キャリルが穏やかな陽の光のような存在とすれば、ウィンは心地よい風が吹く森を想起させるような、得難い友だと思っている。
「そろそろまた、ゲームにでも挑もうかと思います」
「承知しました、お嬢様」
いくら仕事中とはいえ、自分がウィンに「お嬢様」と呼ばれることに不満を感じていることにプリシラは気付く。
無論彼女は侯爵家の令嬢であり、ウィンは平民だ。
得難い友人なのは事実だけれど、学院を卒業すればウィンから貴族令嬢として扱われることが少し怖いと思う。
まだ当分先の話ではあるけれど。
「ウィン」
「何ですか?」
「公の場でも私的な場でも、私はあなたが友人であることを希望します」
プリシラは思わず口をついて出た自身の言葉に動揺する。
それでも表情を崩さずにいたのだが、ウィンはじっとりした視線をプリシラに向けた後告げた。
「――そんな当たり前のことをいちいち気にしないの。社交の場で心細いのは分かるけど、気にし過ぎよプリシラ」
そう言ってウィンは柔らかく微笑んだ。
その微笑みにプリシラは頷く。
「そうですね。その指摘は正しいと理解しています。――室内に戻りましょう」
プリシラは少しだけ姿勢を正して、談話室に戻った。
ウィンとプリシラが話していたベランダからさらに上、ティルグレース伯爵邸の屋根の上に二人の人物が立っていた。
夜の闇に紛れる黒い戦闘服を身にまとい、気配を遮断して油断なく周囲を伺っている。
それは月輪旅団のジャニスとエイミーだった。
周囲の安全を確認したあと、ジャニスは魔法で連絡を入れる。
「あーしだ、位置に着いた。いつでも侵入できる」
そう告げる彼女の声に気負いはなく、これまで経験した様々な仕事と同じようにやるだけだと理解している。
だが、いつもと異なる材料もある。
「そんで、お嬢はどうするんだ兄い? ――そうか。あとで「聞いてなかった」とか言われてキレられても知らないからな。――そういう事なら分かった。移動する」
ジャニスは連絡を終えるが、エイミーが彼女の様子に口を開く。
「いつものことですけど、急ですね。何とかならないんでしょうか?」
「しゃーないだろもう。ちゃっちゃと片付けて帰ろうぜ」
「そうですよね。……気が進まないけど、お片付けに行きましょう」
エイミーの乾いた言葉にジャニスが頷くと、二人は音も無くその場から消えた。
プリシラがカードゲームのテーブルに加わりゲームに挑んでいると、しばらくして礼服を着た男性が一人、彼女の席の傍らに立った。
その場には相変わらずウィンも居て情報収集をしていたが、その日初めて目にしたその男性に違和感というか予感めいたものを感じた。
「プリシラお嬢さま、ゲームに水を差すようで大変恐縮でございますが、旦那様より伝言がございます」
「あなたは――、お爺様から? どうしましたか?」
プリシラはその男性がキュロスカーメン侯爵家の執事の一人と気づくが、突然声を掛けられたことに胸騒ぎを覚えた。
「急ぎお伝えする話があるとのことで、今から先に侯爵邸に戻って欲しいそうです」
「先に、ですか?」
「内密で重要なお話と伺っております。伯爵家の方々には旦那様よりご挨拶するとのことです」
「……分かりました」
プリシラはそう応え、同じテーブルでゲームをしていた他の招待客に卒なく挨拶をした後、場を離れようとする。
「お嬢さま、大変名残惜しく存じますがお帰りになられるとのこと。本来ならば主催の当家の者がお見送りすべきところですが、大変僭越ながら私が玄関までお見送りさせて頂きます」
侯爵家の執事の虚を突くようにウィンがそう告げると、プリシラは迷うことなく告げる。
「分かりました。それではお願いいたします」
変わらない表情で彼女はウィンに告げた後で、侯爵家執事に一つ頷く。
侯爵家執事は数瞬思案したあと、プリシラに頷いた。
そしてプリシラとウィンは侯爵家執事と共に談話室を後にした。
その彼女たちの動きに興味を抱いた者が居た。
変装の魔道具で侍女に姿を変えていたキャリルだ。
キャリルはプリシラたちが談話室を出ていくのを確認したあと、直ぐ近くで周囲に気を配っていたエリカに声を掛け、二人で彼女たちを追跡し始めた。
一言でいえばヤな感じがした。
ヤな感じだというだけで相手に絡むなら、貧民街とか花街をうろついているゴロツキの思考回路になってしまう。
けれども、あたしにとっては違和感があった。
嫌な予感と言ってもいいかも知れない。
プリシラの様子を観察する限りでは、彼女を呼びに来た男性は知人であるようだ。
旦那様がどうとか言っていたから、男はキュロスカーメン侯爵家の使用人の類いだろうとは思う。
それでも、急いで晩餐会の会場を離れようとしているのがとても不穏だ。
とっさの判断でプリシラを玄関まで見送りすることまでは許可を貰えた。
後はどこかのタイミングで、キュロスカーメン侯爵家の招待客の誰かに確認できればいいのだけれど。
あたしが確認のために直接動いて、プリシラから目を話すのは下策だという予感がある。
そう感じている時点で、今日これから何かがあるのかも知れない。
そこまで脳内で計算してあたしは腹をくくり、意識を情報収集からプリシラの安全確保へと切り替えた。
切り替えた意識で、前を歩くプリシラを呼びに来た男を観察する。
体重移動の感じとか気配から武術の経験などは無さそうだし、戦闘の面での腕前はあまり期待でき無さそうな感じがする。
この男が味方でも、とりあえず護るとしたらプリシラを優先しようとあたしは決める。
敵だった場合は本人の戦闘力が無さそうなら、一発何かの魔法を使うか、魔道具を使うパターンがあるかも知れない。
動き的に信用できないと判断したら、とっとと眠らせた方がいい対象と決めた。
そうなると、プリシラへの脅威という面から考えれば幾つか状況を想定できるかもしれない。
伯爵邸で何か仕掛ける場合と、外に出てから仕掛ける場合か。
彼女に害意を持つ者が仕掛けるなら、伯爵邸を出た後の方が確実だろう。
だから、プリシラが帰宅を指示されたのが侯爵家としての正式なものかは、伯爵邸を出る段階で確認を済ませた方がいい。
その上で確認が取れるなら、あたしは仕事を放り出してプリシラを追いかけるべきだろう。
そうなるとどこで確認を切り出すかだけれど、そこまで考えてあたしは思い出す。
談話室での仕事を始める前に、あたしは伯爵邸内の不審な仕掛けの確認作業を行った。
この時にエントランスホールで、どうしても予感めいた何かを感じたのだ。
何かが起きるか、あるいは何かを起こさなければいけないのか。
いずれにせよあたしは歩きながら意識を集中させ、どういう事態にも即応できるように内在魔力の循環を始め、チャクラを開いた。
やがてあたし達は件のエントランスホールに辿り着いた。
吹き抜けになっているので階段を降り、玄関口まで目と鼻の先までのところに立つ。
「それではお嬢さま、本日は当家にお越しくださいまして誠にありがとうございました。今後ともティルグレース伯爵家をよろしくお願いいたします」
「はい。こちらこそ「ところで」」
「――たいへん不躾ながら、そちらの男性の言葉を談話室にて伺っておりました。おおそれながらご当主様からの急ぎのご連絡がお有りゆえ、今般のご帰宅とのこと」
「君! 失礼だろう! こちらのお嬢さまは……」
男が言葉を出せたのはそこまでだった。
あたしは割と本気の殺気を男に向けつつ、言葉を続ける。
「存じております。プリシラ・ハンナ・ドイル様ですね。学院では大切な友人としてお付き合いを賜っております。ゆえに、プリシラ様が、万が一にもあやふやな連絡で不幸な手違いなどがあることは看過できないのです」
「あやふやな、ですか。あなたは確認をしなさいと主張していますか、ウィン?」
自分に向けられたものではないとはいえ、あたしの殺気に怯まずにプリシラは問うた。
「今すぐに、本日お越しになられている侯爵家のご招待客の方に、帰宅の是非を確認すべきと提案します」
「そうですね……。ウィンの言葉には説得力があると判断します」
あたしの言葉にプリシラは頷く。
そして視線を男に移して指示を出した。
「――あなたは今すぐにお爺様かお父様を訪ねなさい。談話室にいると考えられます。今日書かれたことが分かるようにして、帰宅を指示するメモを受取ってきなさい」
「お嬢さま……」
男が当惑した声を出した直後に、玄関口に近い場所でドサッと人が倒れる音がした。
直後にあたしの気配察知が、敵対的な意思を持った人間を複数感知した。
プリシラ イメージ画(aipictors使用)
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