08.分身は本体から影響を受ける
視線を上げてあたしはノーラと目を合わせる。
「本体に確認できました。ノーラさんの悩みを聞いてあげてって言われましたよ」
「そう。何ていうか情けないお姉さんでごめんなさいね~」
「ううん、構わないです。それで悩み事って何ですか?」
あたしの問いに「そうねえ」と言ってノーラは少し考え込む。
「まず、ワタクシはローガンと付き合い始めたのはもう知ってるわね?」
「ええ。玄関でのやり取りで胸焼けしそうでしたよ」
「ふふ、ごめんなさいね。色々と相性を確かめて、身も心もダーリンに全て捧げていいと思ったの。こんなの百年ぶりかしら」
「相性とか身も心もって、あたし十歳なんですけど」
あたしの言葉を聞いて、ノーラは妖しく微笑む。
「それでもあなたは分身よね。薬神様がどういう方針であなたを送り出したかは分からないけれど、あなたには生まれる前の記憶があるわよね?」
「……見かけ通りの年齢じゃ無いって言いたいんですか?」
「違うのかしら~?」
そう言ってノーラは微笑むが、その眼の奥にあるのは厄介そうな感情かも知れないと思う。
想像でしかないけど、ある種の諦めとか哀切に似た思いが何となく感じられた。
「あくまでもあたしの場合だけれど、本体としての前世の記憶なんかはかなり絞られています。具体的には直前の休暇で生きた地球での記憶だけかな」
「その一生分の記憶があるという事かしら~」
「その辺がボカされてるんですよね……。難病で五十代で家族を残して死んだという事実は覚えているけど、肝心の家族の記憶とか抱いた感情まで含めてキレイに消されてるんです」
「……そう、そこはワタクシと同じなのね。いちどワタクシの本体たるアシマーヴィアにその消された記憶のことは聞いたことはあるのよ~」
その質問の答えは興味はある。
ただ、それを知るのが少し怖い。
「ちょっと待ってノーラさん。その答えは、結構重い内容だったりするのかしら?」
「ううん、そんなことは無いわよ? でも、この話はやめて、ワタクシの相談事の話に入った方がいいかしら~?」
ソフィエンタが何らかの意図で記憶の削除を行ったにせよ、それは闇神様の価値観とは別の話だろう。
あたしは少し考えて、首を横に振った。
「参考までに聞いておくわ」
「分かったわ。アシマーヴィアに言われたのは、ワタクシが今生で人を愛するときに邪魔にならないように整えたって話ね~」
「邪魔にならないように、か」
それは妥当だと思う。
もっともソフィエンタなら“愛する”とかじゃなくて、“自由に生きられるように”とかそういう事を言う気がする。
予感ですらなくて、ソフィエンタはあたしの価値観と変わらないことを考えるだろうから。
「参考になったわ。ありがとうノーラさん」
「いいえ~。それで、少し脱線しちゃったわね。ええと、ウィンちゃんを十歳の子として扱わなくていいでしょって話だったと思うんだけど~」
「……そうね。そう言われればその通りね。でも、ノーラさんと二人で話す時だけにしてね」
あたしの言葉に目を細めてから、ノーラは頷く。
「うふふ、分かってるわ。さすがにワタクシも薬神様やあなたを怒らせたくないもの~。何よりウィンちゃんは女の“分身仲間”ですしね~」
そう言ってノーラは嬉しそうに微笑んだ。
「そろそろ本題に入りましょうか。ワタクシは冒険者をしていて、『朱黒の大淫婦』なんて二つ名を持つの」
「大淫婦……。ずい分な言われ様じゃないですか」
「心当たりはあるのよ。戦いの場では殿方を押しのけて戦果を上げるから、女としてはしたないっていう意味が一つ。もう一つはワタクシが常に色んな殿方と恋をして夜を過ごしていることね~」
割とあっさりと原因らしきものを自白したのだけれど、ノーラは特に悪びれる様子もない。
というか、けっこう爛れた話を聞いてしまった気がするんだけど。
「色んな殿方と……?」
「そうね」
「そりゃやっかみ含めて色々言われるんじゃないかしら?」
「そうかも知れないわね。でも切っ掛けはあるのよ、あれは百年ほど前のことかしら~」
「あ、なんか語り始めた」
ノーラによると百年ほど前には爛れた生活はしていなかったそうだ。
だが当時彼女は激しい恋に落ちた。
言葉を重ね、夜を重ね、季節を重ねた。
そして将来を誓い合おうとしたときに問題が起きた。
相手がノーラと添い遂げることを拒んだのだという。
「要するにフラれたってこと?」
「結論だけいえばそうね。でも相手が拒否した内容は、単純にワタクシへの想いが絶えたからでは無かったのよ~
「どういうことですか?」
「相手は同族では無くてヒューマン族だったのだけど、ワタクシと生きることとヒトの寿命を全うすることを天秤にかけたのよ……」
ノーラやニナは吸血鬼だから長命だ。
結婚するとして相手がふつうのヒト種族なら、例えば仙人として修業をさせるなどで寿命を延ばすにしろ問題がある。
相手の身内やら友人知人などが、どんどん寿命を全うしていくという話になった。
そして相手はノーラではなく身内や友人知人と同じ時間を過ごすことを選んだそうだ。
「――だから相手の人に乞われて、ワタクシとの愛の記憶をすべて魔法で封印しちゃったの~」
そう言いながらノーラは苦笑した。
確かに愛が覚めて破たんしたなどなら、諦めも付いたかも知れない。
でも、愛しているがゆえに、その記憶を封印しなければならなかったのはキツかっただろうな。
「ノーラさん……」
「という過去は、言い訳だって分かってて『恋の狩人』を自称してきたんですけどね~」
「……ノーラさん?」
何やら普通にノーラの恋バナに突入しているような気がする。
あたし的には他人の恋愛事情には、今のところそこまで興味は無いんだよな。
「んー……。無理やり話を動かしますけど、ノーラさんの相談って付き合い始めたローガン先生との事ですか?」
「ある意味で関係あるわね。でも、それは問題の一部に過ぎないわ~」
「問題の一部ですか?」
あたしが問うと、ノーラは少しばかり考え込んでから口を開く。
「ねえウィンちゃん。恋をすることも誰かを愛することも、満たされる反面凄く苦しいじゃない。“分身仲間”として、前世の記憶を断片的にでも持つあなたなら分かるでしょう~?」
「そう、かも知れません」
「ウィンちゃん、あなたは不安にならないかしら?」
「不安?」
「ええ、自分がいま行っている選択は、本体からそういう風に用意された分身だからそうしているだけなんじゃないかって」
そう告げるノーラの表情は微笑んでいたが、その眼はどこか虚無的な感じがした。
「愛することも愛されることも幸せよ。でも、時々不安になるの。ワタクシ達が営んでいる愛は、家畜の営みと大差ないんじゃないかって」
「それが、相談事ですか?」
「そうよ」
ノーラはあたしの目をまっすぐ見ながら返事をした。
あたしは長く重い溜息をついた後に、ノーラに告げる。
「そんなの別に家畜でも動物でもいいじゃないですか」
「え?」
「あたし、この世界では狩人の三女で生まれたんです。田舎育ちな上に狩人の仕事も手伝ったんです」
「そう……?」
「ええ。ですけど、家畜でも森の生き物でも自尊心は持ってるし、親子の愛なんかもあったりします」
「ウィンちゃん……」
「まあ、それでも狩るんですけどね」
おカネとか稼ぎって大事なんですよ。
「あ~、うん」
じっさい、群れで動いてたシカとかイノシシとか狼とか狩ってたし、そいつらにも感情はあったんだよ。
決して農作物のように収穫されるだけの生き物じゃ無かった。
「それに、家畜云々がモノの例えで、分身として“そういう風に作られた”のを気にしてるのが本題としますよね?」
「ええ……」
「ぶっちゃけ、そこら辺を歩いてるヒト達だって、“そういう風に作られた”ようなものじゃないですか?」
「…………」
「土地とか国の記憶、歴史とか民俗の記憶、遺伝情報とか親からの価値観。色々あるけど、全てをゼロの状態から自分で選び取って自分になった人っていませんよ」
「……そうかも知れないわね」
「それに神様だって、神話だと創造神様に作られたことになってますよ。それこそ“そういう風に作られた神様”ですよね」
あたしが神さまにまで話を広げると、ノーラは目を丸くして微笑んだ。
「そう言われてみれば、そうだったわね。うふふ」
「それに多分ですけど、ノーラさんがそこを気にしている理由も何となく察しがつきます」
「え? どういうことかしら~」
「言葉にすると平凡ですけど、ノーラさんが感じた愛って奴を“特別なものなんだ”って思いたいからですよね? 『誰かに決められたから』って、言われたくないからっていうのかな」
「…………」
「そんなの、誰にとっても当たり前のことじゃないですか? あたしでも分かるもの」
あたしの言葉にノーラは何やら考え込んでいたが、やがて一つ頷いた。
「確かにあなたの言う通りだと思うわ~、ウィンちゃん。それにしても同じ巫女でもお姉さんダメダメね。もっとしっかりしなきゃ~」
そう言ってノーラは舌を出した。
「いや、今回のノーラさんの悩みの相談に、あたしが向いてただけだと思うんです。あたしの性格って本体から影響を受けてるじゃないですか」
「ええ、分身は本体から影響を受けるわね」
「あたしの性格的に、たぶん“生き物は自由に生きよう”ってのが根っこにあるんです。それを妨げる病だとか、環境要因を何とかしたいってのが薬神の“薬”の部分だと思ってます」
「それは……、ちょっと目からウロコねえ~。……ワタクシの感情的にも、“愛や想いや魂は目に見えないから特別なものとして扱いましょう”っていうことは、あるかも知れないわ」
うん、そういうことなら、ここまでの話でノーラの分身としての悩みは解決でいいんじゃないかな。
「それなら、今まで通り…………だとローガン先生が可哀そうだし、ローガン先生ひと筋で過ごしてみたらいいんじゃないですかね? ノーラさんにとって特別なものを守る感じで」
「そうね~、そうするわ~。――ダーリンにはいま身体にいい食べ物を食べてもらいながら、チャクラを開くトレーニングをワタクシも手伝って行っているの~」
「あ、ノロケなら遠慮します。もう胸焼けぎみですし」
そう言ってあたしが微笑むと、ノーラもまた微笑んでいた。
微笑む彼女の眼には、光が灯ったような気がした。
ウィン イメージ画(aipictors使用)
お読みいただきありがとうございます。
おもしろいと感じてくださいましたら、ブックマークと、
下の評価をおねがいいたします。
読者の皆様の応援が、筆者の力になります。




