08.何に食わせる生贄
王都ディンルークの眠らない花街は、夜の闇を押しのけるように蠱惑的な光を漏らしている。
酔客やこれから目的の店を訪ねようとする様々な人の波に混ざって、軽やかに歩く女の姿があった。
冒険者が着るような黒の戦闘服の上からロングコートを羽織り、街の喧騒をその真紅の目で楽しみながら通りを歩いていた。
途中幾度か彼女に目を止めた男たちが口説こうとして歩み寄ろうとする。
だがその全てが生物的な本能の部分で自らを制止させ、彼女の歩みに見とれつつ見送っていた。
肩で風を切って歩いていた彼女は、娼館・茉莉花の羽衣に辿り着くと妖しく笑って建物に入って行った。
茉莉花の羽衣の最奥にある事務所では、帰還した副官のジョージからマルゴーが報告を受けていた。
ジョージは収穫祭の折に人攫いが王都に現れた件で、フサルーナ王国で闇ギルドの動きなどを探ってきたのだ。
「――話は分かった。人身売買の闇市については空振りだったのかい」
「ええ。先方の闇ギルドの末端に丁寧に挨拶して回って得た話です。そもそも開かれる予定が無かったのは確実なようです」
「無駄足を踏ませたね」
「いえ、久しぶりに軽い運動が出来たので、むしろ息抜きになりました」
ジョージは蒼蜴流の皆伝者で、賞金首狙いの冒険者として死体を積み上げてきた人間だ。
その彼が軽い運動をしたのなら、フサルーナ王国の闇ギルドはそれなりの騒ぎになっただろう。
もっとも今回は、先方が王都に人攫いを仕掛けたネタは挙がっている。
末端を少しばかり踏みつけたところで、抗争などに発展することは無いだろう。
そこまで考えを巡らせて、マルゴーは口を開く。
「そうなると、そもそもなんで連中は人攫いの斡旋なんぞをしたんだろうね」
「そこははっきりした話は訊けませんでしたが、“生贄”に近いものを企図していたようです」
「生贄? まさか『魔神』とかが出てくることは無いだろうけど、何に食わせる生贄だったんだい?」
「精霊の加護を集めている者が居て、そいつに恩を売るとかいう話を漏らした奴は居ました」
「精霊の加護ねえ……」
それはつまり精霊魔法の才能を持つ者を、一定数集めようとする者が居た可能性を示している。
だが単純にそういう人材が欲しいなら、王国で集めずとも共和国で冒険者などに声を掛ければいい話だ。
そうせずに子供ばかりを集めても、教育の手間が要る。
手間が掛かるのを呑んででも集めるのは、妄信する部下なり手駒を得たかったのだろうか。
「……『魔神』の具体的なネタは出てこなかったのかい?」
「ええ。信者の類いが動いている可能性も一応考慮しましたが、そういう動きは有りませんでした」
ジョージが追えないという事は、組織立った動きでは無いと判断できそうだ。
そうなると個人であるとか比較的小さな集団で、何かを企んでいる奴らが居るのかも知れない。
しかも他の土地では無くて、王国で集めたことがキナ臭い。
「生贄の話の確度はどの程度だい?」
「話した奴にとっては嘘では無いようです。いつもの手順に加えて【真贋】も使いました」
いつもの手順というのは、身体を回復させる魔法を組合わせた拷問を使う尋問だ。
こと闇ギルドや賊などの反社会的組織相手には、マルゴーもそうだがジョージは容赦がない。
「分かった。……ディアーナの情報は何かあったかい?」
「いえ、無かったです。済みません」
「いや、仕方ない。……ディアーナについてはあんたがいない間、こちらで情報があった」
「そうですか?! それは……」
「その話はするが、遠征の話はほかに何かあるかい?」
マルゴーが訊くとジョージは「ありません」と応えたが、そのタイミングで事務所のドアがノックされた。
マルゴーがドア越しに入室を促すと、部下の男が現れた。
「マルゴー様、ご予約の無いお客様がいらっしゃいましたが、どういたしましょう?」
「客? 誰だい?」
「はい、ノーラと名乗る女性の方です」
「ノーラ? ……そいつは二十歳くらいでストロベリーブロンドをした真紅の瞳の女か?」
「左様です」
その返事に眉間を押さえつつ、マルゴーは返事を絞り出す。
「直ぐ通せ。茶も一式持ってきておくれ」
「承知いたしました」
そう返事して部下の男は退室した。
「マルゴー様……、お客様とはもしかして……」
「おまえの想像の通り、『朱黒の大淫婦』だろうさ」
「…………ええと、俺はこちらに居ていいのでしょうか?」
マルゴーに確認するジョージの顔色には動揺が見られた。
「落ちつけ。これまでの傾向と対策から言って、奴は冒険者とかその周辺は“食わない”からな」
「……分かりました」
マルゴーとジョージは揃って重い溜息を吐き出した。
室内はマルゴーの執務机しか無い広々とした状態だったが、直ぐにマルゴーの部下たちがマジックバッグからソファとテーブルを取り出して設置し茶を用意した。
そのあと事務所にはマルゴーの部下に案内され、ノーラが姿を現す。
「こんばんは、マルゴーちゃん。元気だったかしら~?」
「こんばんはノーラ。相変わらず若々しくてあんたが羨ましいよ」
そう言いつつ苦笑しながらマルゴーは腰を上げ、歩み寄ってノーラと握手をした。
「ジョージくんも元気だった~?」
「お陰さまで息災です」
ノーラに問われたジョージは穏やかな笑みを浮かべて簡潔に応えた後、そのまま気配を微妙に抑えて空気になった。
「あなたも充分若々しいと思うけど、修行をすれば永く永く若く生きられるわよ? 知り合いの元ヒューマン族の子がいるもの~」
「修行ねえ。前に言ってた仙人ってやつか……。ワタシは当面ふつうの人間でいいと思ってるんだがね」
「もし気が変わったらいつでも紹介するわよ~」
「まあ、そのときは頼むよ」
そう応えながらもマルゴーはソファーを示してノーラを座らせた。
ジョージは壁際に引っ込んで、完全に空気になることにしたようだ。
「それで今回はどうした。あんたがフラッと突然来るのはいつものことだが、前に来たのは一昨年だったか? 仕事でも入ったのか?」
「今回は仕事じゃ無いわ。いまワタクシの弟子というか妹分が学院で生徒をしているの~」
そう言ってからノーラは何が可笑しいのか、「うふっ」と一声笑った。
ジョージはその笑い声に動揺しないように精神を統一していた。
「そうか、それは初耳だね。なんて子だい?」
「名前はニナ・ステリーナ・アルティマーニっていうわ。下二桁が十歳だから、学院の魔法科で初等部一年に転入したらしいのよ~」
下二桁という単語でマルゴーは物申したくなったが、とりあえず話を聞くことにした。
「そうか。あんたと同じ趣味だったら学院は大変かもしれないね」
「趣味? そうねえ、あの子はお子様だから美少年の絵を描いて、それを眺めて満足しちゃうだけね~」
ノーラの話を聞いてマルゴーは内心安どする。
場合によってはエルヴィスに警報を出さなければならなかったところだ。
「それじゃあ、仕事でも無くて息抜きがてら妹分の様子を見に来た感じかい?」
「そうよ。あの子はここ十年以上は地元に引きこもってたから、共和国に任された仕事をキチンとしてるか見に来たの~」
そこまでノーラの訪問の目的を訊き出し、マルゴーは少しだけ安心した。
だがその気分は次の一言で破られた。
「それにワタクシ『恋の狩人』でしょ? そろそろ王国の男の人との恋がしたくなったかなって思ったの~」
何やらツヤツヤの笑顔でノーラが告げる。
「そ、そうかい……。まあ、なんだ、恋っていうなら喰い漁るんじゃなくて、何かテーマとか縛りを持ったらどうだい? そう過ごした方があんたにも相手にも幸せなんじゃないかって思うよ」
マルゴーが出来るだけ王都とか花街の男性たちへのダメージを減らすために、ダメもとで提案をしてみた。
前回ノーラが来た時は大変だったのだ。
花街のプロの男たちやら、花街に遊びに来た豪傑を自負する男たちが軒並み返り討ちに遭った。
色々と搾り取られたうえに骨抜きにされて、ノーラが王都を去った後はしばらく教会に通ってメンタルを癒す者が続出したらしい。
ちなみにそういう男たちがノーラを追いかけなかったのは、彼女が去り際に何らかの闇魔法を使ったかららしいが、詳細は今でも不明である。
「喰い漁るって失礼ね、ワタクシ『恋の野獣』は自負していないわ。でもそうね……、テーマかぁ……。ニナちゃんがせっかく学院に居るのだし、インテリ風の男の人との恋もいいかも知れないわね~」
「……その妹分の生活のためにも、程々にしなよホントに」
「そうねぇ、巫女ちゃんも居るしね~」
「巫女?」
「ああ、ごめんなさい。ただの言い間違えよ。身の堅そうなセンセイとかいいわね~」
ノーラの言葉に思わずマルゴーはため息をついた。
色々と仕出かすノーラではあるが、彼女はこれでも苦しむ女の味方である。
花街で不当に虐げられたりする女性や、深刻な事情を抱えた女冒険者が居ると、損得抜きに助けるような物好きだ。
そういう点では何となくマルゴーはノーラと波長が合い、付き合いが続いている。
「それで、今日は久しぶりだから挨拶に来てくれたのかい?」
「それもあるけど、今晩用の暖かい抱き枕が欲しいかなって思ったの。どこかおススメのお店は知らないかしら~?」
マルゴーは眉間を押さえつつ、最近評判の良い花街の店を数軒ノーラに教えてやった。
「ありがとうねマルゴーちゃん。あなたの情報は外したことが無いから参考になるのよ~」
「いちおうこの街で暮らしてるからね。それはいいけど、妹分に迷惑にならない程度に遊んどきなよ」
「分かってるわ。それじゃあまた遊びに来るわね~」
「ちょっと待った、あんたはしばらく居るのかい?」
「それはまだ考え中~? ……でも、春くらいまでは居てもいいかなって思ってるのよ~」
「そうかい。まあ、住むところとかで相談したかったらいつでも来な。夜ならワタシか部下が居るから」
「ありがとうマルゴーちゃん~」
そう言ってノーラは立ち上がるが、同じくソファから立ち上がったマルゴーに抱き着いて頬にキスをした。
「それじゃあまたね~」
ノーラは手を振りつつ、事務所から出て行った。
「何ていうか、色々と不安になってきたよ」
「マルゴー様、ノーラ様の到着は関係各所に速報を流しておきます」
「ああ、帰ったばかりで悪いが頼むよ。今日はそのまま直帰してくれていい。ディアーナの話は明日する」
「分かりました」
そうしてマルゴーはジョージを送り出し、自身の執務机の椅子に座って一息ついた。
ノーラ イメージ画(aipictors使用)
お読みいただきありがとうございます。
おもしろいと感じてくださいましたら、ブックマークと、
下の評価をおねがいいたします。
読者の皆様の応援が、筆者の力になります。




