中編
ハリベル・ロトーリアス王子は、馬車を急がせていた。
今日は月一の婚約者との交流会だ。分かっていたのに。
「あっ……」
王宮に向かう馬車が、別の馬車とすれ違う。
ディミルトン侯爵家の家紋入りの馬車だった。
あっという間にすれ違い、遠ざかっていくそれをハリベルは見送ることしか出来なかった。
絶望的な気持ちを抱えつつ、交流会の準備が整えられていた筈の中庭に向かう。
途中、見かけた使用人達にアリーナの所在を問うと無言で首を横に振られてしまった。
「……間に合わなかった、のか」
足取りが重い。もはや、そこに向かう意味などないのに未練がましくハリベルは中庭へ進んだ。
ハリベル・ロトーリアス。
ロトリアス王国の王太子にして、唯一の王子。
彼には幼い頃に決まった婚約者が居た。
国王が隣国との関係強化を望んで決めた相手だ。
港を有し、あちらの国の王家の血を引く女性を妻に迎えたディミルトン侯爵家の令嬢。
アリーナ・ディミルトン。
腰まで伸ばした白銀の髪と赤い瞳を持つ女性。
……彼女と出逢う前。王子とはいえ、王や国の都合で決められた婚約に不満があった。
高慢な高位令嬢には嫌気が差していて、気が進まなかった。
王太子教育を既に受けていた自分は、そんな自らの感情を隠しながら、婚約者候補との顔合わせに出席した。
「はじめまして。ハリベル殿下。アリーナ・ディミルトンです」
「───」
アリーナは予想していたような高慢な令嬢ではなく、慎ましやかな人だった。
会うまでは不満だったその関係も満更でもないと感じていたが……ハリベルは、それらを表情には出さなかった。
その時にはアリーナに心を動かされていて、王太子教育の賜物によって、相手にそれを悟らせないように表情を殺していた。
「…………アリーナ」
しかし、ハリベルが顔に出さなくても見る人が見れば分かったらしい。
父や母にはハリベルの気持ちを見抜かれていた。
いくら王太子教育を受けていたとしても未だ幼い彼には、感情を隠し通すのは難しかった。
照れ隠しで微笑ましい関係。
……そう認識されていた筈だった。
けれど、なかなか素直に感情を表に出さないハリベルの態度に、だんだんと婚約者の態度は凍りついていった。
厳しい王太子妃教育を王宮で受けて、空いた時間にアリーナはハリベルに会いに来る。
互いにどの貴族子息よりも厳しい教育を受ける身だ。
国を守る為に学ぶ2人は、戦友のようなものであったが、そういう信頼関係すらも上手く築けなかった。
出逢った頃は、華やかに微笑んでみせた婚約者も、王太子妃教育が進むにつれ、表情の殺し方を覚えていった。
ハリベルの態度から良好な信頼関係が築けなかったのも相まって、アリーナはハリベルの前で笑う事がなくなる。
それだけでもハリベルは内心で焦り、或いは不満を抱いていた。
その感情により暗いモノが混じったのはディミルトン侯爵家を訪ねた時だ。
……家族の前で微笑む彼女の姿を見た。
父親に、母親に、兄に向ける、かつて見た、焦がれた微笑み。
けっして自分には向けないその微笑みを、無関係の場所から見た時、ハリベルには仄かな怒りの感情が芽生えた。
自分勝手な感情だとは理解していたが、ハリベルの態度は余計に悪化した。
それでも彼らはアリーナの家族だったから、致命的ではなかった。
ハリベルにとって赦し難かったのは、そのアリーナの微笑みが、ある男に向けられたのを見た時だ。
「……何故、ここに叔父上がいらっしゃるのですか?」
「やぁ、王太子殿下。久しぶりだね」
交流会の席に座って菓子を食べていたのは婚約者のアリーナではなく、国王の弟、既に臣籍降下し、公爵になった男だった。
ラニエル・トリニティ。
国王と同じ金色の髪と金色の瞳を持つ男。
……そして、いつもアリーナにあの微笑みを向けられている男だ。
瞳の色だけは、父の色を受け継がなかったハリベルは、いつもこの男の金色の瞳を見ると心がざわついた。
その瞳で見られると、自身が本当に王の器なのかと問われているかのようだった。
「しばらく王宮に近付かないのではなかったのですか?」
「そのつもりだったんだけどね。兄上に呼ばれては応じないワケにもいかないだろ?」
「陛下に?」
何の用で。それに呼び出されたとして、何故ここに来たのだ。
「まぁ、ちょっとした用事だったんだ。それよりもさ。王太子殿下、あんまり良い噂を聞かないね?」
「っ……!」
飄々とした態度で、責めるように言葉を投げかけてくる。
他の誰でもない、この男に言われるのだけはハリベルは我慢ならなかった。
「婚約者のアリーナ嬢のことを蔑ろにしておいて、他所に恋人を作ったんだって? 君、何を考えてるの? 兄上もお困りだよ」
「それは……!」
「うん。それは?」
冷めた金色の瞳で見抜くラニエル。
「が、学園の時だけの、経験……のつもりで」
「はぁ?」
ラニエルは首を傾げた。
「女性には……ちゃんとした態度を取れるんだ。私は、それに……ローラは話し易くて」
「話し易いから? 女の子と話す練習のつもり? それ、本気で言ってる?
君、かのカーティス嬢に愛まで囁いてるって聞いたけど。
口先の言葉だけじゃなくて態度や行動も伴ってるってさ。
それも婚約者であるアリーナにした事もないような待遇でさ。
カーティス嬢も舞い上がって友人達に話してるよ。
婚約者が居る男に横恋慕だから、よろしくはない態度だけど。
それでも問題なのはハリベル、君の方だ。
なにせ王太子殿下だ。君の方から接近を赦しているなら令嬢側は断り切れないだろ。
あわよくば王太子妃に、未来の王妃に、とも思う筈だ。両親のカーティス侯爵夫妻もね。
あちらの令嬢の器量は疑ってない。
魔力量だってアリーナと比べる必要までない事を考えると十分に王太子妃に相応しいし。
兄上……陛下が隣国との関係を考えて、アリーナ嬢を指名したけどさ。
娘が冷遇されてまで今の関係を続けるつもりはないってディミルトン侯爵も陛下に訴えてきてるの、知ってるかい?」
「……! そ、それは」
そこまでは把握していなかった。
それに陛下の耳にまでローラの事が知られていて、あろう事かこの男にまで知られているなんて。
「極めつけはアレ。カーティス嬢やその取り巻きの前で君、言ったらしいね?
『アリーナとの婚約は父上の決めた事だ。隣国との関係があるから仕方のない事だ』
……って。
恋人扱いしてるカーティス嬢を侍らせながら、だろ?
誰が聞いたって、それじゃ君自身はアリーナ嬢との婚約を望んでないって言ってるのと同じだろ」
「うっ……! そんな事まで、なんで」
「そんな話が流れてくるぐらい大っぴらな行動してるんだよ。学園なんて人の目だらけさ。
君も別に隠してさえいないだろ。
その話がアリーナ嬢に、ディミルトン家に伝わったらどう思われるか、とか考えもしなかったの?」
言葉に詰まるハリベルに畳み掛けるように責めるラニエル。
「……! アリーナだって叔父上に向けてばかり微笑んで楽しそうじゃないですか!」
「────」
思わず漏らした言葉に金色の瞳をした男はキョトンとした顔をした。
「何だい。それ? もしかして王宮で誰かさんの冷たさに彼女が泣いていたのを慰めた事を言ってるの?
婚約者が2年近くも冷たい態度で、厳しい教育を何の為に、誰の為に受けているのか分からないって泣く羽目になってた彼女が。
他の人間には慰められる機会も持つなって?
君以外の前では笑うなとでも?」
「ち、違……」
「自分は別に恋人を作って、そっちで癒されて、慰められてるのに? 滅茶苦茶だろ。
アリーナ嬢に対してもだけど、そんな気持ちならカーティス嬢に対しても問題だ。
どっちも侯爵令嬢だよ? 分かってるの?
ディミルトンとカーティスをわざわざ敵対させて国を乱したいのか?」
「うぐ……」
「……勉強や、政務だけ出来てもな。まだまだ子供だと言えばそうだけど。
有力な侯爵家を2つも巻き込んでする青春じゃないだろ」
ラニエルは心底呆れたようにハリベルを見た。
「……ていうか、そんなに話してて癒されるんだったら、君にお似合いなのはカーティス嬢って事だろ?
憧れだか、照れ隠しだか、初恋だか知らないけど。
そんな態度なら、さっさとアリーナ嬢を解放してあげろよ」
「か、解放?」
「婚約解消しろって事。王家との婚約について侯爵家から言い出すのって中々だよ?
それでもディミルトン侯爵は言ってきたんだ。
学園なんて、それこそ青春まっさかりの時代に何故、娘が辛い思いばかりして。
問題の王子は別の恋人を作って癒されてるんだってね」
「…………」
ハリベルは事実ばかりを指摘されて、黙る事しかできなかった。
そんな態度を尚も見つめるラニエル。
「……聞くけど。カーティス嬢とすぐにでも決別する気はあるかい? ハリベル・ロトーリアス王子」
ぐっと真剣な顔つきをして、金色の瞳がまっすぐにハリベルを見据えた。
「そ、それは……」
ハリベルは答えない。
ローラ・カーティスとの出逢いや語らいで、厳しい王太子教育や上手くいかない婚約者との関係にまつわる辛さが癒されているのは確かだった。
簡単に手放すとは言えない程に。
だが、沈黙をもって、ラニエルは質問の答えと受け止めた。
「……そうか。君はそういう男か。なら、まぁ、いいだろ」
「は……?」
やおら立ち上がってラニエルは、ハリベルの間近まで近付いてきた。
そして、その指が彼の胸、心臓の辺りに触れられる。
「……!?」
──カチャリ。
と。ラニエルの指先に魔力が集まるのと、ほぼ同時にハリベルの耳には何か音が聞こえた気がした。
自らの内の何かを、ラニエルが得意とする【解呪魔法】が解いた……?
王族の自分が恒常的に施している魔法。
いや、婚約者のいる王族に施されている魔法……それは。
「叔父上! 今、まさか!?」
「──そうだよ。解いてあげた。
王家の血を管理する為の制約。
王家の子が他所に簡単に出来ないようにする為の措置。
パートナーと対になって初めて真の意味を持つ誓約と、愛の魔法。
安心して。解いたのは君のだけじゃないから。
アリーナの方も既に解呪済み。
これで2人には魔法的な保証も制限もまるでなくなったね?」
「な、な! なんて勝手な事を!」
──誓約と愛の魔法。
王家の男の場合は、たとえ誰と交わろうとも正式に迎えられる妃との間にしか子が生まれなくなる。
妃とは王妃として迎える正妃と、その正妃が認めた側妃のみを指す。
……女の方は、その貞操と命を他者から守る魔法。
物理的な守護だけでなく、パートナー以外の異性から向けられる恋愛感情を抑える効果がある。
王妃の魅力が損なわれるという懸念もあるが、重く真剣な気持ちではない感情を寄せ付けず、相手に抱かせない効果がある。
この魔法で守られている限り、アリーナは邪な感情、浅はかな異性の性欲を向けられる事がなくなる。
パートナーと共に施す事で、初めて効果が発揮される魔法だ。
「いつですか! いつ解呪を!?」
「君より先に。馬車に乗る前かな」
……この魔法が解けたアリーナは、他の異性から本来の魅力をもって注目を浴びる。
……魅力的な女性である程に危険なのに!
「はは。やっぱり魔法で縛るから余裕があったのかな? どうせアリーナ嬢が誰にも見向きされないって思ってたから、今までの態度だったんだろう」
「……叔父上!」
「これで彼女の魅力にたくさんの男が気付くよ。
良かったね? 今まで俺ばかり、俺だけ警戒していれば良かったのにね、ハリベル殿下」
「くっ……!」
ハリベルはラニエルとの会話を打ち切り、背を向けた。
アリーナの帰ったディミルトン侯爵家へ向かう。
ハリベル王子に置いていかれたラニエル・トリニティ公爵は、その様子をのんびりとした気持ちで見つめた。
「……まぁ、アリーナ嬢は自分の力で自分を守れるけどね。
魔法を解いた後の姿を、他の男に見せたくない気持ちだけは分かるかな?」
ラニエルはそう一人で呟いた。
「──赦すかどうかは彼女次第だよ、王太子殿下」
後書き。
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作者の励みになりますので……。
あと後編と、あってエピローグを書いて終わる短編連載の予定です!
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