前編
金色の髪と緑の瞳をした王太子、ハリベル・ロトーリアス殿下には学園に入ってから恋人が出来た。
彼の恋人の名前はローラ・カーティス。青い髪と青い瞳をした可愛らしい容姿の侯爵令嬢だった。
おめでたい事? いいえ。
彼が私の婚約者でなければ、そうだったでしょうね。
私の名前はアリーナ・ディミルトン。
ディミルトン侯爵家の娘であり、王太子ハリベル殿下の婚約者だ。
「…………」
婚約者に恋人が出来ても気にしていない、なんて事はない。
私は私なりに彼と仲良くなろうと努めてきた。
自分なりに……愛情、を彼に対して持っていたと思う。
それでも思えば、出逢った時からハリベルは私に冷たかった。
私と彼の婚約は想い合って成立したものじゃない。
幼い頃、王家と侯爵家で結ばれた政略結婚だった。
私の家であるディミルトン侯爵家は、国内有数の港がある領地を持つ家で、私のお母様であるディミルトン侯爵夫人は海の向こうの隣国の伯爵令嬢だった。
お母様の生家の伯爵家は、あちらの王族が嫁入りした名家であり、私の祖母は隣国の元王女様になる。
流石にあちらの国の継承問題に発展する事はない縁だけれど、他国の王家の血が流れている私は生まれながらに高い魔力を持っていた。
『魔力婚』という言葉があるぐらい、王国の貴族間では有する魔力の量が大事にされる。
特に高位貴族はその傾向が強く、王家はその筆頭と言えるでしょう。
魔力量の高さと隣国との血の繋がり。そして身分。
それらの揃った私が、同年齢の王太子の婚約者に据えられる事は必然の流れだったのだろうなと今なら理解できる。
けれど、おそらくハリベル殿下は納得できなかったのでしょう。
婚約者として引き合わされた場では常に冷たく睨み付けられた。
そして、その態度は初めて出逢った時だけではなく、それ以降もずっと続いた。
「嫌われているのは……分かっていたのよ」
それでも私は侯爵令嬢だ。
望まぬ政略結婚であったとしても、簡単には取り下げられない。
ましてや相手は王家なのだから。
成長すると始まった、厳しい王太子妃教育も私はしっかりと受けてきた。
教育係や国王陛下、王妃殿下の評価も高く、彼らや王宮の方達には好意的に接して貰っている。
しかし私の婚約者当人のハリベル王子だけが頑なに私に冷たい態度だった。
「……潮時なのかしらね」
ハリベル殿下は優秀な王太子だ。
厳しい王太子教育にだって真面目に取り組んでいるし、評判も良い。
それは身近で彼の努力を見る機会の多かった私には分かっている。
いずれ優秀な国王となり、王国を率いていくのだろう。
……でも、その隣に立つのが私とは限らない。
学園のテラスで仲睦まじく恋人として過ごし、微笑み合う婚約者のハリベルと、侯爵令嬢ローラの様子を少し離れた場所から見ながら、私はそう思った。
(あの様子だと、今日の交流会はとうとう、すっぽかされるのでしょうね……)
婚約が決まってから行われるようになった月一の婚約者同士2人の交流会。
王宮の庭で行われてきた交流会だが、そこでのハリベルの態度も冷酷そのものだった。
汚い暴言こそ掛けられないが、その瞳は常に冷たく、私からの話には一切の興味を向けない。
……こちらから殿下に歩み寄ろうと彼の事を尋ねても『お前に話す気はない』『そんな事は知らなくていい』と返されてきた。
私は、多少は自らそうなるように変えてきたのもあるけれど、彼に好かれようとしていた。
愛情を抱こうと努力もしてきた。
それは確かに生まれていた恋心だった。
けれど冷たい婚約者の態度に私の気持ちは、どんどんすり減っていくばかりだった。
何を心の支えに厳しい王太子妃教育をこなしているのか。
私の中からその意味がどんどん失われていく日々だった。
「……今日の交流会がすっぽかされるようなら、もう終わりにしましょう……」
私は、もうハリベル殿下との道を違える理由を探しているような状態だった。
この交流会は些細なキッカケ、後押しになるのだろう。
一番大きな絶望、ショックはハリベルがローラという恋人を私の前に連れてきた事だ。
あの時に感じた惨めさは思い出したくない。
私はその場では気丈に振る舞ったけれど、彼らからは離れたあと駆け出して涙を溢した。
私の気持ちが擦り切れていったのは、日々の積み重ねであったと思う……。
◇◆◇
王宮の中庭に交流会の準備がされていて、そこには高級なお菓子に貴重な紅茶が並べられる。
だけど席に座るのは私一人。
対面に座るべき筈の婚約者は時間になっても現れなかった。
……まぁ当然でしょうね。
学園を離れる前に彼はテラスで、私でない恋人と微笑ましく過ごしていたのだ。
来るワケがない。
本当に来るワケがなかった。
「はぁ……」
私の何が悪かったのか。
出逢った頃から嫌われ続けていた為、もはや理由探しにすら至らない。
強いて言えば最初から。
私の存在自体が気に食わなかったのだろう、としか言えなかった。
「もう、何もかもどうでもいいわ」
魔力量がいくらあっても、それは私の人生を幸せにはしなかった。
なぜ嫌われている相手と婚約などしなければならないのか。
そんな未来、あまりにも耐え難い。
「……帰りましょう」
時間には私は席に着いていた。
王宮で働く人々がそれを証言してくれるでしょう。
私とハリベル殿下の不仲に原因があるとすれば、確実に彼の態度だと分かってくれている。
婚約の解消という言葉が脳裏に浮かんだ。
婚約の破棄、解消を願って、それが通るかは分からないけれど……。
両親やお兄様にも迷惑を掛けてしまうのを心苦しく思っていて中々言い出せなかった。
自身に施された高度な教育の多くが無駄に終わる事も耐え難かったけれど……ハリベル殿下がこの関係を望んでいないのだ。
ならばもう、やむを得ない事だろう。
「──もう帰るのか?」
「……!?」
立ち去ろうとして話し掛けられて驚いた。
聞き覚えのある声は、私にとって親しみのある声だ。
「え、あ。ラニエル公爵様……」
「やぁ、アリーナ嬢。久しぶりだね」
ラニエル・トリニティ公爵。
ハリベル殿下や国王陛下と同じ、輝くような金の髪に、国王陛下と同じ金色の瞳を持つ若き公爵閣下。
……彼、ラニエル・トリニティ公爵は国王陛下の歳の離れた弟。
つまり王弟殿下だった。
臣籍降下し、この国で今は唯一の公爵位を賜った男性。
若いと言っても、16歳の私より9つは上だったから、今のラニエル様は25、6歳だ。
……十分に若いわね。
国王陛下もお若く、ハリベル殿下が生まれた時の国王陛下は19歳ほどだった筈なので、今の陛下は35歳ほど。
ラニエル公爵と陛下は、そのぐらいの年齢差よ。
王族らしく彼も魔力が高くて、国王陛下と年齢が近ければ王位争いで国が騒がしくなっていただろうと言われている。
もちろん魔力量だけで国王になるか判断される事などないのだけれど。
ラニエル公爵と国王陛下との兄弟仲は良好で、臣籍降下した後もこうして王宮に来ているのは、その証明でしょう。
そんな彼が今日ここに姿を現すとは思っていなかったけれど。
私は驚きが勝ってしまい、黙ったまま彼を見つめて固まってしまったわ。
そうすると、その整った顔立ちが穏やかに微笑みかけてくる。
「王太子はどうしたんだい?」
「…………ご覧の通りですわ」
当然、聞かれるとは思っていたけれど。
あまり、そこに触れて欲しくはなかった。
婚約者に月に一度の交流会すら付き合って貰えなくなった、惨めな女。
そんな風に思われたくない。
「……本当にアイツは……」
「ラニエル様……?」
呆れたような、怒ったような。そんな複雑な表情を浮かべるラニエル様。
「ねぇ、アリーナ嬢。結界魔法のアリーナ」
「は、はい」
結界魔法のアリーナ。
わざわざラニエル様はそう呼びかけた。
結界魔法は私の最も得意とする魔法だ。
それだけなら、この王国で1番の使い手だと自負している。
もっとも相性を考えると、他でもないこのラニエル・トリニティ公爵の【解呪魔法】には意味がない事でしょうけれどね。
彼の魔法は、あらゆる魔法の効果を打ち消してしまう。
それは例えば魔法契約なんていうモノですらもだ。
私の結界は彼の魔法に対して、ほぼ意味を成さない。
「もう、潮時なんじゃないか?」
「…………そうですね」
何が、とは尋ねる意味すらなかった。
私もハリベル殿下との関係に限界を感じていたからだ。
「アリーナ嬢。提案があるんだけどね」
「なんでしょうか、ラニエル様」
「キミはしばらく、ハリベル殿下やローラ嬢の顔も見たくないだろう?」
「……それは……はい」
いざ、この恋を諦めるとなった時。
きっと気持ちを完全に消し去るのに時間が掛かるだろう。
その恋は、私の今までの人生そのものだったのだから。
「じゃあさ。得意の結界魔法で……しばらく引き篭もりになりなよ」
「え……?」
引き篭もり、ですか?
私は首を傾げてラニエル様を見つめ直した。
整った顔立ちが優しく微笑みかけてくる。
「そう。引き篭もり。しばらく休んでいればいい。そうしたら」
「そ、そうしたら?」
続きを促すように私はラニエル様の瞳をまっすぐに見る。
「──キミを縛り付ける、煩わしい契約のすべてから解き放ってあげる。僕の魔法で、ね」
……王家の色を持つ公爵の綺麗な瞳が、じっと私を見つめ返し続けていました。
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また感想もお待ちしています。
前後編か、前・中・後編の短い話になります。
よろしくお願いします!
※年齢設定に対する誤字修正を脳筋で修正してました。
申し訳ございません。
作中現在で。
アリーナ、ハリベル、ローラは16歳。
ラニエルが25、6歳。
国王は35歳。
(ハリベルが生まれた時の国王の年齢が19歳で、そこからプラス16年で今、陛下35歳ぐらいです)
修正前の初期投稿の年齢設定が正しくなっています。