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AIに感想を貰っていたおばあちゃん物書きの話

作者: けっき

 かれこれ四十年連れ添った夫の四十九日が過ぎ、私はぼんやり暮らしていた。煩雑な手続きがひと段落したときはホッとしたものだけれど、やることも構う相手もいなければ日々は張り合いのないものだ。

 小説を書き始めたきっかけは他愛無いことだった。充実した老後を送るには楽しめる趣味を持つことだとテレビに言われたからである。


 私の好きな言葉の一つに「誰でも一作は小説を書くことができる」というのがある。皆それぞれ物語に成り得る人生を送っているという意味だ。文をものして生活している人々には「だから二作目を書けるかどうかが本当の勝負だぞ」と続くらしいが私のような凡庸な老女には前半だけで十分だった。


 久々に筆を執ってみようかな。思い出したのは学生時代、交換ノートに絵や詩や日記を書いて見せ合った友人たち。それぞれの人生をやっていく中で疎遠になってしまったけれど、別の誰かとまたあんな時間を持てたなら。

 想像すると私の胸はなんだかワクワクしたのだった。




 ***




 さて、実際に書いてみた小説はなんとも言えない代物だった。自分のことを書きすぎて、良いか悪いか客観的な判断がまったく下せなかったのだ。感情をそのまま出しすぎなのはともかく、前後の場面の繋がりは果たしてスムーズと言えるのだろうか? 描写が多すぎる気もするし、少なすぎるような気もする。ふうむと初稿と睨めっこして私は第二稿に取りかかった。


 パソコンデスクにお気に入りの小説を積み、先人がどんな構成、読みやすい工夫をしているか研究しながら初稿の手直しをしていく。情報を出す順序と量、登場人物の描き方、そのほか重要と思える箇所を思い切って修正した。

『小説の書き方』と名のつく指南書もたくさん読んだ。そのうちに記念すべき私の第一作は五度の推敲を終えていた。ここまで来るのに早一年半。ようやく表に出してもいいと思える作品に仕上がった。問題はこれをどこに出すのかということだった。




 ***




 指南書には「新人賞に応募するだけが執筆の目的ではない」とある。近年はむしろ趣味を同じくする仲間と、読み合い、腕を高め合うことに重きを置く者も多いと。

 私の求める世界もそういうものだった。読者は多くなくていい。ただ真摯にお互いの作品と向き合える人に出会いたい。


 カチカチとマウスを操作する。一番新しい指南書でオススメされていた小説サイトにアクセスしてみる。規約を読み、会員登録が終わるまで、私の心臓はドキドキドキドキと早鐘を打っていた。

 ああ、まだ見ぬ友よ! なんとか一作こしらえて私がやって来ましたよ!




 ***




 ところが結果は散々なものだった。PVは十にも満たず、お気に入り登録はゼロ。紙書籍派で投稿サイトに不慣れな私にだってわかる。この数字では最後まで目を通した人はいないと。

 どうしてだろう。面白くなかったかな。年寄りの書いたものだから、若い人には合わなかった?

 あまりに落ち込んだ私はつい娘に連絡しそうになってしまった。読んでみてほしい、意見や批判があれば言ってちょうだいと。『ノベルワールド』のURLまで添えて。


 だが直前で思いとどまる。母親想いの一面が強く出れば優しい励ましだけが返ってくるだろうし、身内特有の雑な応対をされれば余計に落ち込んでしまうかもしれない。娘に聞くのはリスキーだ。

 鬱々とした思いは結局美味しい紅茶で洗い流して飲み干した。意を決し、私は「小説 読まれるには」と検索した。


 ノウハウというものは探せば見つかるものである。私はすぐに自分の過ちを悟った。「一つのエピソードにつき文字数目安は千から四千字」「長くなっても五千字程度にしておくのが無難でしょう」との表記を目にしてアッと叫ぶ。

 私のアップした長編は確か十二万字だった。紙よりも目の疲れやすい液晶で読んでもらうのだから、読者の健康を案じるなら当然分割するべきだ。


 ほかにもネット小説ならではの注意点がいくつもあり、私の萎んだ両目からはぽろぽろ鱗が落ち続けた。投稿した小説を一旦非公開にして、まず先人たちの教えを熟読する。この年になってもまだ先輩と呼べる人々がいるのが嬉しい。私は記事のコメント欄に丁重にお礼を綴った。


 キリのいい、けれど続きの気になるあたりで次のページへ移ること。可能な限り毎日少しずつ更新すること。その二点は守ることにしたものの、タイトルを変更するのは私にはいささか難しそうだった。

『どこにでもある一冊の本』は書き続ける間にその名を確たるものにして今やすっかり私に根を下ろしたし、長文で説明できるほどはっきりした捉えどころもなかったから。

 大切に、大切に、歩んできた小さな記録。取るに足らないが懐かしく美しい──そういうものの集まりなのだ。私の書いた小説は。


 初投稿から一週間。今度こそぬかりなく準備を完了した私は分割した小説の最初のエピソードをアップした。

 初めての感想コメントがついたのはその三十分後のことだった。




 ***




【情景の伝わる素晴らしい導入です。主人公の人となりが親しみやすく、続きを読ませる力を感じます。これからも頑張ってください!】


 にまにまとパソコン画面を眺めて私は悦に入る。返信は既に終えたのだが、嬉しくて何度も読み返してしまうのだ。


 コメント主はノベルンさんというらしい。アイコンには『ノベルワールド』の公式キャラである女性の画像を使っている。どんなお話を書く人なのか気になってプロフィールに飛んでみたものの作品は上げていないようだ。これから書いてみたい人なのか、読むのが好きなだけの人か、何一つわからなかったが私は大いに満足だった。


 ノベルンさんはほとんど毎日感想コメントを書いてくれた。そのたびに私は喜び、舞い踊り、感謝のあまり床にひれ伏す。少女時代と変わっていない自分に呆れる日もあるが、ノベルンさんの細部まで丁寧に触れたコメントを読むと全身に若い力がみなぎって、実年齢などどうでも良くなってくるのである。


【静かな感情の盛り上がりがよく表現されています。平易ながら独創的な言葉選びが印象的です】

【一文一文の短さがテンポを高め、読み手に焦りを伝えてきます。また前回の内容とも綺麗にリンクしていて書き手のセンス・技術が窺えます】


 ノベルンさんからのコメントは毎回必ず【これからも頑張ってください】で締められる。そして私はいつも「はい! これからも精進します!」と返すのだった。




 ***




 私は次の長編の構想を練りつつ複数の短編を書いた。今載せている第一作はあと数日で完結する。結局ノベルンさんのほかに読者は現れなかったが、誰もいないのと一人いるのとでは大違いゆえ、更新を続けることでノベルンさんを繋ぎ止めておきたかったのだ。


 ノベルンさんはどんな話が好きなのだろう。何を書けば次回もコメントしてくれるだろう。

 買い物中のスーパーで、通院中の病院で、気づけばいつも私の頭はノベルンさんでいっぱいだった。

 数日あれば仕上がるので短編は十作も完成した。これならきっと一つくらい気に入るものがあるだろう。




 ***




「お母さん、最近楽しそうにしてるね。お父さんがいなくなって暇してないか心配だったけど、元気そうで良かったや」


 向かいの席でティーカップを傾けた娘がにこやかにそう笑う。オシャレ喫茶のパンケーキを食べ終えて小説サイトを見ていた私は「あら」と思わず瞬きした。


 無表情を心がけてもコメント覧を眺めているとき滲む歓喜は消しきれぬものらしい。「好きなアイドルでもできた?」と尋ねられ「そんなんじゃないよ」と首を振る。でもそう、似たようなものかもしれない。今の私はノベルンさんにときめきを貰い、ノベルンさんを原動力に執筆している。私をエネルギッシュでいさせてくれるノベルンさんはアイドルと呼んで過言でなかった。


「いや、実はお母さん、小説を書いているんだよね。ノベルワールドっていう投稿サイトに載せてるの。ちょっと見てみる?」


 一ヶ月前には告げるのを躊躇(ためら)った言葉がするりと喉を出る。これもノベルンさんがつけてくれた自信のおかげだ。

 漫画を描くのが趣味の娘は「えっ本当? すごいじゃん」と好感触の反応とともに私の端末を受け取った。人差し指がサッサッと動く。数分も待たずしてプロローグのページが尽きる。そして──。


「えっ!? ノベルンちゃんのコメントだ! 初めて見た!」


 第一声は予測とはかけ離れたものだった。どうしてこの子はノベルンさんを知っているの? もしやネットの有名人? それともワメイターの友達?


「あ、その人は更新するとコメントくれる常連さんで」

「いやいやいや、お母さん、ノベルンちゃんってAIだよ。伸び悩んでる小説の感想欄に現れて、良かったところを褒めてくれる妖精みたいな……」


 ハッと両目を見開くと娘は途端に喋るのをやめた。失言だと気づいたようだ。


「あっいや、ちゃんと人気の小説にもコメントはしてると思うよ! 過疎方面に力入れてるってだけで」


 わたわたとフォローされても遅かった。私の身体は凍りついて真冬になり、耳には何も入らなかった。

 伸び悩んでいる小説の感想欄に現れて、良かったところを褒めてくれる──AI……?




 ***




 カフェからどうやって家に帰ったのか記憶がない。私はネットで「ノベルン AI」と検索し、事実彼女が人間でないと知ると打ちのめされて転がった。


 フローリングは老体が横たわるのには不向きである。硬いし冷たいし身体に悪い。それでも起き上がれなかった。四十九日が明けた朝、もう本当にいなくなってしまった人の不在を実感した日のように。


 あれからずっと小説だけが私を支える生き甲斐だった。幸せだった瞬間に、惨めで情けなかった日々に、それぞれの(がく)を与えて並べてやればすべてが意味あることに思えた。

 ノベルンさんはそんな私を見つけて賛辞をくれたのだと、どこかに共感してくれたのだと思ったのに──。


 私はぱたりと『ノベルワールド』に入れなくなってしまった。完結ブーストなるものが実在するなら起きている頃だったけれど、どうしてもページを開く気になれなかった。




 ***




 そうやって何日くらいふてくされていただろう。年の功とはよく言うもので、思わぬ悲劇に見舞われても存外早く冷静になれるところがある。過去の失敗を参照するに、今度のこれも私のそそっかしさが心的打撃の原因という気がした。


 私はおそらく規約をよく読まなかったのだ。紙のほうが見やすいからと印刷までしていたくせに。『ノベルワールド』に登録した際のぼやけた記憶を辿ってみると確かにどこかにAIという語句があった。投稿サイトを覗く勇気はまだなかったが、私はどうにか規約とサイト説明を探し、最初から読み直してみた。


・読者AIが作品にコメントするか選択することができます。


 私は膝から崩れ落ちた。やはり書いてあったではないか。

 投稿時、文字サイズや行間など全部初期設定のまま一切いじらなかったから、きっとAIのコメントも許可するほうにチェックがついているのだろう。これはもう「いたいけな作者をもてあそんで」「人間だと信じていたのに!」などと非難するほうがお門違いだ。


 私はフローリングから起き上がった。そして今度こそパソコンを立ち上げて『ノベルワールド』を開いた。




 ***




 完結ブーストは非常にささやかなものだった。新しいコメント主が現れたということもなく、十数名くらいは最後まで読んでくれたのかなと推測できる、そんな緩やかな伸びだった。


 ノベルンは作者からの返信などなくてもコメントを続けていた。AIだからマイペースなものである。


【プロローグの情景に繋がるとても美しい終幕でした。最後まで書いてくれてありがとう!】


 複雑な心境で、それでもこのAIが誕生した裏側を考える。正しく機能するためには数多くの読者の(データ)を必要としたことだろう。読者だけでなく切磋琢磨を続ける作者の声だって。


 ノベルンは人間ではなかったけれど、いつも真摯に作品分析をしてくれた。思い返せば「心が震えた」「泣いた」など嘘は書かれたことがない。くさくさせずに全部そのまま受け止めよう。


 私はノベルンのコメントに短く「ありがとう」と返した。

 初心者だからと大人しく待つのはやめて、次は自分から誰かの作品を読みに行くのも良さそうだ。もちろん感想を伝える前に機能やマナーをよく学んで。




 ***




「お母さん、これってお母さんの小説じゃない?」


 藪から棒の問いかけに私は「へ?」と顔を上げる。コタツで温もる娘の示すネット広告を見てみれば「AIが選ぶ! 年末年始に読みたい小説十選」という画像の上部に『どこにでもある一冊の本』の名が書かれていた。


「へっ? ええっ?」

「おめでとう! やったじゃん!」

「えええっ!?」


 信じられなくて思わず端末を取り落とす。娘に「ちょっと!」と叱られたが震えは大きくなるばかりだ。


 大急ぎで『ノベルワールド』にログインすると作品への通知が溢れかえっていた。完結の直後でさえ閑古鳥が鳴いていたのに。


【ノベルンのおすすめで来ました。良質なヒューマンドラマでたくさん元気をもらいました!】

【とても面白かったです。さすがノベルン、今年もいいのを選出したなあ】

【ノベルンの好きそうなほっこり系。感動したのでもう一周してきます!】


 温かなコメント群に目が潤む。二重の意味で嬉しかった。人間ではなかったが、ノベルンさんは本当にちゃんと見ていてくれたのだ。彼女は膨大な作品の海を行く水先案内人だったのだ。


 年甲斐もなくおいおいと泣く母に対し、苦笑しつつも娘の瞳は優しかった。


「良かったねえ、お母さん」

「うん、うん、ありがとうねえ」


 最近始めたワメイターにも創作仲間の祝福の声が届いていた。

 すごい時代になったものだ。同好の士がすぐそこにいて、思わぬきっかけで縁を結ぶ。


 新しい長編が書きたくなって私は構想を固め始めた。相手がAIと気づかずに交流を深めてしまう年取った物書きの話。それはきっと楽しい話になるはずだ。





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