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鋼の翼はゆりかごに孵る

 読んでいただき、ありがとうございます。

 今回をもって、本作は完結となります。

 次回作の予定等を活動報告に載せていますので、よろしければご覧になってください。


(追記)活動報告をうっかり非公開にしていました。チェックしてくださった方、すみません。公開しました!

 温かな水に包まれて、ほの明るい静けさの中を漂っている。


 僕は半ば眠り半ば目覚めて、自分の躰が浮かんでいるのを感じる。

 周囲にあるのは、濃度を調節された薬液。パムの《恵み(レキ)》とは違って、化学物質を調合した医薬品だ。

 苦い匂いがする。

 勿論、気のせいだ。鼻と口には呼吸のための器具がつけられていて、匂いなんか分かるはずがない。手足や胸にも、測定用の機械や別の薬を注入するための管がつながっている。

「あれ」のせいであちこちに傷を負った僕の躰を、《施設(バストゥル)》の連中は困惑しながら治療している。

厄介払いだと思ったものが戻ってきて、うろたえている彼らの顔は可笑しい。




《城》を陥としたバールの仕掛けは、単純だった。

 クロトを捕まえた部屋にあった通信機。あれを使って《施設》に通信を入れ、尋問の様子を実況中継したのだ。

 響き渡るクロトの悲鳴。聞かされた連中も災難だっただろう。何が起きているのか情報収集しなければならないから、どんなに怖気をふるっても、物音ひとつ聞き漏らさずに聴き続けなければならなかったはずだ。


 ――あの化物は何だ。あの女の躰から出てきた奴は。

 ――本体を喰い荒らして――全く意思疎通ができやしねえ。

 ――上の連中は、存在を把握してるのか。

 ――《城》の囲みは、あの女には効かねえんだろうが。あんな化物を放置して、逃げられたらどうするつもりだ。最寄りの町はどこだ? 民間人に犠牲が出たら、さぞかし面白えことになるだろうな?


 概ねこんなことを尋問の中でバールは言った。クロトの悲鳴を伴奏に、《施設》に脅しをかけたのだ。とっとと「あれ」を何とかしねえと、てめえらの責任問題になるぞ、というわけだった。

《施設》は来た。バールの予測よりは方針決定に時間がかかったようだけれど、とにかく、《城》に駆けつけた。

 状況の確認と「あれ」の捕獲。場合によっては殺害。考えていたのはそういうことだっただろう。レアルしか通さない兵器の封鎖を解き、兵士たちを乗り込ませた。

《施設》に「あれ」の相手をさせて、僕たちはその間に逃げる。

 バールの考えは、要するにそういうことだった。

 そして、《城》を占拠した兵士たちは、たったひとり生きている僕を見つけた。


 あれから十日以上経つ。レアルは、まだ逃げ続けている。


 これも単純な話だ。《施設》の奴らは、レアルを殺すか捕まえるかしに来る。だったら、連中が到着する前に逃げてしまえばいい。封鎖が生きていたって、レアルひとりなら逃げられる。

 あとは、僕がどうするかだ。

 僕は封鎖が解けるまで《城》から出られない。レアルと一緒に逃げることはできない。右胸を貫通し、抉り取った傷も、肩に受けた傷も深手だった。《施設》が「あれ」の捕獲のために送り込んでくるはずの戦力と争い、振り切って逃げることは、できそうになかった。


 いちど《施設》に戻ろうと思うんだ、と僕が言うと、レアルは懸命に止めた。


 レアルにも僕にも分かっていた。一旦厄介払いされた僕を、《施設》が許すとは思えない。しばらくは資料として生かされるかも知れないけれど、用が済めば終わりだ。

 それなら自分も戻る、逃げないで残るとレアルは泣きそうな眸をした。

 僕は駄目だと答えた。レアルをまた《施設》の手に渡すくらいなら、ここで一度、離れる方がましだ。

 連中はレアルも殺すだろう。たとえ躰は生かしても、またファヴリルを投与し、好き勝手に書き変え、都合よく使役するだろう。


 させるものか。


僕は微笑んでみせた。


 ――大丈夫。勝算はあるんだ。

 ――だから先に行って。奴らの目的は君だ。絶対に見つからずに、逃げ延びて。

 ――僕も後で行くから。

 ――必ず、逃げ出して君を探すから。


 ほんの少しだけ、やわらかな唇に触れて。

 僕は《施設》で習い覚えた潜伏と逃亡の仕方をできる限りレアルに教え、水と食料を持たせて逃がした。




《施設》の連中はレアルの行方を捜索している。

僕は治療に当たる担当官たちの噂に耳を澄ませる。拘束され、薬液の水槽に閉じ込められ、眠っているように見える僕の前で、彼らは退屈そうに内輪の話をする。

 レアルの存在は、《施設》にとってかなりの難問のようだった。大金を投じて作り上げた《新型》。《施設》の管理官が起こした不祥事の生き証人。《城》で行われた今回の訓練にも、どこかしら違法なところがあったようだ。

《施設》の臭いはらわたを、レアルはよく知っている。

 彼女の行方に関する唯一の手がかり、即ち僕を、彼らは決して死なせないように治療する。


 勝算のひとつはこれだ。連中が喉から手が出るほど欲しがっている情報を、僕は握っている。口を割らない限り、簡単に処分されはしない。

 幸い、僕の予想以上に、連中は《城》の中の情報を持っていなかった。せっかく電力供給を再開して監視カメラやマイクを仕掛けていたのに、《施設》の送り込む敵と戦おうとしたどこかの優等生が片っ端から潰してしまったからだ。情報源はほとんどクロトだけ。クロトの最後の通信より後の出来事は、何も把握できていない。

 僕はいずれ、苛立った連中の尋問を受けるだろう。

 その耐え方も《施設》で習っているのだから、皮肉なものだ。




《施設》の古びた建物や研究棟の中を連れ回される時を、僕は待っている。

 あるいは、どこかで戦況が変わり人員の配置が変更され、監視の目が緩む一瞬の隙を。

 もどかしいけれど、機会は必ず来る。

 連中の意表を突く方法で、僕は逃げるだろう。

 普通の《悪霊》憑きなら負傷を怖れて実行しないような逃げ方を、いくつか考えてある。中には《城》に行く前に考えていたものもある。その頃には試す気など起きなかった。危険を冒して逃げたって、行く当てもなかったから。

 今は違う。行きたい場所がある。

そしてもうひとつの勝算が。


僕には、《恵み(レキ)》がある。


「あれ」に喰われかけた直後に気づいた。傷の治りが異常に速い。

 思い返せば、《城》が陥ちる前日には既にそうだった。別棟の廊下で「あれ」の爪に裂かれた翼。図書室で負傷した胸。薄い傷跡だけを残して、ほどなくして癒えた。

パムが僕を救うために与えてくれた生物は、僕の躰に居ついたようだった。分量が多かったせいなのか、それとも別の理由があるのかは分からない。僕とパムとが交わした言葉や、一緒に過ごした時間が、僕の《定義》を書き換えて、パムの生命ともいえる生き物を受け容れさせたのかも知れない。

 僕はそう思うことにした。

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 つまり、ファヴリルやその系統の生物は、血液感染するのだ。ファヴリルは、患者の血や体液に棲んでいる。感染力はごく低い。けれど言葉を交わし、深く関わり合い、互いの《定義》に干渉し合う間柄では、感染の可能性は飛躍的に高まる。

 レキもファヴリルの一種だから、理屈は同じだ。僕とパムとのつながりが、治癒の力をもつ生き物を、僕の躰に書き入れたのだと思う。


 ――ただ、それだけでは済まなかった。


 勝算は誤算もひとつ伴っていた。吉と出るか凶と出るか、まだ誰にも分からない誤算。

《ゆりかご》だ。

 その名前を、僕は《施設》に戻って初めて聞いた。

 レアルを《新型》に変えたファヴリル。他人の《定義》を写し取る能力の源。

《城》の最後の日、僕が「あれ」に喰われかけたとき、「あれ」もまた傷を負っていた。バールの炎に灼かれ、焼き焦がされた肉が爆ぜ、血を流していた。


 僕の躰と、「あれ」が奪い取っていたレアルの躰。両方の血が混じり合い、僕たちはそれぞれのファヴリルを分け合った。


最後にレアルが身に帯びた白銀の翼は、おそらく僕のファヴリルが与えたものだ。

そして、僕も、今はレアルの《()()()()()()()()()()


《ゆりかご》とレキ。躰を他者の形に変化させる力と、本来の姿に書き戻す力。

二つの力が僕をどんな形に書き変えるのか、まだ分からない。


《施設》は混乱している。治療の過程で、僕の躰に《ゆりかご》が棲んでいることに気づいたからだ。

 そんなはずはない、という声を何度も聞いた。《ゆりかご》の感染力では、たとえ僕がレアルの血に触れたって、感染する可能性はないと踏んでいたらしい。《ゆりかご》に限らず、人工のファヴリルの感染力は可能な限り低く抑えられているようだ。

 僕の躰をどれだけ調べ回しても、彼らには原因が理解できない。

 彼らは何も知らない。僕が味わった痛みも、恐怖と絶望も、炎も、血も。凍てつく憎悪も、それを超えて伸ばした手も。

 彼らは、僕がどんなふうにレアルを受け容れたか知らない。




《ゆりかご》は心の奥深くの形象を参照し、覚えるという。

 既にいくつかの《定義》が覚えられたことを僕は感じる。

 山猫の敏捷。

 寄生木の長命。

 羆の勇猛。

 蝶の智慧。

 それがどんな形をとって、どうやって躰の上に書きあらわされるのかまだ分からないまま、詩われる言葉の微かな響きだけを聞く。

 カナ。クロト。バール。

 パム。

 皆、去った。《城》で過ごした短い間だけ僕の傍にいて、それぞれの言葉を遺して通り過ぎた。

 喪失の痛みが今も残っている。

僕の《定義》の中に深く刻まれ、紅の傷跡となって。

 幾度眠って、目覚めても、決して消えることはない。




 短い鐘が鳴った。薬液の排出が始まる。傷の癒えた躰を調べようと、《施設》の連中が水槽の外に待ち構えている。

 取り囲まれていても、以前のように恐ろしくはない。

 彼らの限界を僕は知っている。


 ――行こう。


 この先に何があっても、怯えなくていい。拘束に抗い、振り切って逃げよう。

 もうひとつの翼が呼ぶ。忘れられない声を僕は聞く。


 レアル。次に会ったときには、この長い話を、本当に君に聞いてもらいたい。



いま、瞼を開けた。



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