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鋼の翼はゆりかごに孵る  作者: 桐生瑛
第八章 暁光
48/51

皆が僕にくれたものを

 読んでいただき、ありがとうございます。

 明日11/29も更新します。

  22


 夜は長く、永遠に明けないような気がした。

 バールの躰を解体するのには時間がかかった。ナイフは血と脂が絡んで使えなくなり、ガラスの破片で代用するしかなくなった。何度も手を切り、バールの血に僕の血が混じった。あるいは逆かもしれない。僕の傷にはバールの血が染みつき、融けていった。

《城》の王の最後の命令どおり、僕は亡骸を処分した。

 切り刻み、棄て、何度も何度も繰り返した。ようやくこれでいいだろうと思えた頃に、空は白みを帯び始めた。

 曙光が闇を群青色に透きとおらせる。名前も分からない鳥が啼いた。

 庭園に出ると、空気には血と煙の臭いがした。


 炎は《城》を焼き尽くしはしなかった。別棟は窓の周りが焦げて焼死体のような有様だったけれど、建物の形を保っている。

「あれ」がどうなったかのは、分からなかった。

 焼け死んだはずはない。あの異形。再生能力。きっと、炎の中から這い出して、損傷を受けた躰をどこかで休めているのだろう。

《城》の最後のときまでそうしていてくれるのか、それとも起き上がって僕とパムを探し始めるのか。僕には知るすべがない。

 草の上に横たわるパムの隣に、僕は腰を下ろした。

 夜の間、何度か呼吸が絶えたと思ったけれど、気づくとまた唇に息が通っていた。死のように深い眠りをパムは眠っている。僕は友達の生死を確かめるのをやめた。

 このまま静かに命が尽きていくなら、騒がずに見守っていようと思った。

 風が凪いだ。中央棟の前、《城》のほぼ中心に立つ樹の根元で、僕は朝日を待った。強い夜風は空から雲を吹き払い、役目を終えて立ち去ったようだった。蒼が薄まる。澄んだ早朝の空が顕れる。書き変えられていく。

 東の空の薄紅を僕は見上げた。


「朝だね」


 パムに言った。声が届くとは思っていなかった。ただ何か話したかった。まだひとりじゃないと思いたかった。


 ……朝? と囁く声がした。


 振り向くと、夏の白い花が開くように、瞼が上がったところだった。

 血に汚れた頬に光を浴びて、パムは夜明けの太陽と同じ金色の眼で僕を見た。


「パム?」


 友達は不安定に頭を傾け、躰を震わせた。また吐こうとしているように見え、嘔吐物が喉に詰まりやしないかと、僕は急いで小柄な躰を抱きかかえた。

 ――重い。

 僕と同じ年齢の少年を支えたくらいの重さが腕に伝わった。僕は意表を突かれて体勢を崩し、パムの躰は前のめりになった。

 血と膿のようなものとで茶色く染まり、乾ききってまるで殻のようだった布が、脆い音を立てて裂けた。

 パムの細い首の後ろ、頸骨の隆起のすぐ下から、裂け目は背中に沿って下へ走った。

 淡い、若い植物の翠を帯びた乳白色が、隙間から現れた。

 咲く時を待つ(つぼみ)のように折り畳まれていたものが、汚れた布の殻を押し開き、ゆっくりと展開する。

 黎明の大気に優しく撫でられ、硬質に透ける宝玉の薄紅色に染まっていく――翅。

 布の下で固いものが動き、僕の腕を押してパムの躰を持ち上げた。

 翅の次には、背中。それから、肩。

 やわらかな皮膚の下で、背骨が自然に頸骨につながる。

 窮屈に押し縮められていた鎖骨がひらき、その先にしなやかな腕を伸ばしていく。

 暁の光が歌う。生まれ変わろうとする躰を呼ぶ。


 深い、長い吐息をついて、夜闇の中で変化した躰をパムは顕わす。


 ほそい指で布をつかみ、両腕を伸ばす。性別のない躰が弓なりにのけぞり、白い喉を透きとおった光に晒した。

 生まれたての獣を包む母親の血のように、金色の雫が肌に絡みついていた。朝方の涼気のせいか、躰が小さく震え、金の欠片は風に舞い散った。蜜のように甘く、花のように清涼な香りが拡散した。

 死の眠りから、パムは目覚める。

 僕は目の前の奇跡に見入った。


 ――蝶だな。ちびは。


 バールは正しかった。蝶の《悪霊(ファヴリル)》憑き。幼い、小さな、蟲の躰。

 それは、時が来れば、()()()()躰だったのだ。


 けれど、見惚れたのは、僕だけではなかった。


 まだ薄暗さの残る庭園の西の木立から、這い出してくるものがあった。

 寄生木(やどりぎ)の触手が、草を押し分けて伸びた。焼けただれた猿の腕が、地面に爪を立てた。赤黒く膨らんだ女の躰の上にねじれた蝙蝠の羽がゆらめき、牝馬の後肢が土を抉る。

 子供を喰らう異形の悪神のような女の首が、蜻蛉の複眼を持つ狐と、血の混じった涎を垂らす犬の頭とを左右に従えて、貪欲な目でパムを舐めた。

 獣と虫と植物とが混じり合い、「それ」は人間の形を失って肥大していた。

 犬の鼻が蠢いた。金色の香りを嗅ぎつけていた。()()()()。半開きの三つの口から、欲望が生臭く吹きつけた。

 バールの炎に灼かれ傷を負った躰を引きずり、「それ」は餌を求めて這い寄ってきた。


 ――レアル。

 まだ間に合う、と頭の片隅で声がした。今、ここから逃げれば。「それ」がパムを喰うのを見逃せば。

 そうしたら、きっとレアルは戻る。僕は死なずに済む。《城》が終わるのを待って、戦って逃げ延びられる。


 声を無視して、僕はパムと「それ」との間に立った。


 暁の光を背にして翼を広げる。まだパムの羽化は終わっていない。生まれ出たばかりの躰は白く、見るからにやわらかくて脆い。「それ」の牙から自分を守る力など、ないに違いない。

 でも、あと少しだ。既に上半身は殻の外。あとは腰と、脚を出すだけに見える。

 少しだけ、時間を稼げばいい。


 逃げることは考えなかった。今はまだ、パムは動けそうにない。僕とさほど変わらないほど大きく、重くなった躰を抱えて逃げるのは無理だ。動きが鈍ったところを背後から襲われ、二人揃って喰われるだろう。何の意味もない。


 ――だとしたら、僕にできることは。


 レアル、と僕は囁いた。這い寄ってくる「それ」の混沌とした巨体のどこかに、触れたかった姿を探した。

 僕はパムを見捨てられない。

 けれど。


「レアル」


 もう一度、呼ぶ。

 届かないことを知っていた。


()()……()()()()()()


 ただ、時間を稼ぐだけ。パムの羽化が終わるまで。この《城》が()ち、生き延びる道が開かれるまで。

 本当はパムを《城》の外へ逃がすところまでやりたかったけれど、そこまで逃げ続ける方法はありそうにない。

 だとしたら、僕ができることは――僕自身を喰わせることしかない。


 這い寄ってくる「それ」の姿は恐ろしかったけれど、胸の底にある静かな、強いものが躰を支えた。


 レアル。僕たちは無力で、大きなものに押し潰されて、何もかもを失った。

 だから、僕は君から奪わない。

 戦って殺せ。生きる機会を奪い取れ。畜舎(バストゥル)の教えを、僕は破る。


 この《城》で、皆が僕に与えてくれたものを、僕も君に渡す。




「それ」が三つの頭部をもたげ、裂けるように口を開いた。

 声を持たない咆哮が、血と唾液と焼け焦げた肉の臭いで大気を汚染した。

 音のない不協和音。


 そして、銃撃のように伸びた赤黒い蔦が、僕の躰を貫いた。


 一撃。心臓は外れた。右胸を貫通される感触があった。

 死の淵へ引きずられる痛みに、僕は喘いだ。歪む視界に「それ」が迫った。赤黒い犬の舌。鋭い牙。躰から抜き取られようとする蔦を僕は咄嗟につかみ、傷が広がるのを避けた。刃を素手で握ったように掌が切れ、血が噴き出した。

 塗り重ねられる痛み。

 大鎌が振り下ろされ、肩に食い入る。熱傷のせいか勢いが弱く、肩甲骨にぶつかって止まった。衝撃と重さで、僕は膝をついた。

 鎌の湾曲で捕らえた僕の躰に、「それ」は牙を突き立てた。

 血。抉られ、むしり取られる苦痛。

 奪い取られる躰の叫び。僕の血が「それ」の牙を濡らし、灼かれ爆ぜた「それ」の傷から流れる血が、僕を汚す。

 女の貌が頭上に見えた。僕を血の色の胎に呑み込み、自分のものにしようとしていた。

 昏い歓喜の舌舐めずり。紅い口が夜闇のように下りてくる。

 僕はまじろぎもせずに待ち受けた。


 生白く見下ろす巨大な眼の、ずっと奥の暗がりに、儚い悲鳴が反響した。



 本作の連載も残すところ3回(予定)になりました。

 あと少し、この物語にお付き合いいただければ幸いです。

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