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鋼の翼はゆりかごに孵る  作者: 桐生瑛
断章 レアル
34/51

聞き入れられることのない願い

 読んでいただき、ありがとうございます。

 次回更新は11/8予定です。

 もう二度とやりたくないという願いは、聞き入れられることがなかった。


 ずいぶん長い時間をかけて許可を取ったのですよ。


 マレンは初めて会った日のように私を椅子に座らせ、自分はすぐ傍の床に膝をついて、私の手を取り目を見つめて話した。鉄の《悪霊》憑きの少女に引き裂かれた手は、三日ほどで元通りに癒えていた。力ばかりでなく、治る速度も不気味なほど増していたのだと知った。


 マレンは言う。


適性検査の際にあなたが語った言葉の分析や、心理試験の結果から判断したのです。あなたの《ゆりかご》に適切な定義を与えるには、よほど衝撃的な、心的外傷となるほどの手段で形象を心に刷り込まなければならない。他の表層的な方法では届かない。

 だから許可を取ったのです。時間はかかりましたが、その甲斐はあった。あなたは、期待に応えてくれました。


 息が途絶えそうだった。

 私のせいなのか。

 私がこんな人間だったから。他人に心を開かず、外の世界を厭い、自分の内へとこもる。人が与えてくれるものを信じない。優しさも親しみも受け容れない。そんないびつな人間だったから。

 だから、あんな方法でしか、必要な形を心に留めることができないのか。


 いいのですよ、とマレンは優しく私の手を撫でた。


 泣かないで、レアル。いいのです。私は約束したでしょう? あなたに全てを与える。誰もあなたを傷つけられないように、力を与え、武器を与え、守りを与える。

 あなたはただ、私が差し出したものを取ればいいのです。誰もあなたを責めません。決して。


 私は首を横に振った。責めないなんて嘘だ。私の頭の中には母の声が響いている。なんてことを。あんたは、なんてことを。目をつり上げた顔がまざまざと浮かぶ。終わることのない叱責。私は小さくなる。ひしゃげて、潰れて、いなくなりたいと願う。


 ──レアル。


 マレンが私を呼んだ。反抗を咎めるように、鋭く。

 初めて聞く声音に私は怯えた。その声は、鞭が空を切る音に似ていた。


 私は初めに言いましたよ。戦場で働いてもらうことになると。もし分かっていなかったのなら、今、理解してください。これがあなたの務めです。


 正しいと思った。あまり高級でない私の頭でも分かるくらいに、マレンは明らかに正しかった。兵役につくということは、戦って人を殺すということだ。最初から彼女は私に言っていた。私がいつか人を殺さなければならなくなると、言っていたのだ。

 私は浅はかな子供で、何も分かっていなかった。そしてつけを払うときが来た。

 今さら何も言えはしない。自分で選んだ道を、進まなければならない。

 元いた場所に帰る道は、もうないのだから。




 冬から次の春の初めにかけて、私は三人の《悪霊》憑きを殺した。銃で撃ったのでは《ゆりかご》は形状を覚えなかった。文字どおり手にかけなければ駄目なのだ。検査結果の報告をしながら、ユーゼルは私を気の毒そうに見た。私は目を合わせなかった。

 銃だろうが、ナイフだろうが、この手の刃だろうが、何の違いがあるというのか。殺される方は、ただ、殺されるだけだ。


 一度覚えた形を元に戻したり、また変えたりする訓練を繰り返した。それは読み書きに似ていた。自分の躰の形を意識する。──読む。これから変わろうとする形を思い浮かべ、筆の先を紙に置くように、感覚を躰に集中する。──書く。

 そうやって無理やり書きつけた形は不安定で、気を緩めると元の躰に戻ってしまう。《ゆりかご》と一緒に書き込まれたもうひとつのファヴリルが働いているのだとマレンは言った。

 鋭い指の刃。それから獅子の前肢とカマキリの大鎌を覚えた。ひとり殺すごとにますます力が増した。まるで殺した《悪霊》憑きの力を吸い取っているようだ。

 私は獲物の躰を自在に引き裂く。

 銀色の物質に変異していても指の感覚は残った。血や肉の中に沈む手触り。生温い。


「どうして銀なのかな」


 ユーゼルに尋ねた。


「何の形になっても、材料は銀になるみたい……」

「君の自分自身に対する印象なんじゃないかな。髪の色からの連想かも。いいんじゃない。似合うよ。別に戦闘には困らないし。実際の銀よりもずっと強度があるからね」


 そういう答えを聞きたかったのではなかった。これは本当に金属なのか。私の躰は何に変わっているのか。

 私の定義は、何か。

 適切な表現ができず、私はそれ以上問わなかった。

 その頃には、ユーゼルとマレン以外の職員と話すことはなくなっていた。定義に影響を与えないためだとユーゼルが説明した。


「うっかり話して、知り合いになっちゃうと、人格に影響を与えるじゃない。ファヴリルは基本的に血液感染だから、まあ大丈夫なんだけど。お互いに心の定義を書き変えあう間柄になっちゃうと、やっぱり何かあったときに感染率が跳ね上がるからね」

「あなたや、マレンは? 感染(うつ)らないの?」


《ゆりかご》が感染るなんて可能性は、それまで考えたこともなかった。私が驚いて尋ねると、ユーゼルは肩を竦めた。


「僕やマレンさんは、ちゃんと心理訓練受けてるから。君と話しても、影響はないよ」


へらへらとしたその笑顔を見て、私は悟った。きっとユーゼルは、いつか私が死ぬときにも、同じ顔でいられるのだろう。ああ、壊れちゃったね、と肩を竦めて、また次の被験体を捜しに行くのだろう。

 私が殺しても、殺されても、何も変わらない。

 私はただ、選んでしまった道を進む。

 誰も、傍にはいない。


 大きな訓練の準備が進んでいた。狭い訓練場で逃げ場もなく向かい合うのではなく、ある程度自由に動き回る敵を追い詰めて殺す。逃げられるかも知れないし、反撃されるかも知れない。数人で協力して向かってくるかも知れない。実際の戦場に少しだけ近づく。


「大丈夫です。それほど難易度は上げません」


 試験場の構造や、その中に放たれる予定の《悪霊》憑きたちについて説明しながら、マレンは微笑んだ。

 彼女はますます痩せ、以前よりももっと顎や腕が細くなっていた。今の私の力で抱きしめれば、比喩でも何でもなく折れるに違いなかった。


「中に入れるのは、あまり力のない幼い者を中心にします。武器も持たせませんし、自分たちがあなたに躰の形を提供するのだということも知らせません」


 要するに私が彼らを殺しに行くことを教えず、警戒させないということだ。

 渡された資料をめくっていて、私は息を呑んだ。ひどい《悪霊》憑きがいる。

 写真はなく、簡単な線画が添えられていただけだったが、その躰の異常さは際立っていた。首から下が全部、奇怪にねじ曲がった多足の幼虫、とでも言えばいいのか。こんな躰で生きるくらいなら、死んだ方がずっとましだとさえ思える。


「この形も覚えるの?」


 純粋な恐怖に囚われて尋ねると、マレンが「いいえ」と答えた。


「これは、形を覚えるために用意された者ではありません。体内に希少なファヴリルが棲息しているのです。躰の形ではなく、そのファヴリルを採取することが目標です」

「希少? ……どんなファヴリルなんですか?」

「《恵み(レキ)》といいます。あなたの躰には、《ゆりかご》と対になって、躰を元の形に戻すファヴリルがいるでしょう? それと同じものですよ」


 あまり多くの定義を一度に覚えたり、大きな怪我をして急いで治す必要が生じたりすると、レキが足りなくなるのだとマレンは言った。足りないと元の形に戻れない。傷も治癒しない。かといって、多すぎると、《ゆりかご》が覚えた定義まで消してしまう。ちょうどいい量を保つ必要があるのだと。


「ですから、もしこの訓練場の中でレキが不足し、すぐに接種する必要が生じた場合には、この者から採取するのです」

「どうやってですか?」


 困惑した。躰の中にいるものを、どうやって取り出せというのか。注射器でも持っていくのか。

 マレンは微笑んでいた。


「さあ……どうしましょう。喰べてしまいましょうか?」


 ユーゼルが笑った。冗談だと思ったらしい。私も笑おうとしたが、うまくいかなかった。

 もしもその方法で目的が達成できるなら、マレンは勿論、私にそうさせるだろう。


   * * *


 何度も試験場の下見と予行練習を繰り返して、風がすっかり暖かくなる頃、全ての準備が整った。

 試験場は壁と兵器で厳重に封鎖され、薬で眠らされた子供たちが運び込まれた。私は作業を見なかった。見ない方が楽だと思った。

 ユーゼルが私を訓練の協力者に引き合わせた。これからの私の行動は、協力者からの報告に基づいて決めると言う。


「建物の中や庭にカメラやマイクは設置してるけど、充分じゃないからね。一人は中にいて、様子を分かっていてくれないと。それがこの人」


 その《悪霊》憑きは私を眺め回して、素っ気なく頷いた。


「私は中で暮らさないの?」


 ユーゼルに尋ねると、そうだという返事だった。


「他の《悪霊》憑きがうじゃうじゃいるところじゃ、基礎訓練が毎日できないでしょ。一応生活できる環境にしてはいるけど、食べ物も休める場所もよくないし。今回は基本的に外にいて、さっと入ってさっと出る方式でやるよ。ずっと敵に囲まれて行動する訓練は、また次回」


 試験場の周囲に配置された兵器は、マレンが私のために手ずから調整したという。他の《悪霊》憑きが壁を越えようとすれば感知され、攻撃されるが、私だけは対象にならない。


「マレンは元気?」


 訊いてみた。マレンに会う頻度はだんだん減り、このときは一か月近くも姿を見ていなかった。

 最後に会った日の痩せ衰えた姿が目に浮かんだ。私を怯えさせた美貌と威厳はもうなかった。病み疲れた影が目元を蝕み、肌はかさかさと乾いて皺が寄っていた。

 それでもマレンは微笑んでいた。以前よりもずっと虚ろに。それでいて、何かに憑かれたように。

 私はやっぱり彼女が恐ろしかった。

 ユーゼルは彼らしくもなく静かに笑った。声はないのに、両眼の奥で力一杯叫んでいるようで、私は初めてユーゼルのことも怖いと思った。


「彼女は……きみを心配していたよ」


 マレンに似た穏やかな声音で言って、ユーゼルは私の背中を押した。

 始めよう、レアル。……頑張って。




 初日は試験場の中に入り、距離を置いて《悪霊》憑きたちを観察した。協力者はうまく溶け込んでいるようだ。

 日が落ちてから、ひとりで庭園を歩いてみた。この試験場は元は民間の宿泊施設だったのを、富裕な商人が戦争からの避難場所にしようとして買い取り、商人が死んだ後に相続人が政府へ寄付したのだという。電気や水道も引いてあり、食料も避難所時代から備蓄されていて、使いやすいのだそうだ。

 手入れもされず荒れ果てているのが、かえって心地よかった。月の光が差す庭を、ゆっくりと歩いて横切った。闇の中でものを見る目は、まだ《ゆりかご》が覚えていない。転ばないように注意しなければ。

 庭の中程まで来ると、三棟の建物を見渡せた。子供たちのために住みやすい環境を作り出してある棟だ。中庭のある建物と、それを挟む東西の二棟。彼らはこの範囲で生活するようになる。そうなるように、誘導されている。


 資料の中に黒鷲の《悪霊》憑きの記述があったことを思い出した。あの訓練施設に収容されていた優良種だという。いつか見かけた、黒い翼の少年だろうか。そう思うと胸が波立った。だとしたら、私は彼を殺すことになる。

 彼だけではない。資料に書かれていた十三歳から十九歳までの子供たちを、私はこれから殺す。皆、あの建物の中にいる。眠っている子もいるだろう。不安で眠れない子も。


 私は──。


 月の光は私を咎めるように静謐だった。誰もいない。ユーゼルもマレンも、今はいない。誰も私を見ていない。いない。

 ひとりだと思うと、堪える必要もなく、涙が零れた。


 誰か、助けて。


 あの子たちを殺すのはいやだ。皆、書類の上ではもう病気や事故や戦闘で死んだことになっている。その上に今度は私が手にかける。もう一度殺す。この世から完全に消してしまう。

 そんなことは、したくない。

 誰もいない夜の庭で私は泣いた。助けてくれる手はなかった。私の手には武器しかなく、私の手がその武器だった。優しさも慰めもなかった。あるのは搾取だけだった。永遠に続く血の文字で私に書き込まれる、あの子たちの定義だけだった。

《ゆりかご》は歌を待っている。生命と引き替えの、儚い旋律を。

 いっそ私が自分の命を絶てばいいのか。これ以上誰かを殺すくらいなら、自分が死ねばいいのか。この躰の《ゆりかご》ごと、消えてなくなればいいのか。

 そうしたら、マレンはどうするだろう。私を娘と呼んだあの人は。

「生きている間に出会えて幸運でした」──それは、もうすぐ死ぬという意味ではなかったか。

 あの人は、最後の希望を私の中に見ているのではないか。病み衰え、先の長くない躰で、約束どおり私に全てを与えようとしているのではないか。

 私は。

 私は──。




 翌日から訓練は始まる予定だった。何事もなければ、一か月も経たずに終わっただろう。数人殺して躰を強化すれば、試験場に入れられた最も手強い《悪霊》憑きにであっても、まず殺される心配はない。

 餌を()むように私は彼らを殺し、夏の気配を感じる前に、次の訓練に進む予定だった。

 しかし、訓練は突如、中断された。

 私とユーゼルが、マレンを殺したからだった。


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