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鋼の翼はゆりかごに孵る  作者: 桐生瑛
断章 レアル
33/51

あなたの定義は

 読んでいただき、ありがとうございます。

 次回更新は11/6予定です。

 しばらくレアル視点が続きます。


 それから私は多くの時間をマレンと過ごすようになった。

 検査にもマレンが立ち会い、眠るときはマレンの指定した部屋で、マレンに付き添われて眠った。

 乾いた花の香りがする小部屋には、私の好みの寝具を入れてもらえた。手触りの良い毛布と、頭を抱いてくれるような大きな枕。

 マレンは私が寝つくまで話をしていてくれた。たわいのない昔話が多かったように思う。南の大陸に住む、竜を躰の中に飼う人々の話。《森》の城に隠された黒い剣の話。永遠に生き続ける女と、彼女に導かれて旅した民族の話。全て本当にあったことですよ、とマレンは微笑むのだけれど、私には信じられなかった。

 おとぎ話でいい。いつとも分からず、どことも知れない物語でいい。現実なんかよりも、空想の方がずっとよく眠れるから。

 マレンは夜の間ずっと私の傍にいるようだった。私が眠っている間に、《ゆりかご》を私の中に『書き込んで』いるのだと言っていた。


 必要な数が多いのです。様子を見ながら少しずつ増やしています。朝、目が覚めて、体調が悪かったら、すぐに言って下さい。


 日中、マレンがいない間には、躰を動かす時間が設けられた。ずいぶん身軽に動けるようになり、私は戸惑った。体重は減っていない。力がついているのだ。自分の躰とは思えないほど強く、素早くなっていく。

 悪い気はしなかったが、ある日、握力計を壊してしまったのには閉口した。計測器を握り潰せるほどの手の力なんて、あまり可愛くない。

 これが《ゆりかご》の効果なのか。

 私は、何になろうとしているのだろう?


 思いきり運動ができるほど広い場所は、研究棟にはなかった。躰を動かすときには、郊外の別の施設に移動した。

 私はその場所があまり好きではなかった。建物は古く、汚く、血のようないやな臭いがした。大勢の人がいる気配はあったけれど、姿を見ることはほとんどなかった。たまに見かける人影は、銃を抱えた厳つい兵士であったり、獰猛そうな牙や爪を生やした《悪霊》憑きであったりする。好ましいと思えるものはひとつもなかった。

 ただ、一度だけ、変わった少年を見かけた。

 彼は担架に乗せられて、どこかへ運ばれていくところだった。気を失っていて、顔に血がついていた。躰を横向きに捩った不自然な姿勢、と思ったが、背から翼が生えていてうまく仰向けになれないのだと分かった。

 艶のある漆黒の翼には、鎖が何重にも巻きつけられ、重みで歪んでしまっているように見えた。

 もったいない、と思った。せっかくの精悍な翼。こちらの施設で初めて見た、綺麗なものなのに。

 珍しくマレンが迎えに来てくれた日だった。マレンは私の横を歩いていたけれど、私が見たものに気づくと、細い眉をひそめた。


「訓練兵が負傷して……。希少な優良種を、もっと注意深く扱わせなければ」

「優良種?」

「ええ。彼らは病んで、あのような姿となった子供たちです。変異の結果、偶然、兵士に適した能力を手に入れたために、ここで養われているのです」


 病気。

 私はもう一度振り向いて、黒い翼の少年を見つめた。髪の先がかかる頬の輪郭。しっかりした肩と腕。鎖に縛られてはいるけれど、力強い、美しい翼。

 病んでいる──彼が?


「気にしてはいけません、レアル」


 やんわりとした声に引き戻された。マレンの声音はいつものとおり穏やかで、しかし断固としていた。


「あなたは彼らとは違います。彼らも兵役につきますから、いずれ戦場で会うこともあるでしょう。でも、そのときは、あなたは彼らを従わせる立場です」


 私は大人しく頷いた。マレンに逆らう気はなかった。

 けれど、躰の奥に、深く貫き通されるような震えが残った。

 あの黒い翼の少年。彼を従わせるなんて、できるとはとても思えない。


 でも、もし本当にそんな日が来るとしたら、私は彼に何をするだろう。


   * * *


 私の躰は日に日に変わっていった。見た目は以前と同じだ。よく躰を動かしている分、多少は筋肉がついたかもしれない。けれど、それだけではとても説明できないほど、強靱になっていく。

 通常の運動の他に、武器の扱い方の練習が加わった。銃もナイフも持つのは初めてだ。手入れも自分でしなければならない。大変だったけれど、新しい躰はすぐに鋼の重量に慣れた。動物の芸のようなものだ。訓練されれば、覚える。言われたとおりに躰を操るだけのこと。私の成績は、悪くなかった。


 けれど、マレンの表情は晴れなかった。


 この頃、マレンは私によく映像を見せていた。内容は演劇や、音楽や、自然の景色を映しただけのものや、色々だった。映像を見た後で眠るといやな夢を見た。固い鉄の殻の中にうずくまる幼児や、追いかけてくる黒い影。私は腕に大きな銃を抱えていて、影に向かって必死に撃つ。殺したと思った途端にまた夢は最初に戻り、影が追ってくる。誰もいない街の中を、どこまでも。

 目が覚めるとマレンが傍にいない日が増えた。私は怯え始めた。

 何か期待に応えていないことがある。マレンは失望している。私から離れていこうとしている。

 どうすればいいのだろう。ここから追い出されたら、私には帰る場所がない。


 ユーゼルを捕まえて訊いてみた。マレンは何を望んでいるのか。私の何が、彼女を失望させているのか。

 何でもするつもりだった。見捨てられずに済むのなら。


「いやあ……きみのせいばかりでもないんだけど……」


 ユーゼルは普段のお喋りをどこへ置き忘れてきたのか、口が重かった。


「ただ、そうだね……。やっぱり、《ゆりかご》かな。まだ空っぽなんだよね」

「空っぽって?」

「最初に言ったでしょ。《ゆりかご》はどんどん新しい形を覚えていくファヴリルなんだよ。きみの中には、もう充分な量の《ゆりかご》が棲んでる。あとは適切な形さえ覚えさせれば、きみの躰の《定義》を書き変えてくれるはずだ。だけど……」

「覚えないの? どうして?」


 それが分かれば苦労はないよね、とユーゼルは苦笑した。


「ただ、ファヴリルは、何ていうか……心の奥の、かなり深いところにある形しか参照しないから。他の子には薬飲ませたり暗示かけたりして、奥の奥まで刷り込めるんだけど。きみは、そういう方法じゃ難しいみたいだ」

「……どうすればいいの」


 私は途方に暮れた。《ゆりかご》の不具合なんて、私にはどうにもできない。ユーゼルはいつものなれなれしさを少し思い出したようで、ぽんと私の肩を叩いた。


「心配することないよ。マレンさんが必ず、方法を見つけてくれる」





 夏が終わり、空気が涼しくなった。

 母と暮らしていた頃なら、冬が来る前に一枚でも上着を手に入れようと必死になっていた時季だ。今は、重ね着をする必要はない。私の部屋には暖房がある。

 私は数日の間、全くマレンに会っていなかった。《ゆりかご》を受け容れることに決めて以来、一度もなかったことだった。

 不安でおかしくなりそうだった。銃を撃っても的に当たらず、指導係に怒られた。以前に見かけた少年に似た、鷲の《悪霊》憑きだ。猛禽の《悪霊》憑きは視力がよく、敏捷で銃の扱いにも長け、偵察や暗殺の任務を与えられることが多いと、その頃には私も知っていた。

 彼らは戦うのに向いているのだ。私と違って。


 空が冷たく透きとおって、深く遠く感じられる日、私はまた郊外の訓練施設に呼ばれた。ユーゼルが私をいつもとは違う地下の訓練場に連れて行った。いやな臭いがいっそうひどい。壁に染みがたくさんあって、汚かった。一秒でも早く出たいと思った。

 壁の一部がガラス窓になっていて、その向こうにマレンがいた。

 私は思わず立ち止まってしまった。ほんの数日顔を合わせなかっただけなのに、マレンはひどくやつれていた。美しい人だったのに、顔色が悪くなり、頬や口元に影が落ちて、まるで急に十歳も年を取ってしまったようだった。


 初めて、マレンを、母に似ていると思った。


 訓練施設の職員が私に防具を手渡した。薄い金属の網のようなものが入った服だ。促されるままに着た。ベルトにはナイフ。銃も渡される。ほとんど自動的に安全装置を確認し、弾を装填した。

 壁の送話孔からマレンの声が流れ出した。


「レアル。今からそちらに《悪霊》憑きをひとり送ります。撃ってください」


 撃て?


 驚きで手が震えた。《悪霊》憑きをひとり。つまり、生きている人間だ。

 撃ち殺せというのか。

 顔を上げてガラス窓の方を窺うと、マレンはそうだというように頷いた。


「どのように撃っても問題ありませんが、最終的には必ず死に至るように考えて実行してください」


 淡々とした口調だった。


「そちらへ行くのは、重犯罪を犯した囚人です。いわゆる反乱軍の一員で、内乱罪、殺人罪などで既に死刑判決が出ています。あなたに刑を執行させる許可を取りました。法的にも道義的にも問題はありません」


 窓の向こう側は明るく、マレンの表情はよく見えない。

 問題ない、のか。マレンがそう言うなら。

 返事をする前に、別の職員がその《悪霊》憑きを連れてきた。

 さぞ凶悪そうな男が来ると思ったのに、女の子だった。

 私と同い年くらいだろうか。初めて見る、金属の躰の《悪霊》憑きだった。右手の中指と薬指、小指が鋭い刃に変異している。左腕も金属のようだ。その他は、普通の人間の躰らしかった。

 少女は大きな目でじっと私を見ていた。口元が強ばっていた。薄い、汚れた服一枚をまとった胸が、呼吸に合わせて上下している。


 この子を殺す?


 無理だと思った。理由は分からない。うまく言えないけれど、とにかく、無理だ。


「マレン」


 私は呼んだ。どうすれば、機嫌を損ねずに伝えられるだろう。

 ──レアル。

 マレンの声が私を呼ぶ。私の自信のない声よりも、ずっと強く確かに。


「撃ちなさい」


 命じられた。

 私はまた少女を見て、ガラス窓の向こうを窺った。どうしよう。言うことを聞かなければ、マレンは怒るかもしれない。私を見捨てるかもしれない。そうしたら、私には行く場所がない。

 でも、やりたくない。殺したくない。


「マレン……」


 立ち竦んでしまった私に、マレンはどんな顔を向けていただろう。

 私はうつむき、彼女の視線を避けて、小声で言った。

 できません。ごめんなさい。できません。

 送話孔越しに、ため息が聞こえた。私は小さくなった。よほど彼女を失望させたに違いない。考えてみれば、私はいずれ兵士になるのだった。撃てと言われたら撃たなければならないに決まっている。できませんでは済まない。こんなことでは、戦場で役に立たない。

 訓練施設の職員たちも不快そうに私を見ていた。彼らは人を殺したことがあるのだろうか。だから私が臆病なのが許せないのだろうか。


「よろしいですか」


 職員のひとりがガラス窓の向こうに問いかける。逆光のマレンが頷いた。

《悪霊》憑きの少女の腕をつかんでいた職員が、私ではなくその子に言った。


「始めろ。成功すれば、おまえと一緒に捕まった仲間をひとり釈放する」

「約束、守れよ」


 ぶっきらぼうに少女は応えた。固い声だった。

 成功? 何が?

 施設の職員が少女の手錠を外し、自分の銃を手にして壁際へ下がった。

 私への指示はない。どうすればいいのだろう?


 次の瞬間、世界が反転した。


 背中から床に叩きつけられて、息が止まった。銃が手から飛んでなくなった。《悪霊》憑きの少女は私に飛びかかり、馬乗りになり、左腕で私の喉を潰すように押さえつけていた。全くためらわなかった。

 至近距離で目が合い、少女は平坦なまなざしで私を嘲弄した。


 あたしは、あんたなんか、簡単に殺せる。


──どうして?

 私はあなたに、何もしていないのに。


 世界が壊れた。

 私の知らないものがそこにいた。それは私を殺すことを何とも思っていなかった。腕の下で私の気管が潰れ、息ができなくなっていくのを、ありふれたことのように眺めていた。

 恐怖と混乱が押し寄せ、私は逃げようとした。新しい躰は充分に強く、素早いはずなのに、戦いに慣れた少女には歯が立たなかった。鋼の腕が私を押さえ込み、右手の刃が振り上げられて地下の灯りに光った。


 殺される。


 悲鳴を上げることもできなかった。死にたくない。顔を庇った左手の掌に刃が突き刺さり、貫き通して、手の甲から切っ先が飛び出した。血が噴き出す。激痛が躰を掻き回した。

 私の躰は、訓練されたことを覚えていた。

 右手が動いた。ナイフの柄を手探りしている暇はない。手に武器がなければ、こうするしかない。

 突き出した指が、少女の眼窩に突き刺さった。

 眼球を押しのけ、奥へ。もっと奥へ。生温い奥へ。

 触れるものが何なのか分からない。

 血の色と痛み。

 絶叫が鼓膜を乱打する。鉄に変じた指が私の手をずたずたに切り裂く。

 私も敵を掻き回す。


 これは──何だろう。私を殺そうとしたものは。私が殺しているものは。

 あなたは何だ。


 あなたの定義は──何だ。


 頭の奥で、不意に歌が聞こえた。かぼそく震える旋律。透明な祈り。響き渡る断末魔が唱和した。重なり合い、融け合った。


 私は、自分が殺した少女を()った。


 彼女の頭蓋を貫き通した私の右手の指は、気づくと、白銀の刃に変わっていた。


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