《新型》
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次回更新は10/27予定です。
「うそだ!」
パムが声を荒げるのを、僕は初めて聞いた。
「そんなこと、できるわけがない……人間が、人間の定義を変えるなんて……無理だよ、そんなこと……」
語尾が段々と小さくなり、咳に埋もれて消える。
苦しげに躰を丸めるパムの背を、僕はさすった。
人の手で、自らの定義を変える。パムには受け入れがたい話に違いない。そんなことが自由自在にできるなら、誰だって、なりたい姿になる。健康な躰。強い躰。美しい躰。パムが耐えて、諦めてきたもの。
他の《悪霊》憑きだって、そうだ。自在に定義を書き変えられるなら、なぜ、発病前の躰に戻れない?
僕たちはみんな病んで棄てられた子供だけど、貧しい家庭の出身者ばかりじゃない。テラのように、金と力のある家の子だっている。手段があるなら、テラの親はテラの躰を治したはずだ。
僕がそう言うと、バールは首を横に振った。
「自在に変えられるわけじゃねえようだ。俺も詳しくはねえが、適性のある奴を特殊な《悪霊》に感染させて、力尽くで躰に定義を覚えさせるんだと聞いた」
「聞いた? どこで」
「前線でだ」
本人にな、と言う。
「そういう、創られた奴を……《新型》と俺たちは呼んでたが……輸送する任務に当たったことがある」
「どんな人?」
掠れた、小さな声でパムが尋ねた。
「人間の手で、定義を書き変えられた人は……どんな人なの?」
「――」
言葉を探すような沈黙があった。
ややあって、バールは言った。
「俺が会った奴は……三人いた。そういう奴らが、五人。全部で十五人」
意味が分からない。
同じ人間が三人ずついるってことだ、とバールは唇の端を歪めた。
「おまえくらいの、まだ餓鬼みてえな奴らだったな。同じ顔、同じ喋り方、全く同じ人間としか見えねえ奴が三人ずつ。頭は三個別々なのに、記憶や感覚は一緒になって、本当の自分がどこにいるんだか分からなくて発狂しそうだと言ってた。だが、全員死なない限り、三体のうち一体でも生き残ってりゃ、死んだのもまた戻ってこられるから良いんだと――」
確かに戻ってきた、とバールは言う。
結局、敵の襲撃を受けて、輸送隊はほぼ全滅した。生き残ったのはバールと、十五人の《新型》のうち一人だけ。
けれど、生き残った一人を連れて味方の陣地に逃げ戻ろうとしていたとき、バールは気づいたのだという。
裸足の少年の足音が、二人分、夕闇に紛れて近くをついてくることに。
まるで血に濡れた塊を引きずるような、湿った奇妙な音とともに。
戻ってきた、と生き残りの《新型》は笑ったのだそうだ。
ほらね。だからおれ、死なないよ。ひとり残っていればいいんだから。
もっとたくさんのおれがいたらいいのにって、いつも思ってるんだ。
痛くても、怖くても、頭がおかしくなってもいいから。
おれだけで敵を皆殺しにできたらいいのに、って。
パムの呼吸が浅い。
僕も同じだ。いったいどんなやり方をすれば、そんなふうに人間を書き変えられるというのだろう。
けれど、僕は強いて声を出した。
「だから、何だ」
その《新型》が、僕たちに何の関係がある?
僕たちは、バールがどうして僕を殺そうとしたかって話をしていたんじゃなかったか?
バールも話が脱線したことに気づいたのだろう。少し考える顔をした。
「まあ――そういうことがあったからだ。俺が、おまえを殺さなきゃならねえと思ったのは」
つながりが全く分からない。
前線に来た《新型》だ、とバールは繰り返した。
「そいつらはよく訓練されてた。敵を殺すことにためらいがなかった」
僕は頷いた。
それはそうだろう。そうでなければ、戦場には出られない。
僕たちはそのために訓練を受け、経験を積む。
例えば脱走した仲間のように、処分が決まっている人間を使って、人の命を奪うことに慣れさせられる。
「俺が《城》へ連れてこられたのは、その輸送任務の失敗のすぐ後だ。失敗の責任をとらされるだろうと思ってた。まさか処刑されやしねえだろうと思ったが、確信はなかった」
そして《城》には、僕がいた。
僕がバールを見て危険な相手だと分かったように、バールも、僕が訓練を受けた《悪霊》憑きだとすぐに気づいた。しかも、ついこの間まで、僕の背中には鎖があったのだ。《施設》にいたことがあるバールには、監督官につけられたものだと一目で分かったという。
「あんたは……処刑されることを警戒していたのか。だから、王国陸軍変異者教導局から来た僕を目の敵にした?」
「《施設》ならまだいいが――おまえも《新型》かと思った」
闇色の眸が僕を一瞥する。
《新型》じゃねえなら、殺せる。そういうまなざしだった。
「そんなわけないだろ。《施設》には、あんたのいう《新型》なんかいなかった。人間の手で創られた《悪霊》憑きなんか」
バールの話のような異様な奴がいれば、噂くらいは耳にするはずだ。
けれど、バールは首を横に振った。
「俺たちの側にいなかっただけだ」
僕たちの側――?
バールは微かに唇を歪めた。
何も知らない僕を蔑んだのか。
あるいは――何も知らなかった、かつての自分を。
「《新型》を創り出す、《編集機関》ってのはな。――《施設》の別名なんだよ」
音のない衝撃が、頭を撃った。
バールが言う。
「畜舎は、獣の仔を集めて育てるだけじゃねえ。もっといい家畜を求めて、品種改良だってやってるってわけだ。――考えてみりゃ、当たり前だろ?」
その声には、苦い屈辱があった。
おかしなことかも知れないけれど、僕には、バールの気持ちが分かった。
《施設》はろくなところじゃなかった。場所にも、人にも、愛着なんて全くない。
それでも――おまえたちよりももっと優れた仔が欲しいと言われたら、黒い火花が胸の底を焼くのだ。
「俺たちがいたのは、《施設》の中でも、民間から集めてきた《悪霊》憑きの訓練所だ。それとは別に、定義の書き変えの研究をしてる部門があるってわけだ。――おまえはどっちから来た奴なのか、判断がつかなかった」
テラの悲鳴を、僕は思い出した。
バールが僕の情報を集めていた理由が分かった。僕の戦力がどの程度なのか、警戒すべき《新型》なのかどうか、少しでも手がかりを得ようとしていたのだ。
「クロトにも訊いた。おまえらはどういう知り合いだと訊いたら、クロトの奴、情報屋は軍から来た奴で、普通とは違うと言った。見た目よりずっと危ねえ奴で、危うく首をへし折られるところだったとな」
僕は初日にクロトを脅したことを心底後悔した。余計なことをしたせいで、バールの警戒心を煽ってしまっていたわけだ。
同時に、頭の隅に、微かに引っかかるものを覚えた。
クロトは、僕に、少し違う話をしていなかったか。
偉そうなくせに卑屈で、小心なクロト――
──生きてる。だが、病んでる。
──カナのことや、みんなが死んだことが、つらいんだと思う。
僕はそれ以上考えるのをやめた。クロトの記憶は、カナにつながっている。
また頭をもたげそうになった痛みを押さえ込んで、もうひとつ気になったことを尋ねた。
「そんなに初めの頃から警戒してたなら……何で、もっと早く僕を殺そうとしなかった?」
バールならいかにもやりそうなのに。襲撃する機会なんて、いくらでもあったはずだ。
答えは意外なものだった。
「平和だったからだ」
僕はバールの顔を凝視した。
平和なんて言葉からいちばん遠い、冷酷で、傲慢で、血の臭いのする《城》の王を。
悪いかよ、とバールは顔をしかめた。
「この《城》に来て、もう何日になる? ……つい最近までは、何もなかった。何も」
それは、そうだけれど。
「おまえが《新型》だとしても、俺を処分させるためだけにこんなところへ連れてくるのは割に合わねえ。無関係の素人どもがうじゃうじゃいるのも妙だ。これは、何か手違いがあったんじゃねえかと思った……俺を殺しに来る奴なんざいねえ、ここでこのまま、戦争の終わりを待てるんじゃねえかってな」
らしくもねえ、寝ぼけてたもんだ、と《城》の王は自嘲した。深く息をつき、闇色の眸を険しくする。
胸の真ん中を突き飛ばされた気分がした。
ああ、そうか。
僕たちは――同じだから。
《城》へ来る前、幾度も血を洗い落とした自分の掌を見つめて、僕は呟いた。
「それで……あんたは、エタを殺したのが、僕だと思ったのか」
バールは頷き、面白くもなさそうに嗤った。
「馬鹿な話だ。他にこんな殺し方ができる奴がいるわけがねえと思い込んでた。何でかは知らねえが、ようやく《新型》の野郎が動き始めたと思った。すっかりしてやられたぜ――あの女に」
疑いが解けたのは結構だけど、喜ぶ気にはなれなかった。
あの女。──レアル。
一昨日の夜の、あの殺戮。
投げ落とされたリグの首。
エルリの手足も、エタの鼻も、ブロッシュの下肢もテラの羽も、レアルは持っていた。そして、ひとり殺すたびに、殺した相手の躰の形を模倣していた。
皆、レアルが殺したのだ。
レアルが。
「どうして……レアルは……」
呟くと、バールが呆れたように首を振った。
「馬鹿か。ここまで聞いて、何言ってんだ? ──《新型》はよく訓練されてた、と言っただろうが」
大きな手で圧迫されたように呼吸が止まった。
──ああ、そうか。
そういうこと、なのか。
自在に形を変える白銀の躰。殺した相手の躰の形を写し取り、自分のものにする能力。
戦場の匂い。侵略の気配。
圧倒的な力で、僕たちを自在に蹂躙する。
ほっそりとした、あの美しい躰。
まだ分かっていない顔でパムが尋ねた。
「どういう意味? バール。レアルは、どうして皆を殺したの……?」
ちび、とバールが息をつく。戦いを知らない小さな獣を哀れむように。
「いいか。どんな《悪霊》憑きを作ったって、いきなり戦場に放り込めるわけじゃねえ。ファヴリルに感染させて躰を書き換えさせた後、戦闘に慣らす必要がある。誰だって、何にだって、練習ってのは必要なんだ。分かるか」
「うん……。それで?」
「考えろ。ここに新しい《悪霊》憑きがいる。そいつはまだ若くて、《悪霊》憑きになったばかりで、戦場の経験がねえ。まずは訓練が要る」
最初は簡単なのから始めるんだ。例えば、武装してねえ、逃げるか隠れるかくらいしかできねえ相手を狩ることから。
しかも、そいつが、他の《悪霊》憑きを殺せば殺すほど新しい機能を獲得するっていう力を持ってたらどうだ?
「できるだけ色々な《悪霊》憑きをぶっ殺せる環境を作ってやらなきゃならねえだろ。――いなくなっても問題ねえ《悪霊》憑きの子供を、二十人ばかり集めれば、充分だ」
パムは黙った。細い首をよじって僕を見上げる。金色の眼が不安そうに瞬いた。
きっと分かったのだろう。パムは聡明だから。
ただ、考えたくないのに違いない。優しいから。
僕は逃げられない。バールの闇色の眸が問う。分かったか? この《城》の意味が。
僕たちが何のためにここに集められたのか。なぜ皆は殺されたのか。彼女は、何なのか。
「レアルのためなんだ」
僕は言った。半分はパムに向けて。もう半分は、バールに。
「レアルは、人間の手で創られた《悪霊》憑きなんだ。僕たちが《城》に連れてこられたのは、レアルが僕たちを殺して、躰の機能を強化して、戦場に出る準備を整えるためだ。──そういうことだろ、バール」
バールは黙って、頷いた。




