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鋼の翼はゆりかごに孵る  作者: 桐生瑛
第二章 死者
12/51

惨劇

 今回短めです。

 明日10/2も更新します。

  7


 翌朝、僕は約束どおりカナと連れ立って、中央棟二階のエタの部屋を訪れた。

 自分で一緒に行くと言ったくせに、カナは眠たがってあくびを噛み殺している。何をしに来たのか分からない。


「おかしいな」


 何度か扉を叩いた後、僕は呟いた。返事がない。

 取っ手を回してみると、扉は軋みながら開いた。

 妙だ。《城》の扉は、どこも鍵穴はあるのに鍵がなくて、施錠するには中からつまみを回すしかない。だから閉まっていれば在室、開くなら留守と相場が決まっている。

 念のため入り口から呼んでみたけれど、やはり返答はなかった。


「戻ってないみたいだ」

「中、入る?」


 目が覚めてきたらしいカナが奥を指さす。

 僕は首を横に振った。エルリと違って、エタは僕が勝手に部屋に入れば、怒って二度と口をきいてくれなくなるに違いない。それは都合が悪い。

 少し考え、エルリのがらくた部屋に行ってみることにした。もしもエルリが昨夜そちらに戻ってきたなら、エタもまだいるかもしれない。


 回廊に下り、庭園に出て、木立の間を東に抜ける。

 生い茂った藪を迂回し、魚の形をした噴水の横を通り過ぎると、離れの裏口が見えた。蔓草模様の浮き彫りが外壁を飾る、さながら貴族の隠れ家という雰囲気の建物だ。今は汚れてあちこち壊れているけれど、透きとおった朝日を浴びて、何年かぶりに目を覚まそうとしているようにも見える。

 ふらふらと裏口に近づいていこうとしたカナの肩をつかんで、僕は引き止めた。


 ──警戒。


 鼓動が、息苦しいほど速まっていた。

 驚いて振り返ったカナの眸を見て、自分がいつのまにか、《施設》にいた頃のように神経を高ぶらせていることに気づく。

 自分でも、何が引っかかったのか分からない。

 だけど何かが、頭の中で、金切り声で叫んでいた。


 近づくな。逃げろ。物陰に隠れろ。


 僕はそのままカナを引きずって、枯れた噴水の陰まで後退した。藪と石材の間に窮屈に躰を押し込み、喋ろうとするカナの口を片手で塞ぐ。

 目を凝らし、廃屋の裏口を観察した。石段を二段登った上に、重たげな木製の扉。取っ手は錆びている。開けるとすぐ目の前に、使われていない椅子や何かが詰め込まれていたはずだ。

 エルリのお気に入りのがらくた部屋。小柄な彼女でなければ、身動きするたびに積み上げられたがらくたに躰をぶつけて、居心地が悪い。

 扉の手前の石段に視線を戻して、気づいた。

 縁に、茶色い汚れがある。

 何かがぼたりと零れて、ごまかすように急いで擦られた跡。染みの向きを逆にたどると、扉の取っ手に浮いた錆に紛れて、汚れた手でつかんだ指の跡も薄く見分けられた。


 ――あれか。


 ようやく、気が昂ぶった理由が分かった。

 カナが僕の服の裾を引き、息だけの声で囁いた。


「何なの、イサ?」

「血」


 声を殺して僕は答えた。カナの指が強ばる。


「本当? どこに?」

「階段。取っ手にも」

「見えないよ」

「かもね」


 僕は、視力はいい方だ。カナは夜目がきくけど近眼。この距離で汚れを見分けるのは、無理だろう。

 どうする?

 ゆっくりと呼吸をして、考える。

 退くか? 行くか? カナはどうする? 置いていくか、連れていくか?

 敵の気配はない。

 あれが誰の血だとしても、色あいから見て、時間が経っている。

 僕がここに来ることはさっき思いついたばかりで、誰にも言っていない。

 待ち伏せは、ない。

 僕は振り向いてカナに言った。


「行こう」

「危なくない?」

「たぶん大丈夫だ。でも、もし僕が逃げろと言ったら、逃げて。いい?」


 硬い表情でカナが頷く。

 一呼吸置いて、僕は立ち上がり、離れの裏口へ走った。取っ手をつかむ。重い手応え。鍵がかかっている。


 ──()()()()()()()()()()()()()


 緊張が一気に高まった。

 予想が外れた。中に誰かいる。


「下がって!」


 ぱたぱたと駆け寄ってくるカナに声をかけ、扉から離れる。迷っている暇はない。

 血の色が、《施設》の教えを躰に思い出させた。敵が目の前にいて、こちらに気づいているなら、とるべき行動は二つに一つだ。

 拘束。あるいは、殺害。

 蝶つがいを見て、やれるかどうか確かめる。大丈夫だ。いける。

 助走をつけて、自分の体重と背中の鎖の重量とをすべて乗せ、肩を扉に叩きつけた。

 錆びて脆くなっていた蝶つがいは、一撃で壊れた。外れた扉を力一杯蹴り開け、中に飛び込む。

 思っていたのとは違った光景に、僕は立ち竦んだ。


「イサ、大丈夫?」


 カナの声が半分だけ聞こえる。足音が後ろから近づいてくる。僕の肩越しにがらくた部屋を覗き込む気配がして、息を呑んだのが分かった。


「イサ……!」

「うん」


 自分の声も遠い。赤黒い色に塗り潰されたように。

 室内には、誰もいなかった。

 積み上げられた椅子。積もった埃。真ん中に開いた僅かな隙間。何年も使われていないに違いない衝立、遊戯台、脚立、楽器。


 血飛沫。


 エルリのお気に入りのがらくた部屋は、まるでその中で人間を握り潰したかのように、黒ずんだ血に染まっていた。正体を知りたくもない柔らかい欠片が衝立にへばりつき、長い糸のようなものが垂れ落ちている。重い臭いが埃っぽい空気にこもり、吐き気を催させた。

 だけど、誰もいない。

 人間の形をしたものはない。ただ、一面の血。見たこともない惨状。

 思考が止まる。

 誰を殺すことも、助けることもできない。

 自分が何をしようとしているのか分からなくなる。今見ているものが、本当に現実なのかどうかさえも。

 どこか奥の方にある窓から夏の朝日が零れて、椅子の脚に引っかかった金褐色のものをきらきらと光らせていた。

 長い髪の毛。皮膚ごと頭から剥がされて、放り捨てられた束。


「……エタ?」


 カナが泣き出しそうな声を上げた。


 それでようやく、目が覚めた。


 エタはここにいた。引きちぎられた髪の毛と、大量の血と、肉と骨の残骸になって。

 僕は大きく息を吸い込んだ。しっかりしろ。いつもよりちょっと酷いけど、こんなのには慣れているじゃないか。

 現実を思い出せ。

 銃床と拷問と流血の現実を。

 眩しくて穏やかな《城》の中にも、僕の知っている影は混じっていたのだ。

 それだけだ。


 読んでいただき、ありがとうございます。

 

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